慢学インドネシア {処かわれば品かわる}
 
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12 女たち

人口二億人のインドネシアだから一億人余の女性がいるわけになる。
どうしたわけか、特にジャワは女子の出生率が異常に多いとゆう。
割礼を嫌って生れる前に済ませてくるからなのかなどと、宗教がらみの悪冗談は人間失格である。
美人国でその名も高い北スラウエシ・マナドに行った時、
「いまでは上玉はみんなジャカルタに行っちゃって、もう此処にはいませんです」
「だって生れてくる半分は女性だろ、十五年もたてば名声復活だ、嘆くな」
人の半数は当然のこと女性だから簡単に一言では言い表せない。しかし健康な男ならこの困難な表題でもなんとなく分かり合える気がしてくる。

外人は彼女たちの聡明さなどに興味はなく、神の与え給うたそのプロポーションを鑑賞する。確かに何を食べたらこうなるのかと思うような美形が、自身の姿の影も意識せず闊歩している。白人のように大きくて髭も生えず、母国の平たいのとも違う。
女と言うと近頃は蔑視とか差別語と言われるのは納得出来ない。 自分から日本語の豊富なボキャブラリイを放棄するようなものだ。 推薦される呼び方の女性には無機質で、その対(ペア)である男の姿は見えない。所詮この世は女と男の世界、ニュアンスとして女性ではなく女との意識なしになんの人生か。
遺伝子の命ずるものは繁殖による増殖で、淘汰によるより良い伝播を選択する掟なら、男にとっては見め麗しく情けあるいいおんなで、知能教養に秀でていても、女の色気に欠ければ敬遠したい。 女権とか女性の地位とかあからさまに語られるとぞつとする。
黙していても男はその遺伝子の命ずるままに選択するのだ。
叶えられない望みをこの広大な列島に求めて文献を漁り旅をする。いいおんなに巡り会える為に。

その地に行ったらまず交通巡査を観察する。母国のお巡りさんがあまりにもダサイからそうなってしまう。此処のお巡りは申し合わせたようにワンサイズ大きい制服にすればと考えさせるような身体にぴったりの上下ですらりとした脚、小柄だが実に均整がとれている。姿勢もいいし乱食い歯もいない。真っ白い歯に漆黒の髪なら少し肌が濃くても我慢する。若い彼女たちは屈託がなく朗らかだ。
ムハマデイアとかイスラム系学校や家庭環境で、ジルバップ(ヴェール、クルドウンともゆう)で半顔を蔽っている娘さんも神秘的だ。全部見せるよりチラリが上質なのを白人は知らなかったのだ。女性の生理の時はお祈りは出来ないからオギノ式避妊には好都合だが、彼女等は一向に気にしないでアッケラカンとしたものだ。
多民族国家で、種族移動が限られていた時代が長かったから、容貌も性格も選択肢にも地域差が歴然と表れる。京の着倒れ浪花の食い倒れ、宵越しの金は持たない江戸っ子が此処でははっきり残っているから、マナド美人だとのめり込むと、噂の通りの浪費家で往生することになるし、金銭感覚最高とパダン娘に惹かれれば、早晩かかあ天下で尻にひかれるだろう。
いずれにしても外人が女性とねんごろになるチャンスは至って少ない。殆どが夜の巷かオフィスラヴと決っている。ちゃんとした家つきの未婚女性なら先方で逃げ出すだろうし、親係りなら親の許しはまず得られない。「貴方はいずれ帰る人だから娘はやれない」。
私達が疎かにする宗教問題も重く圧し掛かってくる。好いた惚れた前に、為すべき順序があるだろう。後が先になることだけは避けなければならない。
夜のホステスはそれだけのもので、此処では人格も名誉もあるはずがない。人の口に戸は立てられないから一生前歴がついてまわる。それもいいとするなら言う事はないが。
自由だ、個人の選択だと申すのなら反論はなくご自由にとなるが、男女の仲だけでは納まらないのがこの国なのだ。結婚とは家と家の契りなのを忘れてはいけない。もっとも男である外人は家なき児なのだが。
結婚して水入らずと喜ぶのも束の間、そのうち従兄弟が母親が叔父叔母が押しかけてきて同居される。友人が一時東京に行っていて帰ってきたら何と、自分の寝室に弟が寝ていたといった悲劇も悲劇ではなくなる。親族の面倒をみないのは男ではないのだから。

