慢学インドネシア {処かわれば品かわる}
 
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10 言葉

言葉は、人とその他の哺乳類を区分する唯一といってもいい違いである。
類人猿人科はチンパンジー、ボノボなどとの遺伝子の異なりは0.2%もないだけでなく、歩行を含む運動能力、道具使用、過去の記憶、分類など殆ど同じかむしろ劣っている。
唯一の特徴で、それこそが人類をかくも爆発的な拡汎と成功に導いた特質が言語能力であり、それによるコミュニケーションなのだ。
言葉が分からなければ唖で聾。 繁殖行為はほぼ可能だが、協同作業(仕事)も、群れの維持(組織)も困難だろう。猿のように無言での完璧な意志の疎通は人間には出来ない。
人間は人種が違っても、住むところが異なっても、手足も指も皆同じで交雑も可能なのに、最も重要な言葉だけは千差万別、数キロも離れればもう異なった言い回しになって、海を渡れば相互理解は困難になろう。言葉の違いこそ神の悪戯か手抜きだといっても過言ではない。考えれば実に奇妙な現象だ。

国境が大海で隔てられた母国の地勢は、昔は格好の防波堤になって独自の文化を創り、民族意識も高揚したのだろうが、グローバル時代になればそれが裏目にもなる。
日本人は外国語に弱く、それだけでコンプレックスを感じてしまう。外国の言葉が分からないのは当たり前なのだが、事実はそうとばかりも言えず、先進国サミットで有色人種で日本だけが割り込んでも、いつも貧相で隅に佇んでいるのも人間の基本的特質である会話が出来ないのが大きなマイナス要素になっている。
民族意識とか申しても、多勢に無勢だからどうにもならない。
特殊なスポーツで舌を軟らかくするより手がない。

海外で事業をするには会話力が必須なのは申すまでもない。
商売はいくら、高い安い、いつ、誰が、どこへと四つの W で出来るらしいが、それは強がりとゆうもので、生半可な片言より通訳がいいといっても、物理的に倍の時間がかかるし、通訳に秘密を握られたり意志に反する損害を蒙った人は多い。
喋れることに越したことはない。
世はまさに英語時代。周りが横文字の洪水だからか、最近の若者は昔に比べれば英語の違和感は薄れたようだが、日本の英語教育は大失敗だっただけでなく、未だに学問としての言語といった雰囲気から抜け出せない。
読解力や相手の言葉を理解できても、自分の口から言葉が出てこないケースが多いのも、身についていないからだろう。日常性に欠けるとでもゆうのか。
これだけケルト人言葉のエイゴが蔓延したからか、場所によって同じ英語でも全く異なる言葉に聞こえる時がある。オーストライア訛りなどいい方で、その地域でしか使われないエイゴもどきがあるから困る。クルウニーなどはもうエイゴとは呼べない異なる言語と申してもいい。
至近な例ではご近所のシンガポールで、完全に近い英語を操るのは空港のサービスか銀行窓口位なもので、実力商人の多くはいわゆるシングリッシュとゆうシンガポールエイゴを使う。
「ユーカムノ、ミーゴーノ、ハバハバゴーシーグッツ、プレンテイトーキ、トゲザハッピ、ワッハッハ」 貴方が来て、私とすぐ行って物を見ながら話せば、幸せになるよ、笑。これが完璧に理解出来るようになるには頭脳ではなく年期による。
困ったことには、つきあっているうちに言葉は伝染して、こっちもトゲザハッピになっている。
ホンコンの友人が来日した時も物語で、いまだに語り継がれている。
電話のベル「ミイ、チャンチャンチャン、カフロコンコンナ、ステルシャンシャンシャン ホッテ、シャンシャンシャンホッテ、オンミーチュウ!」 「??」
電話は絶叫した。 「ルウ、エイ!ワンワンオー!」
剣術でもするのか、勝鬨きを挙げている。落ち着いて分析すれば、
「私は陳チャンチーです。香港から来ました。今サンシャインシテイホテルにいます。会いたいです。ルーム番号は8110!」となるから、「オッケイ、オッケイ」と答える。
彼はエイゴを話せないとは思っていない。日本人は喋れても話せないと思っているから、ナイスミーチュユー、サンキュウと言ってから私は英語が喋れませんと言うと、相手は怪訝な顔で、今喋ったではないかと言う。

