
14 ブアの叛乱 第八章
メインゲートの横にパロポから移動した兵隊が銃を組んで坐り、手持ち無沙汰で私を見上げた。私は眼をそらした。
後から肩をたたかれ、びくりとしたら食堂のブデイマンだった。
「うまいナシ ゴレン炒め飯それにサテアヤム焼き鳥、 マカッサル風 スープ チョトマカッサラもあるよ、たんと食べてね」
「ああ、」 わたしは生返事しかできない。
誰が敵で誰が味方か、みんな私を見ているようだ。
事務所で中尉たちに昨日の礼を言ったが、殆ど無視された格好で彼らはスダルソ、ムミン署長や私の知らない町のお歴々と早口に喋りあっていた。
誰も小宮山を話題にする者はいなかった。
「いよいよですね、ボス。どうでもいいけど僕は胸がいっぱいになるんです」
「そうだろう。君は最初からの付き合いだからな」
サトウテインギはやや声を落として続けた。
「しかしボス、このままじゃP3は稼働しません。それを僕は直接将軍達に説明したいのです」
「仏作って魂入れずだが、テインギ、止めとけ。無駄だよ。君の純粋さと彼らの目的が違うようだしな。それに君の言わんとする事は将軍が聞きたくない、耳が痛い話だろう。ニコニコしてサテでも食ってお開きとしよう」
「僕はジャカルタの本部に行く事もないし、オ偉いさんに会う機会も今日を措いては無いんです。言って改善されなくても、言わなければならないのです」
「それも解る。だがタスの責任者は私だ。そのうち機会を捉えて言う事にしよう」「一緒に話させて下さい」
「だめだ」
「なぜです?」 「今日は祝いの日だ。お前の一言で何人の男の首が飛ぶかもしれないんだ。出過ぎた真似はよせ」
「僕はただ、技術的な事だけを申したいと」
「くどい! ガキの癖に控えろ」
大声に岩佐が重い顔をあげて我々を見た。わたしはいらついていた。
「僕には解りません。そんなに悪い事ですか?」
「俺の歳になったら、いや、今度の休みに反省会とゆこう。これが終われば部長にも出張してもらう。シャツにアイロンを掛けて、俺と君と、ジャカルタに行こう。だから今日は俺から離れるな」
裏の出口からプラントサイトを眺めた。
仮ポンプで汲み上げた水が貯水漕を満たしていた。右手のソウミールは、赤白の慢幕が飾られ折畳み椅子がずらりと並べられていた。ゼネレーターは二基掛けでいつもの倍の音をあげていた。左のボイラー室の排気管からも細い蒸気があがっていた。それらはいつも見慣れた風景だったが、私には普段より強い光線で白く浮き立つように見えた。
決起とはいったい何をするのだろう? 将軍の頬を張りとばすのは大人気ない。
まさか、、、。
朝だとゆうのに歩くのも苦痛なくらい疲れた感じだ。
時間がきたらしい。岩佐を乗せてメスに戻った。
この老人は何の感慨もないのか、嬉しいのか悲しいのか黙って路肩の兵隊さんを眺めていた。
マセは知り合いでもいるのか時々笑ってハンドルから手をあげて挨拶していた。
我々は運動場に白く描かれた線にそって並んでジャカルタからの客を待った。
トンポの姿がない。私はさりげなくウイリーに聞いた。
「ついていないよ。この期に及んでひどい下痢だって。ソンダ先生が往診したが歩けそうにないって。今日を逃したら三年は遅れる。彼にお呼びはないよ。可哀相に」
黒い点がふたつ鹿山の上に表れ、耳をつんざいて空気を切り裂くローターの回転音、出迎えの人に充分埃を浴びせてから灰色のシコルスキーは不様な姿で降りたった。最初に言われなくてもその仕事しかない偉丈夫のSPがタラップを二股で降りてきて、左右に一瞥をくれるがブアの村には山羊しかいない。
そしてサンバス将軍が副官と。一年半前に会った時よりふたまわりは肥えて背丈は低くなった。ワルダルモノ知事、名前のように大分貯め込んだとゆう噂の通り虫も殺さぬ笑顔だ。直接付き合いのないソレア中佐の上役が黄色の肩章で二人、紺のサファリスーツの高級役人ワンセット、カメラマンがサンバスとスダルソが明日死ぬような姿で抱き合い肩を叩きあうのにフラッシュを焚く。
ふたりの中尉はシートパイルみたいに直立不動、将軍がなにか言うと靴の踵で音をたてる。
返事の仕方にもいろいろある。
