
7 伏魔殿か、竜宮城か
彼の国のことを縷縷として書き綴ってきた。
インドネシアは起業には不向きな市場なのだろうか。
我々は目先の事より未来を展望した大きな見地から、両国の親善友好に資さねばならないとお題目を唱えても、それは小鳥が月を望むに似て、理想と現実は裏腹で、希望や大望は多くの制約や齟齬で挫折するだろう。
しかし、彼の国には他国には感じられない'何か'がある。
そんな抽象的な考えはビジネスマンにとって不要のものだと言われるだろうが、ちょっと聞いて頂きたい。
長い間いろいろな国とボーエキなる仕事で右往左往してきて、さしたる思惑もないまま
インドネシアに住ませて貰った。
任地を比較してみても彼の国は、事業的には最もやりにくく、特に小資本では対応出来ない多くの問題が鬱積して、自分の無能は棚に上げて、この市場は国家規模での対応しか出来ないのではないかと真剣に考えた。
ではどうして多くの私人がこの市場を特別な宝の山として、飽くなき挑戦を試みるのだろう。
客観的にみても、インドネシアは'何か'が他国とは異なる。
親日感情が世界一良いだけではない何かがあそこにはあるようだ。
◆ 戦時中、理由はともあれ二千人弱の日本兵が復員帰国を拒否して独立ゲリラに合流して白人軍と戦った。これは太平洋戦争で最大数で、あくまで個々の意志で決めた男達だ。植民地開放の先頭に立った日本下士官達は人々に鮮烈な印象を残した。
◆ 日本からの経済援助、借款、技術供与でも最高額を維持している。もっと他に援助する国があろうに。
◆ 大企業駐在社員で、最も多くの人が在職中あるいはその後、会社を離れてこの地を市場として独立の道を選ぶ。米国や中国より多い。
◆ インドネシアに関係を持った人達は、おしなべて親イ派になって、懐かしく語る。
これは殆ど例外が無いほどなのは、海外勤務者としては希有の赴任地だと思う。
◆ 旧軍人、企業人が帰国して親睦団体を作るが、関係した人数では米国や韓国や中国の
方が多いにも関わらず、インドネシア関連団体は他国を圧倒的に凌駕している。
またその絆も非常に強いのはどうしてなのか。
外国暮しでは、任地が親日か排日感情かで快適性は大いに異なるのは言わずものがだが、
インドネシアは直接的に日本が関与した太平洋戦争で、大した戦闘もなく占領したから兵士達にも余裕があり、食料調達や徴発も過激ではなく、白人支配を排除したアジア人として賛美された。そして支配する前に敗戦で退去したから、軍隊の専横が露見しなかった(暴虐があっても地域的衝動的だった)。ヘイホー(兵法)など徴用で苛酷な役務を課せられた人々もいたが、体勢的には独立ゲリラに参加した日本兵の無類の働きが際立った。独立の英雄スカルノが大の日本贔屓だったことも挙げられよう。
賠償工事や外資導入で多くの邦人が駐在するようになっても、彼等は勤勉正直で現地の人々と率先協力して植民地時代にはない人間扱い(当然のことだが)をした事など、現地の人達より金持ちで技術も上、それに大いに気前も良かったのが噂を倍加した親日感情に繋がったものと思われるのは幸運といえよう。インドネシアは大の親日国といっていい。
住民は基本的には穏やかで、邦人が彼等に対してどこか抜けている程人がいい印象を持っているのも、日本人を最初から疑い嫌悪しない国民感情があるからだろう。
インドネシア語は日常会話程度なら簡単に覚えられる言語だ。アルファベットを使用するから少し勉強すれば新聞や手紙も習得できる。これはコミュニケーションには非常に有利になろう。
業務ではトレードイングリッシュで事足りる考えがあるが、事業は人なりで、心の疎通は現地語なければならず、特に現場では必須の条件である。
大陸側(中国、インドシナなど)の言語の発音は真似ても不可能に近い。
タイ語の'マ'だけでもアクセントによっては八種の意味に分かれるとゆう。文字に至っては発音が正確でないかぎり書けない。不可能とは言わないが至難であろう。
日本から七時間程で行ける時間は、いくら有利だからとは申せ南米やアフリカとは根本的に違うアジアの一員なのだ。
日本人は故国を背負っている。切り離すことは出来ず、また望まない。
距離、旅費からも遠隔地はその後の対応が困難となろう。
ホンコンやシンガポールも国際都市で住み良いが、そこは文字通り都市国家で、商業以外の可能性は低い。国の姿が根本的に違う。
オーストラリアやニュージーランドを好む若者も多いが、住めばぎくしゃくする白人人工国といっては言い過ぎだろうか。
ヴェトナム、ラオス、ミャンマーやインド亜大陸も魅力だが、日本との関連はまだ浅く、
お互いに探り合い状態ではないか。
事業地として残るのはフィリピンやマレイシアを除けばタイとインドネシアになろう。
タイの親日感情も悪くはないが、気候や佇まいを考えると私はインドネシアの多様さに軍配を挙げたい。タイやマレーシアがどうと言うのではなく、好みの問題だろうが。
眇めともいえる口調でこの国を書いてきたし、事実ビジネス経験が浅く資金力にも乏しい相手では公式などあるはずがなく、行政の腐敗も一朝には是正されないだろうから伏魔殿に違いはないが、運と努力と切磋で、この豊穣な国の恵みを享受するチャンスは必ずある。竜宮城はどこかに存在するのだ。
半世紀の国民的結束で、近代先進国の仲間入りをした母国でこれをしたためながら、筆者は明らかに伝説の浦島太郎になって、竜宮城に旅をして乙姫様に逢い、玉手箱を貰ったような気分になることがある。現地滞在がなかったら、こんな感覚にはならなかっただろう。滞在した十数年は正に'月日の経つのも夢のうち'、仕事も大切だが、間抜けと言った彼等から実に多くのものを貰った気がする。
戴いた玉手箱はまだ開けてはいない。
もっと大きな箱と代えて貰う為、いま大亀を探している最中なのだ。
私達が最も戸惑う、その多様性が私を呼んでいる。
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