慢学インドネシア {歴史は繰り返すか 歴史は教えられるか}
 
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3 移住華人

経済のグローバル化が声高に叫ばれ、世は情報社会に移ったといわれる。
経済活動は政治の思惑にお構いなしに先行して、国境も人種も言語も乗り越えて収斂してゆく。古い閉鎖的な国と民族は否応無しに取り残されてゆく。

本土から弾き出されたように落ちこぼれたように世界各地に流出していった華人は、太陽と豚のいる処シナ人がいると蔑まれてもその地で営々として生き続けてきた。
その出目から彼等の国への帰属意識は薄く、土地にも縛られず因習も少ない。
つい昨日まで流民と蔑まれて卑賎な職業しか選択の余地はなかったが、貨幣経済が主流になると僅かな間に途上国の経済を牛耳り、世界に散った血族はまさに国境を意識しない恐るべき力を貯えて、現代人が望むグローバルかつ強力な情報網を駆使して一躍経済世界に躍り出た感がある。
特に大陸東側の諸国、APEC、ASEANに隠然たるイニシャテイーブを持つまでになった。

移住華人の最も多いのがインドネシアである。三百の種族の住むこの国の華人が新しい種族として彼等の将来を予見できるであろうか。

インドネシア華僑
人口に占める住民比率は3%だが650万人以上が暮らす。以下タイ610万人11%、マレーシア520万人29%、シンガポール209万で78%、フィリピン120万2%、日本には10万人で1%、北米にも126万人が居住している。世界全体では二千七百万以上といわれる。
インドネシア華僑はノン・プリブミ(非・地の人)、二代目(現地生まれ)をババ、Peranakan、中国生まれは新客(シンケ),Totokと呼ばれる。

首都ジャカルタだけでも二百万人が住むといえばシンガポール人口に匹敵し、単一国では最大の人口で、移住の歴史も恐ろしく古く、インドネシア中の町の何処に行っても商店は彼等が牛耳り地域に貢献しこの国の流通を握っているのに、いまだにぎくしゃくして余所者扱いで、なぜか水に浮く油のようにお互いどこかにシコリがある。
騒ぎが起こると決まって彼等が迫害されのは、国是 "多様性での調和"が泣くとゆうものだ。
大陸を離れて他郷で暮らす中国人を華僑と呼ぶが、インドネシア華僑の殆どはこの地で生まれ故国を知らないし同化政策もあって名前もインドネシア名だから華僑ではなく中国系インドネシア人が適当なのだろうが、華人を使う。
どんなに努力しても政治家や将軍にはなれない。多分土地を持っても農民にもなれない。 いつもチナと陰口をきかれどこかで差別される。
彼等も腹の中ではプリブミ(土地の人・土着人)を怠け者で見栄っ張りで馬鹿者と軽蔑している。 もし利口なら私等喰えないからねと平然とうそぶく。それでも決して母国に帰ろうとはしない。
彼等の生国はインドネシアなのだから。
そしてインドネシア華人問題は決して避けては通れない重大な要素を孕んでいる。
なにせ全経済の90%は既に人口比3%の彼等の手中なのだから。
そんな土地柄で、ここに来る時チナ人(Orang Cina)は蔑視語だからチョンホア(中華人)と言うように云われたが、どうもしっくりしないのでどちら側にも当たり障りのないチャイニ−ズを使うようにした。

ウンコとウンチ
庶民は、華人の女性をウンチ、男性をウンコと呼ぶ。(正確にはンチ、ンコだが)
はじめはこれ以上の蔑視語はないと思ってぞっとしたが、考えてみれば不潔な連想をするのは日本語だけだと気が付いて少しは安心したが、この言葉が会話の中に入るとドキッとしても、なにかユ−モラスな気もする。
語感的にはまことに当を得て聞こえるから妙だ。
古来太陽と豚のあるところ支那人がいる。世界人類の四人にひとりが中国系だ。
ウンチ、ウンコの町で不適当なら、チャイナタウンは何処も生活のエネルギ−に満ち溢れている。
確かに華人コロニイは独特の乱雑喧騒、良くいえば生命力に溢れるように、すさまじい欲の社会のようで怖じ気ずく。同じモンゴリアでかくも違うのはと考えさせるような詫び寂びなど薬にしたくてもなく、金ぴか赤飾りのけばけばしさが彼等の好みだ。喚き散らし泣きまくり、糞も味噌も一緒の生活は何処の国のチャイナタウンに行っても圧倒される。
だからウンコだとは決して言いはしないが、人類はひとつとは言っても、それはシェパ−ドと芝犬、狆とプ−ドルを連想させる程、マレー人村インド人村とは醸し出す雰囲気の違いを実感する。 日本人村はないが、あればどうなのだろうと思う。