昔から此処の男達は怠け者で働かない伝統がある。今でもそうだとは申さないが。
農事の殆どが女性労働で、男衆は闘鶏か雑談で日を過ごしていたから、突然八時間労働と言われても対応出来ない。近代化されたと申しても、根はまだ変わってはいないように見える。女性は伝統の力で骨惜しみをしない事は確かだ。男のようにラムナン(夢想)もせず至って現実的だから正直勤勉といえる。

 インドネシア列島の住民はマレイ人種だといわれる。低緯度地帯の褐色の肌、それはインドアーリアン人種とモンゴリアンの分岐点に位置し、右に振れるか左になびくかで風貌はインド人とか我々の親戚の中国系に近くなる。蒙古斑点とかスンダ歯列とか難しいことは抜きにしても、その配合は日本人とエスキモー以上のバラエテイがあり興味は尽きない。
インド洋に洗われる西のスマトラは、イスラム伝来の影響もあって西方アラブ・セム系のエキゾチックで彫りが深く、古くから中国との干渉が多かったジャワは心なしか偏平な顔貌、東にゆく程馴染みのない風情があるのはメラネシア・パプアの血か。
これら万華鏡の多民族の坩堝の中に植民時代の歴史が残していったポルトガル、オランダの混血が本人の意思の外で現われる。ネグロイドにも女性がいるのは申すまでもない。
 概して体形は背の高さが同じでも、プロポーションは我々との距離を感じさせるように、手足が長く長頭型、腰は高くつき、肥える時の脂肪が蒙古形は横に、ここの人は前後に、出つ尻タイプになる。足の長さは二割は長く街の巡査が格好いいのもベルトラインが高いからだし、男女交合も厳密に言えばある種の配慮が必要な場合もある。
 脚の短さを嘆いてはいけない。その場合でもそれはなんの利得にもならず、まして自動車はじめ宇宙船に至るまで乗り物は足の長いのは邪魔になるだけだ。

一般的にこの地帯の社会は早婚で女性が生活を支えているようにみえる。そうして離婚率、再婚率ともに世界有数だといわれる。子供は夫婦のものとゆうよりむしろ家族の所有物といった感覚がある。勿論社会を強く律する宗教の影響も生活を規制する。
初婚には家系とかその他の要因で配偶者選びには神経をとがらせるが、再婚は逆に悪い封建的因習は薄く、複数の子連れや年齢格差など余り意に介さないようだ。

多様性の中の調和
宗教は社会を変える。
イスラムは男尊女卑といわれ、女は男の所有物と見做される教義から、男が三回離別を宣告すれば離婚が成立すると言われるが、逆に父親の娘への保護責任は大きく、婿選びや行状、貞操観念は西欧化された眼には異常と思えるほど厳しいものがある。
婚前交渉などは最も忌み嫌われるから、男女席を同じゆうせずを徹底している地方もある。結婚式でも会場に入れば招待客でも男女は分れて座り、花嫁は男性客の前に姿を現さない。夕食に招待されても夫人、娘は挨拶もない。
それを遅れているとか閉鎖的とゆうのは浅い考えで、先刻申した遺伝子伝播に忠実な掟とも思われる。部外者が西欧的開放と自由を善しとすれば、女の神秘的魅力は薄れるばかりか節操のない動物に堕落するだろう。厳しい男女隔離のあるイスラムは、また優雅で秘められた内面での男女の悦楽があるのは、アラビアンナイトその外の歴史が暗黙に物語っている。昨今の白人の男女文化はまことに浅薄と言わざるをえない。
バリビーチで肌の荒れた大造りな白人の、トップレスもハイレグも、あの優雅に腰を落とし膝を開いてスレンダン(肩掛け)をなびかせながら細い指を震わせて踊る舞姫の神秘的な姿には敵わないように、男女のあり方は明らかに東洋の方が上だ。白鳥の湖を踊るバレリーナとジャワ様式のラマヤナではイットが違う。その文明的原点がこの列島を支配している。
芸術の発露がセクシュアルからとするとフォロイト風になるが、ワヤンの踊りといい、影絵芝居といい、この国は南国の熟れた果物のように、濃密な味が織り成す摩訶不思議な空気が淀んでいるかのようだ。

