慢学インドネシア {歴史は繰り返すか 歴史は教えられるか}
 
ホーム
コンテンツメニュー
会社概要
事業内容
トカダの意味
サイトマップ
リンク
お問い合わせ
慢学インドネシア
   
 
BACK 慢学インドネシア目次 NEXT

4 東チモール独立

ハビビ政権の早急で奇妙な決断。
1999年一月ハビビ政権は突如、自治案が入れられなけらば住民投票による帰属(独立)を容認した。
当初独立派要人(シャナナ氏)もまったく信用せず、最も驚いたのは当の両派住民とインドネシア国民、関心を持つ他国人であった。独立派(ホルタ氏)も住民投票は時期尚早で先送りが望ましいとの意見であった。
ハビビはヨーロッパで近代教育を受けた進歩的宰相を標榜しるが、長い外国暮しで国内政治基盤がないスハルトの人形でしかないから、話の分かるイメージを定着させ国内進歩派を取り込んで支持基盤を拡大させようと図ったのか、うち続く国内不安定要素のひとつを切り離したかったのか、内憂をこの難問題に振る為か、いずれにしても独立派の勝ち味はないと考えたのか、真から東チモールはインドネシア領ではない信念があったのか、指導力がなかったのか、気紛れだったのか、面どくさかったのか、現時点ではわからない程のあっけなくも無謀ともいえる反転だった。
唖然としたのが真相である。インドネシアには意表を突く事件が多いと言うしか言葉がない。
よしんば独立容認に向かって進むにしろ、十分な準備期間を措いてコンセンサスを作った上でなければ混乱を助長するのは独立急進派からも賛同されていたことなのだ。
今回の国連主導の措置は、教育制度等が行き渡っている通常国では有効であろうが、長年の抗争と無教育住民、政治未開な地方では明らかなミスジャッジで、いずれに転んでも大きな禍根を残すだろう。

逆からの視線
何故かわからないが、今独立より併合賛成ともの申せば、総スカンを喰う。
人権民主派、NGOすべての人から無知蒙昧な輩と指弾されよう。これにはインドネシア国軍と併合派が結託して独立派を殺戮、残虐行為を行ったのが最大の理由だと思う。
性急ともいえる早さで白黒をつける東チモール住民投票が八月三十日に行われ、98%の投票率は異常だが、78%が東チモール独立の道を選んだ。
現在の一般論は併合派の暴力と、それを幇助しているインドネシア国軍に誹謗が集中している。
インドネシアのこれまでの専横が悪で、チモールは独立するのが正義であるのが世界の世論となった。ポルトガルの植民地としての不条理な過去は一切語られない。
東チモールは独立を熱望しているからと、数千キロ離れた島も知らない教養人がメデイアに発表し、西欧先進国が同調するが、真実なのかどうなのか。もっともっと島の未来と、多民族国家インドネシアの地勢的人種的な勘案に立って、島民の安全と発展を考えるべきだったのではないか。
チモールはインドネシアの靴の中の小石としての道を歩み続ける選択をした。独立。

国軍兵士はインドネシアの領土保全の為に戦ってきたと信じている。
併合派もインドネシア列島の島民なら共和国に帰属して共に発展しようと考える。
隣の島々(フローレスなど)も宗教習慣種族の違いを乗り越えて、多民族国家の一員として曲がりなりにも歩調を合わせている。最初は違和感があっても長い目でみればそれが順当で望まれる姿と考えるのは常識であろう。
独立派の最たる原因は、自分がアジア人ではなくポルトガル人だとの錯覚、圧迫と性急な掃討での犠牲での不信であろう。殺戮が殺戮を呼んだ。
当初の独立派フェレテリンの武力抗争は東側から武器の供給を受け、全地を支配するすさまじいものだった。人民革命軍と呼んだ時期もあって、キューバのゲバラ、カストロ気取りだった。ソ聯がロシアになり、中国の方針も変わって補給を断たれた。