モンゴリアン、極寒のベ−ジンリアを渡って逐には新大陸を制覇し、大洋に乗り出せば数万粁の波涛の彼方まで植民し、怒涛の騎馬軍団を駆って東ヨ−ロッパを征服し、偉大な中華文明を築いたこの人種は、眼が細く表情もあいまいで短脚、見たくれはよくないが、歴史的に見ても頭脳体力行動繁殖力で他種を圧倒して秀でている人種だ。ホモ・モビリタス(移動する)が人間の別称といわれ人間は月まで往復したが、短脚偏平かつ表面積の少ない身体は、想像する宇宙人に似て高速ヴィークルに最も適した体型だと穿った考えもあるほどだ。
日本人もその枝族だから悪い気はしないが、わが国の海外関与など片手で数えられる規模と経験だし、今だに何か悲壮感がつきまとっているような少女的感傷がある。
故郷を去るのはなにか後ろめたい敗残者で、都落ち、出稼ぎとなる。
我々は常時日本を背負っている。故国も案じて呉れる。外国で死ねば家族縁者果ては国までが全力でその骨を持ち帰る。 その少女的弱さが同化したようでせず、一歩も二歩も遅れをとって、努力する割りには認められず、いつかは帰る人との烙印を押される。
突然大勢でやって来てまた突然一度に消えてしまう人達と言われる。
昨今はもっと徹底していて、組織で介入するから個人の選択などあろうはずはなく、インドネシアはいい処だったとその後の淡い思い出だけに終わる。
内容は異なっても帝国陸軍と殆ど同じだ。男子一旦志を立てて故郷を離れざるか、死しても帰らじなどと掛け声は勇ましいが、それは中国人の移住者にこそ相応しい。
「日本と比べて、、」の会話が無くならない限り、彼等には勝てない。

落地生根。国がどうなろうと、その地に骨を埋める覚悟が出来ている。
白手起家。国の庇護も組織の救けも薄い。個人の意志で、或いは強制(追放、拉致逃亡)で故国を後にして外国に住み、営々と死ぬような偏見と差別のなかで生きぬき、その中の運と体力と才能に恵まれた男が国を左右するような資力を築く。
植民時代のイベリア人やアングロサクソンの拡汎には敵わないかもしれないが、彼等はその手段に有無を言わせない圧倒的な火力を使った明らかな侵略、征服だった。
華人移住はゼロからの出発なのを忘れてはならない。移民難民と形は変わっても軍隊蟻のように世界に淘浸して行く。