岩佐の次に私が握手。軍人らしくない柔らかい手、スダルソが名前を告げると、「メスタアキヤマ、協力を感謝している。この前会った時より少し痩せたかな。これが済んだらジャカルタへ招待しよう。ホテルでデイナーでも一緒にな」
「何があるかは知らないけれど、将軍気を付けて」
私は言葉を呑んだから何も返事が出来なかった。
胸が高鳴ったから、将軍は私が痛く感激しているように感じたかもしれない。
私は誰かを裏切ったのか。銃口に狙われているのかも知れないが、私も将軍もほほ笑み続けた。弾は飛んでこなかった。
トンポがいない。地雷でも埋めてあるのか。
今日は子供になって小旗を振る方にまわりたい。
ジープの一団は水牛の群れが日陰げを探して移動するように、兵隊が整列する道を進んだ。
招待客の拍手が起こった。
事務所前の国旗掲揚塔で、ゼネラルサンバスは指揮棒をしごき新しい国旗に敬意を表す。手慣れたものだ。
式典に参加し標板に署名する度にシボレーがベンツに、議会の門が近ずく。
スハルト大統領とハマンクブオノ副大統領のばかでかい肖像に保護されるように額を背に知事やお歴々が居並ぶ末席に小さく坐った。なぜか副官とSPが私の顔ばかり見ている。護衛のSPは刈り上げたばかりのGIカット、太い首が緑のシャツでは隠せないマッスル筋肉につながりボタンがとびそうだ。ワンサイズ大きい服にすればいいのに兵士はそうしない。幸い持っているものはマッスルだけだから、私の胸の悩みは見通せない。
いったいトンポは何処にいるのだろう。便所にいるわけはない。
どうしても窓のほうに視線が行く。
「ミスターアキヤマ」 たしかステイムランの二回目の呼び掛けが耳に入った。
「トンポ中尉が来られるまで、トアンサトウが配電関係のご説明を申し上げろ」
それでは、といって一同は席を立った。
「ミスタコヤマはお気の毒に」 ムミン署長が小声でお悔やみを言ったので、サトウを行かせない言い訳を探す暇もなく、彼は巡視の為ソウミールに歩きはじめた一団に続いた。
「佐藤!」 あとが出ない。 行くなとは言えない。
佐藤は振り向きニッコリと親指を立てた。チャンスを掴んだサインとみた。
取り巻きに囲まれ、グリュウ棟から出てきた将軍は、そうしないと歩けないのか指揮棒をまわし、その金の飾りが光線を反射し、だんだん遠のきながらゼネレーター室に向かっている。
私は急いで位置を変え貯水漕から見通せる場所に移った。佐藤は頭ひとつ高い。
その時、クラッカーが弾ける音がしたのは、続けて二回。
ソウミールに居並ぶ招待客の悲鳴。
集団が突然ふたつに割れて、将軍にぴったり寄り添っているのはトンポではないか。
集団の中からラメ織りの背広が走り出た。連続音が彼の走る方向、ボイラー室の横から起こって、ワルダルモノはつんのめるように貯水漕に落下、飛沫があがって終わった。
分離した集団がふたつ、或る距離をおいてジェネレーター室にはいるところだった。佐藤の頭が見え隠れする。
跡に大きなボロ布がふたつセメントの上に投げ出されて、ほかの男達を気遣う間もなく連射が立て続けに起こり私も身を伏せた。
威嚇の高い弾道が事務所の窓を撃ち砕いた。
どうしようもない。事務所に転がり込み、岩佐が口をポカンと空けている横を駈けぬけ奥の無線室に。
もうそこは白煙が立ち篭めて、レオフォンランケが破壊したSSBの前に、銃把の短いカリバーを右手に雑嚢を引きずり、拷問で曲がった顔で立っていた。
「インシャ アルラー! シゴトが始まった。これまでの好意、ありがとう。早くブル置場に行け。マセがいる」
私が振り向くのとステイムランが飛び込むのと同時だった。
跳ね飛ばされてドアに当たって床に転がった。
「バラスレンダム、マテイラーッ!」
憎しみを込めた掃射で、床は中尉と巻き添えのレイナが長い髪を血で染めるあいだを四つん這いで這い出た。
自分が自分でないほんの数秒、定かではなかった。
「撃たれる」 「馬鹿野郎、早く!」
岩佐の腕を掴み、なぜか咄嗟にメガホンをつかみ走りでると、探すこともなくタスは佐藤がいないだけだった。
日本人は晴れの舞台では仲間はずれの感じで、どこかの日陰で駄弁っていたのがむしろ幸運だった。
「パロポの兵隊のおよそは知ってます。奴らはデイナス勤めでいるだけ。メスに帰ります」