さて、インドネシアだ。インドネシア語だ。
この国は過去オランダ植民地だったせいか、英語は限られた言語だ。
オランダ語は独立後半世紀たらずで絶滅し、僅かに専門用語などに名残を止めるのは、イギリス宗主国だったインドやマレーシアと著しく異なる。オランダの植民政策が苛酷だった証拠だし、被植民者に植民者以上の文化があったことによる。南米などとは違う。
国語を最大派閥ジャワ語とせず、ムラユ(マレー)語とした英断が、現在この広大な国土でのコミュニケーションを可能にする最大の貢献である。
ジャワ語は封建階級語の最右翼で、敬語どころの騒ぎではなく、身分が違えば言葉そのものも違う呆れる程の差別語だ。
ムラユ語は、昔この大群島海域の異なる種族が交易する為に、ほぼ中心のリアウ諸島(マレー人種が栄えた)で使われていた交易語で、母語はこれもマラッカ海峡を挟み、マレー半島まで進出していた西スマトラ・ミナンカバウ語だといわれている。
戦後日本語漢字を用いているからタイプも使えない。遅れる。すべからくローマ字表記にせよ、人工語エスペラント語普及まで飛び出した時期があった。
インドネシア語にも何となく人造語のような感覚があって、母語でない人々がた易く喋れるような雰囲気があるように感じる。表記がローマ字的だからでもあるまいが。
祖語はムラユポリネシア語族とか申して、西はマダガスカル東は遠く南太平洋の諸島のハワイマウイ語圏、フィリピン・タガログ語系、沖縄方言にも多く混入している。
スンダ列島(広義のインドネシア)は種族や言葉が異なっても、皆一様にサロン布を腰に巻く同一文化圏だから、第二外国語として違和感がなかった。突然やってきて強制した蘭語、日語とはちがう。
独立前後、敵対オランダ語を嫌うと異種族の疎通が出来ない。日本軍もオランダ語以外の即戦力でマレー語を奨励して列島に一挙に広がった利得もあった。
マレー語はインドネシア語となって処を得た。

交易語なら、簡単に意志疎通が何より大切だから、単純明快な発音と容易な文法が求められよう。ムラユ語はまさにそれだ。
入門ではこんなに簡単な言語はないだろう。発音も文法も問題無しに通用するから。
反面それが災いして正確な表現が求められる法律、契約語としては不適切な言語といわれる。同単語異意味があるからだ。文法も確固とした決めが弱い。前後の構文でどちらにも取れるから。入るは易しいが、この性質が災いしてマスターするのは至難だ。
発音は優美で明快、耳に心地いい脚韻を踏む言葉は美しく、インドネシアが民族はひとつ、言葉はひとつとしての独立達成も、この心を揺する言葉があったればこそで、スカルノのカリスマ的演説が大衆を酔わせたとゆう。
伝統は健在で、村の結婚式での村長の祝言でも日本の国会議員の演説より数等上質だ。
生来喋り語る事が好きな民族性があるのか、影絵芝居ワヤンのダーラン(語り部)は夜通しで朝まで芝居を語り明かす。こんな民芸も此処だけだろう。

数回の改革(アラビア文字表記がアルファベットに、綴りがオランダ系から独自になど)、多くの外来語を吸収して発展する。辞書を開けると単語の多くが外来語系なのを知る。
その由来に忠実に、生活に密着した単語は独自だが、宗教は申すまでもないが思想や抽象語などはアラビア移入語が多い。中国語も都市で使われてそれが地位を得た言葉もある。
今は英語が急激に輸入されている。日本語ではヘイホー(兵法−厳しい団体労働)とバッキャロ(馬鹿野郎)か、せいぜいツナミとホンダ程度なのも面白い。そしてどんどん造語が造られ略語の洪水だ。一年で日常用語は変わってしまう。
首都ジャカルタのブタウイ方言や下町チナ人の、どちらかといえば下品な言葉が、メデイアで流れて粋と感じる地方に伝播する。ヤクザ言葉のヤバイとかを若奥様が使う伝だ。
最も基本的な’貴方、君’とゆう呼びかけも、独立、政治が強かった時代はスダラ、スドリ(同志)だったのが、もう殆ど使われずアンダと変わったのは極く最近だし、60年後半の日・イ会話集の冒頭の挨拶に'タベック トアン'とあったので早速使ったら笑われた。
それはオランダ時代の挨拶だと。会話集では’おはよう スラマットパギ’で正しいが、イスラムでアッサラムアライコムが使われることは書いてない。トアン(旦那様、外人に対する敬語的呼びかけ)も徐々にバパに変わっている。