インドネシア列島への淘浸
インドネシア列島への華人の干渉は、有史以前から陸路海路で川の流れのような一方交通が続いた。マレ−の人が満ち足りていて出掛けたいと思わなかったのか、怠け者だったのかは知らないが逆流は絶えてなかった。西から東へ。
あまりの長い期間人数も多かったから、此処の人達にもそれとは知らない血の流入がある。華人排斥をする土地っ子にも、数世代前に忌み嫌う外来人の血が混入しているわけだ。それは歴史上の移住拠点のポンテイアナク、パレンバン、バンカ、バタビア、チレボン、スマラン、スラバヤ、マラン、マナドなどにみられるようだ。
歴史時代からの交流は仏教を運び、四世紀頃のスマトラ・スリウイジャヤ大仏教国にも当時で数千人の中国仏教僧が住んでいたといわれる。有名なジャワの仏教遺蹟ボロブドールに技術指導で多くの石工彫刻家が渡来しただろう。
差別も迫害もないいい時代だったのはその石版レリーフに刻まれている。
インドネシアの栄光はモジョパヒト王国ハヤムルク王の宰相ガジャ・マダが偉人として語られるが、彼はどうも中国系といわれている。華人系姫のロマンスも数多い。
元寇の役で鎌倉武士は玉砕覚悟で切り結んだが、元軍がジャワに押し寄せた時は内陸深く導いてじんわりと同化させてしまったとゆうから、ファナテイックな日本より移り住むにはこの地は居心地が良いのかもしれない。
有名なイスラム宦官鄭和海将の数次にわたる大遠征でも多くの華人がそのまま居着いたし、ボルネオ西カリマンタン、ポンテイアナック周辺は、嘗て中国人移民による最古の共和国、'蘭宝'(蘭芳)が建国され、オランダに統合されるまで百年以上続いた。年代ではアメリカ合衆国独立より古かったから世界最初の民主主義国家だといえよう。

時が移ってオランダ植民時代、強健忍耐力を買われて、多くは苛酷な労働を強いるプランテ−ションや鉱山労働者として連行されたのが近世赤道植民地の華人で、バンカ島錫鉱など奴隷に毛が生えた程度の苦人(ク−リ−)と呼ばれた。現在の古い華人の系統はマレイシアも含め彼等の出目になる。
土地の人は一家眷属がおおらかな暮らしを営む事が出来る。小作人さえ同族で援助も求められるのは日本中世と変わらない。輝く太陽の恵みで食べるのに困らず、鶏の喧嘩にうつつを抜かして多くの子供を作るのが男の仕事なのは今もって続いている列島の優雅な暮らしむきだ。商いは賎業で、銭を忌み嫌う伝統はおいそれとは払拭しない。
ジャワ人は今でも銭は汚い物、銭に鷹揚なのが男の資質と考えるところがある。
当時は農政時代だから土地農地を所有(現地人)するか権力がなければ虫けら同然だ。移住人に農地はない。虫けらはそれらしくささやかな仲買いしか生きる道はなかった。男子のする道ではなく賎業だ。乞食同然の物々交換に毛の生えたような暮らしだっただろう。幸運と才知に長けた男が宗主国の中間搾取人や徴税人や汚れ仕事(阿片など)を扱ったのは、出自も眷族も定かでない流れ者だったからで、植民者は野良犬を飼う安易さがあったのだろう。
それが今の時代の要になろうとは彼等も思わなかったに違いない。

ただすべてに云える事は、国家や企業の後ろ盾組織力はたまた武力でもなく、徒手空拳、己れの力だけで生きている。そして何処の地に流れていっても、必ず何人かの成功華人が、国まで牛耳る力を貯えてしまう物凄さは、分家日本など足元にも及ばないバイタリテイで、オランダ時代の阿片砂糖王黄一族、スハルト時代のコングロマリット林一族などは世界十指に入る富豪になった。
これだけの物凄さも、昔は家族主義の弊害と、移民基盤の弱さから三代とは続かず崩壊して語り草だけが残る惨めさだったが、現代の移住華人の未来はどうなってゆくのだろうか。やはり時の権力とともに盛衰するのだろうか。

華僑の出目
華僑は出身地、家族縁者で作る封(パオまたはパン)の組織がある。
無尽講のようなもので、中で勤勉実直な若者を皆なで盛り立てながら、弱小資本でも店を持ち、それが中央と堅く結ばれ(信用取引)発展してゆく。
中国人移民の出発地は地の利からも沿海州の福州、上海、広州、潮州それに中国のユダヤと呼ばれる客家人が主流をしめている。
客家人はその名が示すように、黄河流域に興った種族で、流浪を重ねてもそのオリジナリテイを失わず、だから迫害されても独立独歩、血族の団結で政治家軍人商人学者革命家犯罪者と東アジアの歴史に深くかかわってきた。
日本軍が数年間英領シンガポールを昭南島と改名して植民地化し完全に失敗したが、現在いつのまにか移民華僑の李氏が建国してしまった。客家人国として。