インドネシアは広大で定義は不可能だ。単一国家にない魅力だ。
 まず最西端のスマトラの女からといっても、強固なイスラムアチェ人と隣接するクリスチャン・バタック族とは日本と朝鮮より異なる部族だ。
アチェ人はファナテイックなイスラムで、この戒律がすべてを律する。これは強力で異教徒、外国人でも容赦はない。
巧みな東西の混血が生むエキゾチックな容貌の女がベールで顔を覆い、強い輝きの視線を伏し目勝ちに、足早にすれ違う時などどきりとするような魅力がある。黒い上衣に黒いずぼん、たくさんの金の装飾品で飾った娘には鋭角的美人が多い。
気安く声をかけたりずっと見詰めていようものなら、イスラムの掟、同じ奥眼、精悍な男に短刀でぶすりと刺されるかもしれない。
 スマトラ大島から対岸のジャワ島は人口過剰、文化爛熟、イスラム教とはいっても過去に栄えたヒンドウの上にのっている感じ、正統派とは大分崩れている。人間の数が多いからその値段も安いようで、田舎の娘は初潮で結婚、子供が生まれれば亭主はいなくなり、町に出て女中になるしかない。
首都ジャカルタに隣接するのがスンダ、そのハイランドがスンダ美人の産地でバンドンが州都。ジャカルタのきれいどころに出身を尋ねれば決まってその町とゆう。

ジャカルタは国中の人が集まるハイブリット都市でその半数が女だが、顔と衣装はともかく心が貧しい。原因はガイジンを含む銭だ。20万とか、少しにやつけば国際価格50万(2万円)。2千円だった昔が懐かしい。
ジャワ島は西がスンダ人東がジャワ人に分かれて言葉も習慣も違うが、外国人では似たようなものだろう。小柄で丸顔、骨細で、皮膚の褐色がスマトラ人より濃く東方人より薄い。どぎつくなく南国調イメージを最も感じさせる。奇妙なことに富士額が実に多い。気持ちも優しく、家柄の良い乙女は文化の熟成を感じさせる優雅な立ち居振る舞いが洗練されて、渋谷をうろつくOLが嫌になる。学術的には男女人口比率で三人に二人が女性で世界一とゆう。
人を傷つけるのを極端に怖れるから、たとへ嘘でもノウとか否とは言わず、円らな瞳で微笑めば、ガイジンは多く誤解する。
しかし過剰人口で見た目は知らず生活は厳しく、ジャカルタやスラバヤの大都市に流入する。古来から女の職業はそう多くない。間抜けな日本人がカラオケクラブや曖昧場所で出稼ぎホステスと懇ろになる。若い現地妻のうちはいいが、そのうち従兄弟とか親とかが入り込み、一家眷族の面倒をみるはめになる。女と結婚するのではなく、家と結婚する風習を知らない悲劇である。