日本人はLとRの発音が出来ないのは致し方ない。発音で区分するのは至難で、単語を暗記するより外に手はないようだ。これだけでなく、EとUもでてくる。吃音もある。
入門時代は聞く相手もエクスキューズしているから問題はないが、数年経つと、明瞭な違いで困る事が出てくる。
半年程たって、思っていたより早く初歩会話が出来るようになったと思い込み、以後ミーテイングにはエイゴでなくインドネシア語にすると宣言してそうした。
社員一同「わかった」「その通り」 俺の会話力もまんざらではない。
数年経って、同じ連中に同じような注意をすると「意味がよく分からない」「言い直して下さい」。既に外人エクスキューズはなく、相対の関係では不正確な発音では通じないのだ。
相手の眼をみていれば理解したかどうかはすぐ解る。だから相手の顔色がわからない電話での会話は今もって神経を使う。外人慣れしていないピュアな方との会話もしんどい時がままある。
会話は耳だ。和文英訳しているうちに話題は進んで使えず、英文和訳していれば次々にせねばならず役にはたたない。耳を鍛えない限り口からは出てこない。
外国語上達の秘訣は、その国の歌をとにかく四六時中聞くこと、そして物真似で唄えばイントネーションが身につくといわれ、教師は美人に限る。学習意欲が倍増すると。
その両方とも徹底的にやったから、中年過ぎでの語学も大いに成果がでた。中学から十年間も必修科目でエイゴを学び、四年間はフランス語までやらされたが、知っている言葉はジュブゼメ、コマンタレヴウだけじゃあ話にもならない。教科では駄目で、必要は母と言って、とにかく使う事で上達するのだろう。
三大証券のひとつのエリート社員の広壮な社宅に友人を訪ねた。
「マイナー語習っても意味ないしネ。二年で転勤したら使わないもの」
白いユニフォームを着た侍女ふたり(高級女中は制服を着ている)が壁を背にしてかしこまっている。英語が通じないから、彼が正確無比なエイゴでカフェを所望しても動かない。
仕方なく彼は自分で私の為にコーヒーを煎れる。侍女はどうしていいやら途方にくれる。
私が「コピ」と言えば嬉々として仕事をする。実に複雑な心境になった。
小一年たって、彼はどうしたことか一念発起してインドネシア語集中学習をすると決心して、二週間以上誰とも会わず、他国語厳禁の缶詰め状態で講義を受けた甲斐あって想像以上に進歩した。さて、困った事には彼のインドネシア語は英文イ語訳なのだ。
大切な会議の席上、止せばいいのに得意?のインドネシア語で長官を紹介したが、その言葉は「おい、オマエを紹介してやる。ここにいるのはミスタXXだ、覚えておけ」
これには一同唖然、私は冷や汗がでる。当の本人は澄ましたもの、知らないから。
これは英語のyouをインドネシア語に直訳したからで、言葉はその文化を背負っている。
私は二つのアドバイスを励行したからそんな失敗はしないし、本会議より二次会での歌唱力が大人気で名が出た。百の説法よりひとつの歌が心を繋げる。しかし長官などと会う時はエイゴにしたらと忠告された。私のが女言葉だとゆうのだ。それは教師のせいだ。
外国語は右肩あがりでは上達しない。階段状だ。
俺の語学力もせいぜいこの程度か、と諦めかけるある日ヴォキャブリイが飛躍的に増している自分に気付く時がままある。どこかに貯まっているのだろうから、諦めと興味を失った時成長は止まる。数十年ご苦労して暮らした未帰還日本兵でも、よくこれで暮らせたなあと思う程の単語羅列会話しか使えない方もおられる。東大卒(聡明の意)が全く言葉音痴で、現場の田舎高校出の若僧が半年もしないでいっぱし談笑していたりする。言葉の細胞は違った場所に付いているのかもしれない。
郷里の方言はもう忘れたから喋れと言われてもでてこないが、旧友と逢えば湯水の如く溢れ出る。奇妙なことに受験で上京してから都会暮しだった私は方言を使わなかった。数十年ぶりの同窓会で誰が完璧な方言を喋るかといえばそれは私で、汚染されていず保存したからだ。今ではマスメデイアで方言は失われ画一化が進行しているようだ。

言葉は幼時教育と同じ真似だ。先ほども申したように伝染するから気を付けよう。
文法を無視するわけではないが、子供は法則は知らない。
「あんた、長い現地生活だが、その言い回しは文法的には誤りだよ」
学校で正規に習った言葉ではないから不安になって口の中で反芻してみても変わらない。
どっちが正しいか現地の人に聞いてみよう。現地の人は、
「どちらも正しいようですが、今はそうゆう言いまわしは使わず、貴方の方がこなれていますね」 どうだ、現場の強みだと威張る。
異国語で夢を見る。面白いことに、表現がつかえて目が覚める。
言葉はその土地習慣を背負っているから、どうしても和訳出来ない表現も多々ある。
翻訳本に慣れ親しんできた自分を疑うのはこんな時だ。
そのうちに、相手の訛りで出身地を想像したり、反面、いままで露程にも興味のなかった日本語の魅力を感じたり、言葉は限りない翼を広げてくれる。
「ウッソオ、ホントオ、バッカミタイ、ジャアネエ」だけで意志の疎通が出来る少女のように、言葉とはどれが正しくどれが誤りかは端的には判断できない。
要は喋ることに尽きる。他国語など少し遠い地方の方言だといった軽い気持ちで使うことなのだろう。

 
 
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