肩を寄せ合っての暮らしが親子縁故、言葉で出身地同士が助け合うのは当然で、身を守る為に集団結社的ギルドが生まれる。
大陸の権力闘争、飢饉戦争など内圧が強まると、零れおちるように流出するから頼るものは閨閥しかない。
まず血縁は姓氏団体で陳姓は頴川、劉氏は彭城、藍姓は汝南、鄭氏は栄陽、張氏は清家とゆう百家姓によって本国出身地の郡号碑を門前に掲げて帰属の証しとした。十九世紀頃から法的弾圧や経済社会の金銭浸透で姓氏団体は地縁集団になってくる。
華僑社会は大きく五つの幇(広東、福建、潮州、海南、客家)となり、それは産業経済集団を造ってゆく。行(ホン)である。米行油行魚行、革履行、洗衣行、修益行(棺桶)、打金行、故蘇行(料理)などが中華街を形作ってゆく。
華人社会が一定数以上に達すると社交団体や政治結社も生まれてくるが、多くは弾圧や非合法化されていったが、これらギルドは隠然として彼等だけに理解でき強力に潜行している。
工業社会になって福建幇はゴム、精糖、缶詰から貿易や造船自動車に、広東幇は手工業サービス部門に、潮州幇は米穀、胡椒、乾魚、精米煙草業に、客家はそれらに役人、軍人政治にも関与し女性労働者が多いのがこの幇の特徴である。
インドネシア華人はそれらの幇の中でも最も先鋭強力な福建人が多数を占める。

チュコン(政商)
二十世紀初頭のちに東インド最大となる黄仲函財閥の創業者福建省出身のウイ・チーシン(1835~1900)は太平天国の乱を逃れてスマランに移住し、1858年に支那人居留地向けに中国から茶、干魚、薬などを輸入、煙草、砂糖などを輸出し1863年に健源公司を設立し数年のうちに郵便請負、質屋請負に進出、スマトラ東海岸のプランテーションブームに乗って米の輸送で拡大した。
その子ウイ・チョン・ハムは公館の支那人の官吏となりスマラン、スラカルタ、ジョクジャカルタでの阿片請負業販売権をとって1800万ギルダーの利益をあげたといわれる。この莫大な資金で健源公司を株式会社組織にして中・東ジャワ、マデイウン、パテイ、マラン、ジョンバンに五つの精糖会社を買収する。
以後世界大恐慌や砂糖市場暴落、日本軍の占領、1961年スカルノ新体制で解体されるまで、精糖肥料業、金融保険為替不動産、キャッサバ、米、ゴムプランテーション、郵船運輸倉庫などあらゆる業種に参画した。
砂糖輸出の15%、国内市場の優に60%を占めた。衰退の要因は経済より政治が優先する社会では、権力なき財閥は生き残れない華僑の根本的体質を表わしている。
スカルノは1950~56年のベンテン計画で民族資本政策を実施して外国人(華人)の小売業を禁止するが、経験のないプリブミで経済は一層破壊され、華僑も回転率の速い商売を求め、製造や建設への投資はしなくなった。
独立後の1956年スカルノの威信をかけたアジア・アフリカ会議で、周恩来外相と懸案だった華僑国籍問題がはじめて討議された。二年以内に帰属国を決めさせるとゆうものだった。華僑の身分は実にあいまいで無国籍に近かったのは、当該国の排他感情、法整備の遅れ、華僑の母国帰属意識によるものである。
独立達成で宗主国資産接収にはじまる国有化は華僑資産にも及び、最大財閥の黄一族の解体など華僑受難時代だったが、スカルノが経済破綻で失脚した原因のひとつが不慣れな経済を国有化したことにもよる。