 読者の期待は民俗学でもその歴史でもないだろう。女が表題なら男だけが好きな話題を提供出来なければ飽きられる。さてそこで都合よくマドウラ島に近ずいた。
この島はジャワの東端に位置する結構大きな島だが自慢出来る産業はなく暑いし、男は喧嘩好きで牛競争だけに熱心でいいところがないが、他に抜きんでた特質で共和国中の男の話題になる。それは女だ。美人とはいえない黒い肌だが中身が違うといい、一度その虜になると人には分からない密室の秘密があるといわれる。
これは人種的なものではなく、この島の文化、いうなれば絶えざる研究の結果輸出品として名を成したといったところがほかの場所と違う特徴だ。この島は先程申したように貧困地だ。島の対岸東ジャワは数百年にわたり華麗なジャワ王朝がその栄華を競った。マドウラ人は宮廷雇われ人として移り住んだ。多くは奴隷だった。
王は客人饗応の為、自分自身の為に彼女達を侍らせた。
マドウラには製塩のほかこれといった産業がないから村人は技術革新に没頭し、より優れた女を生産する事が直接生活につながり、それは数百年にわたり連綿とした伝統として受け継がれていった。カリマンタンの秘薬パサブミとか中国伝来の媚薬などもこの時期に発達し、それらが現在ジャワの有名な地薬であるジャムウとして庶民に親しまれている。
女子が生まれれば村長−むらおさ−がチェックして、特に選ばれた素質のある幼児は特別な寮で寝起きすることになる。風説によれば蜂蜜(マドウ)や果肉だけで育てられるといわれる。
初潮を迎える頃には特別学級で礼儀、立ち居振る舞いは申すに及ばず伝統による性技をも伝授され、完璧なプロフェッショナル接待要人に育成され輸出品として完成される。サラブレットレースホース顔負けだ。
男が期待している生き物ははまるで違うもののようだとも。
伝統は最近まで受け継がれ、主は王から金持ち華人、政府や軍要人の依頼に応えているといわれる。笑い話ではないが下取りや中古品も取り引きされるとゆう。

 バリへバリへと草木もなびく。バリはインドネシアでは礼文島か種子島程の小島に過ぎない。
その数奇な歴史からイスラムに追われたヒンドウが文化ごと移住して現在があるのだが、男は闘鶏と無駄話しか能がなく、女が耕して天に至る重労働を強いられていた。
観光客に随喜の涙を流させるガムランの踊り子を冷静に観察するとこの辺の事情が飲み込めよう。バリ娘は質実剛健で労働に耐える身体を持っている。太めのししおき。豊満な肉体に食い込む衣装でなければあの濃艶な魅力はだせない。以前日本婦人がバリダンスを披露したが、肩の線が貧弱で見るに耐えなかった。はっきり言おう。バリ女は肩の張った百姓娘で、5スターホテルで一夜の思い出と感激しても。相手はスラバヤ辺りからの出稼ぎ人だ。天はニ物を与えず、踊りの鑑賞に止めておくべきだろう。

イーストオブバリ この言葉にロマンを感じる。バリの東には真珠のネックレスのように島々が続き、しかもそこは近代の洗礼も僅かな遠隔の地である。
竜宮城に乙姫様、鯛や平目の舞い踊りが見られるかと期待すると当てが外れ、村人は閉鎖的、疑い深くそれでいてしぶとい。人口希薄な寒村では人の行動は丸見えで隠し事は出来ない。しかし、、。
投げたコインを探して素潜りの乙女が群青の海に潜ってゆく。衣装が褐色の身体にぴったりとまとわり付くのが透明な海水を通して見える。
目的を果たした彼女が水面に現われれば、さながらこれこそ人魚かと見紛う姿、長い髪をたくしあげながらかんざしで止めてニツと微笑めばもう金も名誉も要らなくなる。
スンバ、スンバワ、フローレス、テイモール、ウエタール、パンタルと連なる島々にはその依って来る歴史で風俗習慣は全く異なる。訪れる前には学習が必要だろう。
バンダ海をはさんだ北には世界で一、二の大きさを争そうカリマンタンやスラウエシ、地球最後の未知イリアンジャヤが並んでいる。
開発が遅れていると蔑んでも、生物の営みは万古の昔から何の変わりもない。核融合を扱う科学者も、耳たぶを肩まで届かせる巨大な耳輪をつけたダヤクも、亭主が死ぬたびに指を切り取るイリアン人とて哺乳類人科で変わりはない。やっている事も大した変わりはない。
辺境では孤立性が強く血の交流が少ないから、部落中がみんな同じような顔つきになる。
それが嵩じて近親婚がふえると、なぜか男が生れなくなるといわれる。
種付け馬の栄誉を担った余所者の噺には事欠かないが、あくまで文字通りの繁殖種馬で、行為は数分で終了しなければならない。秘境の冒険談はぜんぶ嘘で、パプアはどは薮蔭でアッとゆう間に済ませてしまう。早い方が外敵からも安全だし、理屈に叶っている。
南国の熟れた半裸の美女の舞い踊り、情熱的な男女の営みもぜんぶ想像の世界で、南国は家屋の構造や家族構成からも営みは淡白で、北方民族ほどひつこくはないようだ。

