慢学インドネシア {処かわれば品かわる}
 
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11 生まれて一畳 死んで一畳


大通りがなにか異様な雰囲気に包まれたとみるや、彼方からバイクに乗った集団が手に手に黄色い旗を振りかざして驀進してくる。警笛を間段なく鳴らし蛇行し、通行中の車は停車するしかない。勝ち誇ったかのような暴走族のあとにこれもフルスピードの自動車が続く。見れば車には花束やリボンが飾られている。それらの集団を白バイが意気揚々と先導する場合もある。
これが死者への最後の餞けだと知る。行列は赤信号を無視し、音響を残して墓地にひた走る。こんな葬列を見たことはない。悲嘆にくれて粛々と進むのが世の中の通例で、国によっては泣き女まで雇うところもあるのに、インドネシアの葬列は余りにも派手だ。いつからこんな風習になったかは知らないが、コマ抜きで彼等の一生をみてみよう。

生れた時は裸、最後の旅立ちも一人旅、だが都市は冥土に持って行けるかのような金銭万能時代。
インドネシアはつい昨日までチップ不用のお国だった。便所の中にまでチップが要るホンコンなどとは優雅さが違ったが、いまの経済成長で人心も荒んだか、人の顔をみれば銭の世の中になってしまった。人の判別もカヤ(金持ち)かミスキン(貧乏人)しかないようだ。
勿論カヤが偉く舶来のミルクで、ミスキンは米汁で育てる。
平均寿命が43歳と聞いたが今は60歳ほどにはなっているかもしれない。平均寿命が低いのは幼時死亡率が高いからで、10人兄妹の半数近くが亡くるケースが多い。
南国の楽園とは申せ、高温湿潤気候は人間だけでなく他の生物、寄生虫やウイルスにも恩恵だから、伝染病や風土病に罹病する機会が多いのだろうか。
高齢者が少なく若年層の多い、発展には理想的なピラミッド構成だから、道徳を云々する前に老人を敬う社会だ。社会資本が貧弱のせいか障害者や貧乏人を含む弱者には厳しい環境といえるが、貧富格差が歴然な都会は知らず、総貧困の地方では比較対象がなく、それなりに幸せに見える。自給自足の清貧が真の姿で、欲望の街が誤りなのを知る。

赤ん坊は家族全員で育てる。文字通り家族の所有のように見える。
オムツの習慣はない。垂れ流しでも畳はないから問題は起きない。蟹股にもならない。
子供は天国で干渉されない。躾などあるのかないのか、傍若無人に振る舞っても叱る人はおらず、したいがままにさせている。いいこちゃんと頭を撫でるのは喜ばれないのは遥か昔の仏教習慣(タイなど)の名残りか。
オンブにダッコはこの国への政府間援助だろうが、子供はその代りに抱いたりおんぶはしないで腰に乗せる。腰骨で支えサロン(腰巻き)で吊るすように支持する賢いやり方である。
スナット(割礼)が野蛮だとの邦人夫人などの発言があるが、本来同類のユダヤ教もキリスト教も断食、割礼はあったのだから、むしろイスラム教徒が教義に忠実ともいえる。
女子は誕生すぐ竹のナイフで形式的に行われるが、既に切れているからかは知らないが廃れた。男子は十歳頃どうしても行わなければならない通過儀式で、ジャワはお祭り騒ぎで息子の無事成長をスナット式で吹聴する。ベッドは血に染まる。
局部に触れないよう上掛けを紐で天井からテント状に吊るして、一人前の男になったベッドの息子を縁者が祝う。
義務教育は徹底している。広い共和国の国語にしたインドネシア語(マレー語)が曲がりなりにも何処でも通じるようになったのは、独立後五十年最大の功績で多民族国家では珍しい成功だ。最大種族ジャワ語を国語にしなかったのも凄い英断だ。
どこで工面するのか、どんな学童でもピシッと制服(白シャツ赤ズボン)で登校する。
午前午後の二部制で、運動は余りしない。教室では私語が多く授業にならないと思うが、学童を叱ることはあまりない。おおらかとゆうのだろうか。
学校では歴史地理よりパンチャシラ建国五原則などに時間を割くせいか、日本が何処にあるのかどの位の大きさなのか知らない。大学生もどうだかわからない。
ちゃんとした家庭ではムガジと言ってイスラム学の塾に通わせるから、子供は遊ぶ暇はあまりない。
大学は金持ちでなければ行けないエリートで、事実学生もそう思っている。
大学は出たけれどで就職難だが、独立時代から国を動かしてきたのは青年学生だったのでそれなりの自負はあるようだが、粗末な設備で何を学べるのだろうか。
インドネシア語の学術書は無いに等しいから、学問するには英語蘭語は必須だ。彼等はものを考える時何語でするのだろうかと疑う程’本’がない。だから本屋もない。学問をするのには莫大な失費が要る。こうゆう国こそ一刻も早くインターネットの普及が望まれよう。
だが学生エリートだから、小学校出とは違うとはっきり差別して考える。グレードが違うのかコストがかかっていると考えるのか、汗を流す仕事はやりたがらず、オフィスでペンより重い物を持とうとしない。書類と署名ですべての仕事が出来ると教わっているのか。
昨日まで職業の種類が少なく、月給職は書記か運チャン位しかなく、あとは役人か教師の狭き門だった。職人も含めて生業に対する厳しさが薄いようだ。職人根性とかそれを育む徒弟制度を聞かないし、病的な日本のように「仕事だから」で万事に優先した社会ではない。