世界のジェノサイト(集団虐殺)史からみれば中規模だが、1960年の共産革命鎮圧に続く赤狩りでは、指を差されただけで数十万人の華人が故もなく殺戮された。
チュクン(政商)になって一人私腹を肥やすからだとか、忌み嫌う豚が好物だとか、悪徳商売をしたからとか色々ある。理由はどうともつけられる。
疲弊の極に達したインドネシアは新秩序スハルト時代にうつり社会安定と経済再建は緊急の問題となり開発発展政策は華僑資本導入も視野に入れた投資法を交付する。
スハルト政権はこの難問題を国の同化政策(中国語、出版学校禁止等)としてやや成功したかに見える。
スハルト新秩序体制成立間もない1967年にチョンコック(中国)、テイオンホア(中華)はチナ(支那)と呼ぶとの政令が出されたのは、共産党非合法が中国国交断絶に進み「お前等はチナ人なのだ」といって人心を懐柔しながら反面華僑の経済力を巧みに吸い上げる二面作戦にでた。
建前と本音の使い分けは国内投資法の制定で華僑資本の還元を図った。
権力を持たないブルジョアジーは権力者には甚だ都合の良い立場で、保身の為特定の有力政治家や軍人をパトロンとした利権事業が盛んになる。
アリババ方式と囁かれた。アリとはイスラム土着に多い名前、ババは華人である。
アリが許認可と保護、ババが金儲けと上納、現在の政商財閥の萌芽である。

民族意識の強いインドネシアで経済の九割を握る華人系は常時迫害の不安がある。
9・30事件で中国との国交が断絶して一時期無国籍者が増えイ・中二重国籍問題が悶着し、中国籍人のインドネシア国籍取得者が増加して氏名をインドネシア名に変え表向きでもインドネシアに忠誠を尽くす顔を作った。
身分の安定がない明日がわからない浮き草だから刹那的で、資本回転の早いやらずぶったくり商法にならざるを得ない。これが購買者(土地っ子)の不信と嫌悪を招く原因になる。
一将功成って万骨枯れる。世界富豪に名を連らねるサリムことリムスウリョンは二十才のとき密航した福建人だ。米の仲買いから身を興し、今ではスハルト大統領の影武者としてあくなき政商振りを発揮しその傘下企業四百社、銀行不動産証券から自動車食品、トイレットペーパー、小売まで独占する勢いで、日本企業も多数三顧の礼をとって、基幹産業でも彼の息のかからないものはない。この地に住む以上サリムの懐ろから逃れられない。
ボブ・ハサンはジャワ生まれの華人でスハルトファミリイの覚えめでたく、溺愛された子供達に取り入ってインドネシア森林伐採権を独占する。世界一ともいわれる木材資源も彼の諾否で決定された。当然政治家への影響力は想像を絶する。
世界的成功者だけでなくサリム、ハサンの同類はあらゆる行政に浸透して、その腐敗は既に文化にまで達したと嘆く正義漢も、それが構造だから如何ともし難い。
巨大組織に成長しても所詮家族経営から脱皮出来ず、それが華僑の泣き所だ。
家族縁者以外信用しない。長年培ってきた信念でもある。財閥組織も不透明で財務諸表は眉唾だとする識者もいるのは確かだ。
組織が閨閥だから資金的に限度があり重工業には育たないのが、国ぐるみで纏った日本の出番があったと思うが、近来華僑資本も変わってきた。台湾はじめ沿海地方で資本市場が盛況で、なりふり構わない投資が行なわれるようになると、主義主張などない銭の亡者だから、眉をひそめさせながらも勝利は彼等の手に落ちよう。

中国六千年の文化とゆう。確かにアジアはこの巨人国を意識せずにはいられない。
しかし過去の歴史は民衆と権力が完全に遊離した社会だった。権謀術が渦を巻き、権力は専制搾取しか頭にない政治で、もしかしたら現在まで続いている。
六千年ただの一度も纏ったことのない大陸が中国なのだ。毛が全国統一を果たしたのがいまの中国だが、余程の舵取りをしないとその歴史的伝統で現代的混乱に陥らないとも限らない。歴史は何人も忘れる事も捨てる事も出来ない民族の資質であり証しでもあるからだ。中国が経済発展すればするほど貧富、南北格差は拡大する。北の政治集団が沿海経済を統制できるだろうか。経済集団にとって主義主張は余分なものでしかない。中国専政は末端の行政組織から崩壊してゆくだろう。