マセはやけに落ち着いてクラッチを踏む。背中を見せて散開している兵隊は見向きもせず、招待客は何事かも解らず四つ角に逃げ固まっていた。
メスに帰った。 爆発音も射撃音も聞こえなかった。
とにかくタスを無事メスに連れて帰れた。佐藤だけが残ったが。
私は初めてトンポの意がわかった。彼は出来る範囲で考えていたのだ。
タクデイールが夜中、車に細工する姿が浮かんだ。信用出来る。危害を受けないでこの人数なら一度で脱出出来るだろう。なにか黒い大きな雲が湧いているような力を感じた。
レッペを呼んで奥の部屋にベッドマットを集めさせた。
流れ弾とゆう事もある。
私の部屋にみんな集まってもらった。
「何が起こったのかは私も知らない。が我々には危害は加えない。そうでなければ今こうして此処には居られない。騒動はその内静まるだろう。そう長くは緊張してはいられないから」
それを否定するように銃撃音が激しく始まった。
「ただ佐藤君が不明だ。少し様子を見て私が連れ戻す。この部屋からはプラントが見えるから、万一男達が近ずくようなら、抵抗するな。大丈夫だ。安心だ」
自分にも言聞かせるように言った。
「ステイムランが殺されたって?」 と久保。
「たぶん」
私ははじめてステイムランのB型血液がシャツにべったりついているのに気付き、右肩に激痛が走った。
「そんじゃあ脅かしじゃあなく、殺しあいじゃんか」
千葉が。
私は答えず、マセに水と燃料を積ませようと表に行ったが姿はなく、ジープだけがあった。
レッペに飯を炊くよう命じた。
断続的に銃声が聞こえる。
テインギは? 背伸びするようにプラントの方を見ると、運動場に数人の男が走り出てヘリに駈けより、また駈けて学校に消えた。
鈍い爆発音と一緒に焔と黒煙があがりシコルスキイを包んだ。煙が流れてきた。
はじめその煙で部屋を変えたと思ったが違った。みんなが部屋に戻らないので廊下に出ると、千葉が荷物を車に積んでいるではないか。
「おい、ジープを使う時は私が言う、まだ早い」
久保もいっしょで、「ダチが殺され、俺だって狙われてんのよ。オッサン。誰にも頼めねえ、俺っちで帰る。もう決めたんだ。逆らわねえでくんな。ジープはおっさんのもんじゃあねえ」
「おまえのものでもない。みんなのものだ」
「うるせえのよ。俺っちはとうにもう此処にゃあいたくねえんだよ。岩佐の、ついて来きゃあ早く荷い積みな」
燃えるヘリに怖じけずいたのか。
「佐藤を連れて来るまで勝手な真似は許さん」
「何処にいるのかもわからねえのに待つのかよ。そうしてる間に皆殺しだ」
「とにかく待て。騒ぎはすぐ知れわたる。山越えは危険もでるだろう」
「おっさんだけが道知ってるわけでもねえさ。ぼけなす」
久保との距離を八歩と踏んだ。遠い。右肩を押さえながら前に出ようとすると、久保はスペアタイアの影から飛び道具を向けた。
「おっさん、俺りゃマジだぜ。おもちゃじゃあねえんだ。寄るなよ」
改造23口径はおもちゃだ。怖いだけだ。怖さで気が狂う事もあろうが、一歩踏みだした。
まだ遠い。
「ジャラン スダルサック 道はない!」 マセの大声が花壇からした。
飛び込んだ。一瞬足がもつれて不覚にもポーチの段を踏み外し、転げ落ちてしまった。マセの投げた竹棒が足にからまって起きあがれない。
「街で会ったら落とし前つけっからよ」
ジープはひどいクラッチをつなげ、砂塵をあげて走り去った。
私は座り込んでしまった。鉄砲より大切な足を盗られた。
むこう脛をさすった。
「ブアの橋は渡れない。オバット薬を仕掛けてある シ ベゴ 。馬鹿たれ」
マセの言う渡れないわけを聞く必要はなかった。ジープが全速力で村の四つ角を曲がり椰子林に消えて間もなく、パッと閃光が走り、腹に響く爆発音がした。
煙と土砂が椰子を越えて舞い上がった。
「ブレンセック畜生!」
「プラスチック、最初に渡った車が コルバン 生け贄、車はあっちしか持っていない。救けに行っても無駄でさ、そうなるように仕込んだから」
私は情けなくて悔しくて、二回目のくしゃくしゃの涙で顔をこすった。
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