娘盛りになってデートしたいが単身での外出は殆ど出来ないだろう。
必ず弟妹または付き添い人が同行する。もし娘が一人で約束の場所に表れるようなら、彼女の家柄も教養も大したものではない。ほかの男ともそうしているのだから。
此処では娘と結婚するのではなく、その家との縁結びになるから、慎重に順を踏んだ交際をしなければならない。種族によっては結婚出来ない禁畏のスク(系列)が厳として存在するから、恋仲になる前にどうしても確認する必要がある。
大都会では西洋風(近代化とゆうのか)が幅を利かせるようになり、自由な交際とは言うものの男女の交わりは最も因習の多い領域だから、誤解や問題が生じないよう充分な配慮が大切だ。大都会といえども重層復綜した世界なのだ、男女の仲は。
夜のお仕事に入った女性はその時点でアウトだと思ったほうがいい。日本でも一生玄人呼ばわりされたように、此処でも色濃く残っているから、そういった女性と夫婦になると男性もその眼で見られる。
これほどまでに処女(もう死語か)への規制と監視が強いのに、寡婦にはおおらかだ。
バツイチが余りに多いせいか、母子家庭の子供は親族みんなで扶養するからかは知らないが、未婚女子とは明らかに違う。この落差は大きい。
離婚率は異常に高く、ジャワの低所得層の婚姻関係は悲惨で、父親失踪はザラ、母親の姑が育てる場合が非常に多いらしい。夫婦の年令差も余り意に介しないで桁違いの姉さん女房もいる。軍人役人は複数妻は法度だが、男女の貞操関係は緩いようだと書く矢先、異教結婚や婚前交渉が発覚したら命を失う制裁がある種族もいるから'多様性'だ。

都会では式場を借りての結婚式が増えたが、通常は親族総出で料理し客を接待する。
その数は膨大で、百人はザラで、家柄では千人になることもある。門前の道路は勝手に閉鎖して、家に入れなかったその他大勢の客の会場に変わる。
民族色の濃い催しがあるし新郎新婦は民族衣裳が多いから、ガイジンには郷土色を拝見するいいチャンスだろう。もちろん宗教によって異なる次第があるし、種族によっても大きく違う。西スマトラ・ミナンカバウ族は女系だから、新郎が呼び込まれて新婦宅に行く。
イスラム法は明確だから、持参金の額や離婚の場合の取り決めなどサクシ(証人)立ち会いで事細かに決めて'契約'する。
カド(プレゼント)を新婚さんのベッドの上に山積みにして、家柄の影響力を誇示する。
昔は初夜の証拠を展示したとゆうが、実際に遭遇したことはないので知らない。

男は甲斐性がなければならない。家族親族の面倒を見なければならない。
幸運にも定時収入(月給)が得られる男は、それだけで成功者だから皆なが期待する。
親族には失業半失業者が多いし、怠け者もいるし学費も要るから安い給料ではカバーできない。面倒をみるのは義務だから果たせなければマル(恥じ)だ。自分が失業した時の保険でもある。そこで職権による臨時収入の道を考える。分かり易く申せば汚職賄賂。罪の意識は希薄で当然の事をしている社会通念にまでなった'文化'だから一夕一朝には改善されない。確かに入社数年の若い社員の扶養者が実に多いのに驚く。
この半世紀で激動するインドネシアは、権力も社会も不安定で何がどうなるか誰にも分からない。アジア最大の共産党も次の日にはもう消えてどこにもいない。何を基準に据えたらいいのか混沌としているが、庶民はしぶとく生きねばならない。信じられるのは家族親族だけだ。
病気の治療も多くは売薬と占い祈祷の類いで、病院治療はなかなか思うに任せない。
幸運と神の思し召しで天寿を全うして鬼門に入れば、親族が裸の遺体を丁寧に木棺して土葬にする。寸秒を惜しむように墓地に運ぶのは冒頭の突進になる。
土葬だからいずれ墓地が不足するのではないかと危惧する。特に都会では。
ようく観察すると、それは取り越し苦労だった。
遺体はどんどん重ねて埋めるだけだから。昔埋めた遺体の遺物(骨とか髪とか)が出てくればそっと横に除けて、新しい遺体の穴を掘り仲良く埋める。
風葬や火葬の種族もいるから一概にこうだとは申せない多様性がまた出てくるが、戒名も仏壇もない。命日には連れ立ってお墓に参る家族も多いし、毎年墓を暴いて洗骨式をする部族もいるが、ピュアなイスラムは地面より高い墓は望まれない風習もあるらしいから、何々家の墓などといった豪勢な墓石はスハルト位しか造らないだろうし、それも時代が変われば壊されて消滅するだろう。死者は生者の胸の中だけで生き続ける。

 
 
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