一般の華僑のコミュニテイは強固で、広くこの国の流通を独占し、その為でか中華思想(中央の華)でか、排他的な優越性を持っていて同族以外の結婚はまずしない。
インドネシア人(マレー系土着人プリブミ―地の男―)との関係は良いとは云えず、何か事が起こればその矛先は必ず中国系への報復となって表れる。
余所者で下品な白豚が金蔓を押さえているのが気に触るのかもしれない。しかし華人は明らかにプリブミより貪欲だし、体力も努力も一枚も二枚も上の感じがする。そうしなければ偏見の中で帰る国もなく生きては行けない、待ったなしの環境が影響したのかもしれない。プリブミは何といっても物持ちなのだ。

華人の台頭
さて、世の中は音を立てて変動した。
銭が世界を変えて、米よりも力を持つ世の中になると、それまで貯えてきた経験と根性が一挙に花開くことになろうとは本人さえ予想しなかっただろう。
持ち前の勤勉さと狡猾さ(そうしなければ生きて行けない)で、土地の富を貨幣に変える舞台に踊り出た。環境と経験がそうさせたのだ。
それまで石持て追われる基盤のない彼らのコミュニテイで、銭の魔力だけが救けてくれ、信じられる全てになった。
彼らの思惑以上にこの変転は急速で、土地持ち米持ちが対応出来ない短期間に、世の中は現在の銭至上社会に様変わったから、もう赤子の腕を捻るよりも簡単に富は華人に集中しだした。
華僑の拝金主義は徹底している。札を飾って一心に祈る信者も多い。
日本もこの三十年で銭万能社会になったが、その歴史と根性と徹底さでは到底敵わない。
インドネシアの90%(殆ど全てといっていい)の銭は華僑の手に落ちてしまったのは、プリブミ(土地人)が愚鈍だからではない。もし無力なら此処もアメリカンネイテイーブのように文化も抹殺され混血化が進んだだろう。
経済を乗っ取られたのは社会環境の激変への対応が遅れたに過ぎないが、銭社会が続く以上これを修復するのはそう簡単には行かないだろう。長年の習慣で銭に対する感覚が両者では全く異なるからだ。
いままではそれが美徳だった地方因習や絆、伝統や美的習慣さえもジャワ人の重荷になり判断を誤らせるウエットさに繋がる。
銭はドライで情け容赦なく薄汚い麻薬だが、それを飼い慣らすのが現代の正義で、それは一夕一朝には行かない。
家柄、地位も学歴も教養も要素にはならない。数百年この方隠忍自重してきた権力も地縁もない移住人が、この麻薬を操って国までも動かす勢いだ。
銭がすべて、結果がすべて、手段と過程は顧みられない殺伐荒廃した現世が出現してしまった。

どこの国でも似たりよったりで、銭と商業資本にまみれた世の中になってしまったが、この列島は人種も含めた偏りが在りすぎるのが悲しくもある。
人種偏見は今だに人間の視床脳髄に巣食う原始的意識で、解放できないまま差別や蔑視が横行する。
平和人権団体が安易に解決出来る柔な問題ではない。
華人系差別虐待が声高に叫ばれる動乱の中のインドネシアだが、同国国籍の華人にしてもインドネシア共和国に対する愛国心は皆無といわないまでも希薄にみえる。
此処は銭儲けの場所と割り切って考える。だから国の将来とか貧民に用はない。
両方とも彼等を保証してはくれないから。
隙あらば儲けようとする商人根性丸出しだから社会信用がない。その場限りの生き方に終始して銭で解決する方法を選ぶ(それしか手段がないともいえる)
非購買層(庶民)は敏感にそれを感じ取っている。毎日毎晩市場で店でそれを体感しながらシコリが増大してゆく。社会の仕組みが非協力非理解で組みあがっている。
おぞましい宗教上食習慣の違いもそれを助長する。
もし筆者がこちらの立場だったら、国を愛さない余所者帰れ、権力に癒着して私腹を肥やす悪徳商人は殺せと旗を掲げただろう。
スハルト全盛の二十年間それは頂点に達し、スハルト王国はリム、ボブ・ハサン始め綺羅星のチュコンに取り囲まれ栄耀栄華を謳歌した。
スハルト崩壊がチュコンの末路だが、もうその前にインドネシアの富は海外流出してしまっている。国の行く末より一家眷族の安泰が大切だから。
政権交代して新権力が表れても、既に第二第三のリムがボブがぴったりと寄り添っている。体質は文化の域にまで達して変わりようがない。
困った事にスハルト時代に膨張した翼賛政党の役人軍人が大樹を失い、地方行政との癒着、小型スハルトファミリイを生み出していることだ。経験組織カリスマ性のない新政権では浄化は出来まい。スカルノでも為し得なかった大事業なのだ。