東インドネシアの女達を話し始めたら、二日二晩かかっても終わりそうにないから、人の口にのぼる話題を二つばかり書いて終わりにしたい。

バンダ海の要の街アンボンもヒタムマニス(色は黒いが南洋じゃ美人)を地でゆくマニセ(甘い、可愛い、チャーミング)、歌と踊りで天下一品。腰をゴヤンゴヤン(揺らす)リズム感は抜群。うっとり見とれても財布にはくれぐれも。罪の意識が薄い地方だから。
インドネシア第一の美人国は言わずと知れた北スラウエシはミナハサ地方で異論はない。ミナハサの首都マナドになんでそんなに美人が多いのか、オランダ植民が最も成功した地域といっても、ダッチに美人は少ない。モンゴリアと北のフィリピンスパニッシュ、ポルトガルなどの血が絶妙の配合でそうなったのではないか。トンスエ村に行けば振り向く村娘は間違いなくそれぞれの好みの整った微笑みを返す。プロテスタントだから日曜日にグレジャ(教会)に行って一緒に聖歌でも唄えばすぐ仲良しになれよう。
クリスチャンでもないのに、イスラム圏から此処に来るとほっとする。
 そうして都ジャカルタの富豪の玉の輿に乗ったシンデレラは数知れず、マナドに美人がいなくなったと地元が嘆く。
幸運にもマナド娘とマララヤンの砂浜で戯れ、夢よもう一度と南のマカッサルでやにつけば、貴方は確実にシリツ(恥じ)の毒刃に倒れるだろう。
蝉の薄羽様のかつぎ、サロン腰布をルーズに左手で持ち、時折り腰骨がチラリにさりげない視線を送るところまでで、イスラムは婚外交渉は犬畜生の所業、宜しかったら四人妻までどうぞ。
最後に取って置きの調査報告で終わりとする。
ひとりの訳知りと「美人はマナド」と話すと彼は「ブナール(正しい)タピ、、」しかしと但し書きをつけた。それによると彼女たちはじぶんが奇麗だと知っている。浪費好きでパーテイに眼がなく浮気も。管理が難しい。美人となには両立しないと。なには何かと核心に触れたら、それは声だとはぐらかされた。
そして彼は此処の人も知らない或る辺境の小島の名前を小声で囁いた。キサール。
その小島をやっと地図の上で見つけてニの句が継げなかった。それはチモールテイモールの東、さしもの長いインドネシア列島がアラフラの海に没する端に点在するレテイ、バーバー、セルマタ諸島の中に米粒より小さく浮かんでいた。
いまだに揉めているテイモールは住民までが俺等はインドネシアではなくポルトガル人と言う程混血した。元来イベリア人はオランダやイギリス人より女好きで合いの子を多量生産する。ラテンアメリカ諸国はどれが誰だか分からない程なのが証明するし、インドに英・イ混血は比較的少ない。インドネシアにも蘭・イ混血は予想以下だ。
当時ポルトガルは何故かこの小島に総督府直轄事務署を開設した。
あとの説明は不要だろう。巧みな混血は最高の芸術作品を生む。
その後真剣にその秘境へのアクセスを調べた。好事魔多し。キサールのあるレテイ諸島以外の周辺の島々特にバーバー、モア、ァコールは極端な余所者嫌い、進路を誤れば確実に首を狩られ、お目当ての娘の結納品にさせられるから正に命懸けだ。
ちなみにキサールまでは首都ジャカルタからアンボンまで空路五千キロ、そこから貨客船で一週間、あればの話でなければカヌー便乗で着けばいい。テイモール・デリまで飛んで陸路島を縦断してから小舟のルートもあるにはあるが、いまも内乱で外人はどちらからも敵になる。
そうまでして懇ろになりたいのですか。

 
 
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