死を賭して戦ったのは両派同じである。最初はむしろフェレテリンの暴力が目立った。
インドネシア国軍最初の介入で、落下傘部隊が両派抗争地の前線に降下してしまって十字砲火で全滅し、挙げ句死体損壊は目を蔽う惨状、殺されればああなるとチモールを知らない兵士に恐慌が走った。国軍兵士の実戦経験は全くなかったから。町中で何処から撃たれるかわからない兵士は恐怖の日々を送った。盲ら戦になっていった。
状況は世界世論から国軍兵士は一日にしてその論拠を失った。掌を返して統合派を弾圧することは出来まい。
中央にも見放された現地部隊の心境は複雑だ。内戦の可能性さえ囁かれた。なにせ国土の一部を失うのだから。
よしんば独立しても、経済を背負ってきた多数の外領移住者は離島するだろうし、併合派も隣の西側に脱出せざるを得ず、島の人口は激減してしまおう。半分の20万人になってしまうとの説もある。インドネシアの援助も完全に停止する。大国に周囲を囲まれ報復ともいえるそのような処置を取られた矮小な独立国の前途は、外国援助も限界があり多難以上の不可能とも呼べる状況となろう。

オーストラリアの豹変
共和国の決断(譲歩)は苦渋に満ちて二転し、国連平和維持軍が編成され治安維持に出動する事が決まった。部隊は豪州が主体になるとゆうが、オーストラリアの態度も実に奇妙で、基本態度は併合黙認から積極的関与に急変した。
アジアの警察軍になると発言し、さしものアメリカを辟易させた。インドネシアは相互安全条約を破棄した。
理由はともかく、完全装備の白人兵が路上不審者を尋問する姿は、アジア人が屈辱のうちに植民地化された昔日の日々を想起した人は少なくなかったはずだ。
苛酷な植民島チモール
1976年7月16日インドネシア共和国は27番目の州として併合し、17000人の軍隊を常駐させた。
国際アムネステイによれば、弾圧による犠牲者は20万人以上としている。(兵力と住民数からこの数字には作為が感じられる)民族解放戦線に荷担するロシア、中国、人権問題に敏感なアメリカ、至近距離のオーストラリアなどが揃って態度を鮮明にせず黙認したのも、今となっては不可解なことだった。日本もいつものようにアメリカの顔色次第、
平和を望むと子供でもいえる談話しか発表できない情けなさ。
国連は75年インドネシア軍撤退要求決議をしたが審議延期となった。
共和国は併合後の10年間で5000億ルピアを教育医療に投資する特別待遇、縦貫道路建設など住民所得は併合以来7.5倍に増加しインドネシア化が進行した。近隣の島々は予算がとれず貧困が続くとゆうのに、東チモールはインドネシア化を推進する為に、硬軟両方で対応し、開発投資と国策でもある移民政策から、経済復興に直接利益のある外領人の大量移住を推進した。既存の住民だけで開発は不可能だった。政治資金が大量に投じられブームタウンになり、多くの出稼ぎ外領人が移住した。殆どがジャワ、ブギスムスレムで勤勉で経験知識でチモール人を凌駕した。余所者が溢れ宗教共存が崩れた。
少数派に転落する危惧を持つ原住民だけでは復興はおぼつかない現実的な問題も、宗教も絡んで利害が相反してゆく中で、国策の意を戴した国軍の強制も原住民の大きな不安と不満を醸成していったのはいなめなかった。
同じ島で西側はうまくいっているのに東側はどうしてこうも意の如くにならないのかといった体勢派の焦りも強権を助長した。

1991年11月州都デイリでの発砲事件(サンタクルズ虐殺)で多数の死傷者がでて国際的批判が高まる。不慣れな外地警備で独立派に斬殺された国軍兵士の報復で、それはエスカレートしていった。
1996年10月カルロス・ベロカトリック神父とラモス・ホルタ氏に突然のノーベル平和賞授与は醒めた眼では常態ではなかった。ノーベル賞もショービジネスか。
これにより現象に捉われるだけのメデイアで、インドネシア主権は横暴な罪人の扱いを受けはじめる。
同15日大統領8年ぶりにチモールを訪問しベロ司教と会ったが何の解決策もなかった。
スハルと独裁王としては最大の屈辱だった。