インドネシアの困難な将来
歴史的人為的な過去がこのような不自然な社会を構築してしまったのだが、壮大な実験が成功して、民族の融和が実現するのを祈るよりほかに良い考えは思いいたらない。
しかし多少の望みはある。

インドネシア華人の大多数はすでにこの地で生まれ育った人達で構成されている。
近世の華人移住から現在まで百年四世代をとってみれば、現在の華人コミュニテイは、独立、共産党非合法、対中国国交断絶、中国語禁止、同化政策など政治圧力もあって、一世は稀で二世代三世代に移行している。当然考え方は少しずつでも変化するのは当然であろう。
一代目は大陸色を強く残し子孫に伝えようと願った。コミュニテイに強く依存し保護され、固有の文化習慣、言語など現地住民との違いは大きく、またそれを助長させ、むしろ孤立化を選んだ。選民意識も相当なものだった。
時の経過で、三代目になると、それまでの堅い絆は僅かだが明らかに変化して混血や同化もみられるようだ。心の中の堅固な核(華人の誇り現地人蔑視)だけでは生きられない環境を自ら招来して、母国語さえ操れない華人が日毎に増えて僅かずつ共和国への忠誠、帰属意識が芽生えはじめている。
これに政府の同化策が拍車をかける。国籍取得、新規移民禁止、公式中国語教育、文字出版禁止等。
列島側も無意識的にも変化して、都市化(華人比率が高い)が社会をリードするようになり、そこでは華人語が現地語会話に多く使われ、若者達のこだわりは少ないように変わっている。
消費経済に組み入れられれば、お互いに否応無しに協調せざるをえない。
裕福な華人青年層が多数留学して近代感覚を持って帰国して家業を継ぐ。一家の安全から計画的に兄弟子弟を他国に出して貿易相手、情報源と金融操作に当たらせ、決断もワンマン的に迅速だから競争力では太刀打ち出来ない。しかしそれらが国際商習慣で事業を見直して、消費者あっての企業との自覚が芽生え、市場にあった物作りを考える。長期投資もいとわない。華系インドネシア人として。
土地の男達も同様に教育知識層が増えて、世界の視野で華人を見れるようになる。
情報の交錯で、喧嘩している暇なぞなく、協調してこの巨大資源国を発展させて行けまいか。情報は限られた政商が権力と甘い汁を吸える状況ではなくなりつつある。

公称六百万人といえば、最大種族ジャワ・スンダ人に次ぐ人口なのだ。多民族のこの国では種族差別意識は比較的少ない。華人の面相が違っても、世代的な眼で見れば同化の可能性はある。混血がそれを助長するのは冒頭の古い町々を見れば明らかだ。
中国移民は頑なに己れの出目を守って同化しないといった過去の論拠は弱い。
インドネシア人と言っても、イリアンの人を見る彼等の眼がやや異なる(影響力が小さいから無視も出来る)ように、華人もその異なりはあっても、いずれはきっと同化することだろう。
人口に占める異人種の割合が少ないと人間はその本性剥き出しで迫害し、同等だと血を血で洗う主導権争いが止まないのは世界をみれば一目瞭然だが、インドネシア列島における移住華人にその公式は当てはまらない。
もう一度言う。六百万人ははんぱな数ではない。商才に長けた一種族として共和国に貢献する日がそこまで来ている気がするのだが。
June 1998


 
 
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