スハルト強権政権の崩壊後、民主化と人権問題がクローズアップするなか、新政権は国内の治安不安定な中で駐留軍の撤退を含む膠着した関係打開を図った。
準州として特別な権限を付託する態勢が整ったかに見えたが、共和国自身が経済危機、政変、総選挙と未曾有の難事で混迷を深めていった。
インドネシアの大多数の国民は無関心。都市居住の少ない層では厄介物がなくなる、ちっぽけな島の半分で独立出来たらしてみろ、チモールは固有の共和国領土であるから広範な自治を持つ特別州が適当が大多数、独立容認は殆ど少数である。次期大統領と噂されるメガワテイ・スカルノプトラは強硬な独立容認反対だった。(後に変心して承認)
独立の美酒はインドネシア領土に囲まれ、人材、産業皆無の僅か四十万人で、援助無しにどうして国を維持できるのかといった当然の疑念である。

東チモールは独立する。
最後に残った弱小国インドネシアが死守してきた非植民地主義での独立 アジア・アフリカ非同盟主義の偉業は、強大陣営の策謀から戦略的に維持不能となった。
この「靴の中の小石」で敢え無く終り、風穴が空いてしまった。
戦略的に国土を二分されたといっても過言ではなかろう。どうして大袈裟に国を割ると表現するかと申せば、先ほど述べたように国際協約を反古にするオーストラリアの豹変とその後の対処である。
独立東チモールは援助なしに生きていけないのは明白だが、れっきとした国となるから選択は自由になる。
西欧の作為ある「援助」人道主義の名のもとに行われる正義は、かのヴェトナム戦争でそれが如何に身勝手な大国主義だったかは明瞭な事実である。
世界人類平和と申し諸国に干渉する大国は、その国益が第一義なのは子供でなくてもわかろう。非常に危険な一国支配でそれにむけ狡猾な収斂が起こっている。
日本帝国が地中海と称したチモール海は、オーストラリアが熱望する北方海域への同盟国として東チモール国が浮上してこよう。戦略的な突破口が開く。
地勢的に孤立した大陸オーストラリアは北指向が強い。過去パプア、メラネシア諸国、南太平洋島嶼国に触手を働かせ、多数の弁務官、アドバイサーを政府機関に派遣している。独立後の東チモールが同国の庇護属国になるのは明らかである。
オーストラリアの豹変がそれを如実に物語る。黙認変じて難民受け入れ、軍隊派遣で発言権と既得権の確保に乗り出した。独立臨時政府事務所がダーウインに設立された。
9月22日オーストラリア・ハワード首相は、ハワード・ドクトリンと称して「世界の警察官たる米国の役目をアジアで果たす」と国連平和維持軍派遣を前に言い放った。

同じ島の植民者の違いで共和国領となった西チモールの現状については一言の解説もなにもない片手落ちな日本の報道。飛び地の OECCUSSI のことも。
こんな不自然な地が旧因縁を引きずって独立する。

チモール島の悲劇は白人侵略植民
東西チモールは共和国のなかでも最貧地帯のヌサテンガラにある不毛の地である。
東インドネシア・ヌサテンガラ諸島最大の島でその東半分、四国程の面積が旧ポルトガル領東チモール・テイムール(TIMTIM)で、殆どが乾燥山岳地帯(最高3000b余)で約56万人(テイトン、ケマック、ブナ、マカサイ、マンパイ族)が14の言語を持つ。カソリック教徒だがいまだに土着信仰が支配する。占術や祈祷が盛んで部族抗争も激しく、周辺も含めてヘッドハンテイング(首狩り)は茶飯事の祭礼だった。植民者はこの悪習を禁止するのに手こずったが長い年月続けられた。
日本軍占領時にも些細な事から四万人もの住民が拘束粛清された。

現今の紛糾は、人工的な利害得失だけで対応した西欧植民地争奪による後遺症である。
十六世紀ポルトガルが簒奪して経営したが人頭税など搾取は強烈を極め、かの高名な博物学者ウオレスが訪れた時、極貧は動物以下と嘆いている。
以後状況は何も変わっていない。
ポルトガルによる搾取は、それまで世界から求められた唯一の財産である貴重樹サンダルウッド(白檀)は乱獲により壊滅し、再生不能の森は乾燥と洪水をもたらし、最果ての地は放置された。
イベリア人植民地の常としてポルトガル領の混血は進み、トッパセスと呼ばれる帰属不明な人々が遥かな宗主国に想いを馳せても、リスボンではブラックポルトギスと差別される。
国力が低下し、政治混乱のポルトガルは利益を生まない辺境の島を無責任にも放棄したのだ。ポルトガル人と錯覚していた多数の混血人はこれにより最後の帰属を失った。
勢力を拡大したオランダとの三百年にわたる住民不在の抗争の結果、島は現在の国境で分断されてチモール東側はポルトガル領植民地として残り、独立インドネシアは旧宗主国オランダの権益地を国土としたので西半分は東ヌサテンガラ州となり、東チモールは不安定なポルトガル植民地で取り残された。
太平洋戦争での日本の南方干渉でのチモールは豪亜地中海と称した重要な位置ずけで、一万の兵力投入は人口比から南方占領地で最大だった。豪州への要石の存在で現在も変わらず、逆にオーストラリアにとっては北方文化圏への最短距離を意味する。

1974年ポルトガルの無血クーデタ、カーネーション革命の政権移動で、海外領土非植民地化でアンゴラやモザンビークの独立と同時に東チモールにも波及し、即時独立派フェレテリン、インドネシア併合派APODETI、ポルトガル連合後独立派UDTが結成され内戦状態になり、フェレテリンが全土を制圧して東チモール民主共和国宣言。
他二党がインドネシア併合を宣言したが、義勇軍(インドネシア国軍)が首都デイリに侵攻しフェレテリンはゲリラ戦になる。
インドネシアは当時共産化を非合法化して新秩序を構築中だったので、ゲリラに対する共産圏からの武器援助には神経質で徹底的壊滅を意図し多数の犠牲を払った。

混乱する(統合派の住民虐殺)東チモールに、アジア諸国の司令官は過去の経緯から白人ではなくアジア人が望ましいとゆう要望は無視され、オーストラリア治安維持軍が進駐した。オーストラリアはこれで東チモールへの発言力を確定した。
2000年二月、初期の目的を終えたとして国連主導の国際軍と交代したが、オーストラリアはこの時点で既に経済的干渉(必要援助とゆう)を強化して大量の物資、海上ホテル、車両燃料などを投入し既得権獲得に躍起である。
何もない無知な住民は、独立、併合よりその日の安全と糧に興味がある。
チモールはあっけなくオーストラリアの属国になった。
考える力のある教育ある若者の多くはどちらの側につくべきかで悩み内乱で死んだ。
行政を維持できる人材はいない。言葉も若者はインドネシア語、中年はポルトガル語、女老人は方言なら統一する思考すら生れ難い。いったい独立国の欣司を保てるのか。
建国時点で既に外国無償援助なしには生存すら維持できない国があっても良いものだろうか?
地勢的人種的基本文化はレッサースンダ(東インドネシア列島)なのは明らかである。

国連はじめ最も関与したオーストラリアは当然のこと日本の援助を強請している。
日本は派兵できないから再び金銭を投げ与えるだろうが、実権は全部オーストラリアの手中である。国連は正義の味方と標榜しても無力なのは過去が実証している。
人道的援助の美名だから拒否は出来ない。それもいいが、住民からも感謝も意識もされない高額の援助金が日本から投下されるだろう。教養人が望んだ幻の独立国の為に。

 
 
BACK 慢学インドネシア目次 NEXT
   
    Copyright (C) 2001 TOKADA. All rights reserved.