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17 ブアの叛乱 第十章

「シンジ」 ラジャデインは初めて私の名を呼んだ。 
「使ったことはあるな」 油の沁みた古新聞の包を差し出した。
「これも保険かな」 
鉄の重さより重く感じるペレッタ33オートマチックスペシアル。 
使った事はないと言ったが顎で答えられ、弾帯でくるむように受け取った。私は左利きでベルトは使えないし、吊したところで重いだけだ。 
「便りを待て。連絡する必要はない。儂には全部解るから」 
ラジャデインの眼とあったが、柔和ともいえる瞳からはなんの光もあらわれなかった。 
放牧族コンジョだろうか、トロピカルポニーに膝を短く折った乗り方で、思い思いのスンジャタ銃器を鞍壷にたてた十数騎が、文明の利器トヨタを追い抜いて行く。小川も薮も彼等にはアスファルト道と同じ、上体が微動だにしない。 
確かに文明の利器も場所によりけり、不整地では騎馬がまさるように。街道筋でいじめられたあの制服組は苦戦を強いられるだろう。 
白煙をまき散らしながらシンカンの町は巧みとゆうほかはない迂回で通過した。それまで知らなかった地図にない道が縦横に通っているのだ。
私の知識もこんなものだ。余所者ガイジンはスープに浮く灰汁のように上っ面しか知らず、彼等の心の深い情念には触れられないのだ。 

あの時空から見たテンペ湖の脇で二回目か三回目の薬草を替えてやった。 
包帯を取ると異様な臭気が鼻を突いた。佐藤は呻くだけで重患そのものの状態になりつつあった。古い薬草はからからに乾いてこびりつき、私もマセもこういった仕事は得手でないのが分かった。 
「おんぼろでもこの車にゃあ指一本指すこたあ出来ません。この辺じゃあカラエンの車って知ってますから。だけどチャンバ峠を越えて平地になり、馬鹿どもが増えるとただのポンコツです。
今日からは話し合いはないです。この車に手をつける男はこれです」  
男がよくする手刀で首を切る仕草をしたマセは、舌までだしたので何かひどく実感がともなっていた。 
「将軍たちは処刑されないで山に入る。ランテパオの昔の日本兵の陣地だったマクーラって洞窟って聞いてます。
ダトックの手引きで糧抹、弾薬、無線けっこう長いことかかって運び込んだもんです。あそこならアトミックでも壊せない」小宮山とロスメンマリアで泊まった夜が浮かんだ。 
「ダトックがそう言えば 黒虎だって近ずきませんや。それにしてもボス、あん時トアンが、中身はなんだねバズーカかねって聞いたときにゃあ肝が縮んだっていうもんでさ、ほんとに図星だったから」 
 
雨がきた。昨日と同じ味だった。ワイパーがないのはまだしも、佐藤をキャビンに入れられない。梱包のビニールで包むしかない。雨が降ると涙がでるものなのか。 
「カラエンの旦那はスルー海イスラムからも道具を集めておいででした。ザンボアンガとかバシランとか。
オランダとスペインが兄弟を離したとよくお話でした。赤か白か、すぐふたつにひとつを選ぶのがこの頃のやり方ですが、それ以前には奴らの知らない色で暮らしてたんです。こんだあ誰彼かまわず共産呼ばわりしてブル島送りは出来やしません。制服にも同志がいますから。
ただ誰が味方かもあっしらにゃわからんで。まあこんな時にゃあ早いもの勝ちが生き延びられるんでさ」  
ソッペンを通過した。 
マルワが最初に嫁いだブギスの町だ。よく絹の布地を買いにきた町だ。 
甘い夫婦の思い出がある町を不細工な車で走っているが、自分の置かれた状況を忘れられるように美しい夕日を背負って、チャンバの峠は予定どうり日没後になる。 
土地勘がでると焦らなくなる、もう少しだ。 

町を外れてグラウンドを右に見ながら坂を下る。思いなしか人通りがないか。 
カーブした道がやや登りになって、土手の先に橋があるようだ。 
マセはそこまで来て停まった。 
「トアンも荷台に乗ってもらえばよかった。見られた」 
私にはまだ何も見えなかった。 
「車に当たると困る。離れて、道の左側をゆっくり。撃つ準備をしなせえ」 
百米かそこらの橋のたもとの両側に、緑色の制服が銃を持ってこっちを見ていた。
マセはもう道の右側に降りて路肩に立った。緊迫感はなかったが、稲田が風でざわつく音が大きく聞こえた。
私は言われた通りホックを外して右手で持ち、斜めにして確かめてレバーを起こした。中身は重さで分かったからスライダーを引いた。
パシンと最初の鉛が納まるところに納まった。左に持ちかえるときMからAに替えて、もう一度言われたように車から離れて立った。
なんの予告も警告も、儀式もないまま、伏せる暇も与えて呉れずに鋭い風が私の脇を掠めた、ように思う。音も聞こえなかった、ように思う。
「テンバックラートアン! 撃て!」
並木の前に出ながら両手を臍の前に固定して、ペレッタの指を絞った、ように思う。音が聞こえたと同じ早さで、マセは黒鼬のように測溝に沿って突進する姿が眼の隅にあった、ように思った時には銃のハッチを操作して俯いていた緑色はもういなかった。私も無意識に駆け出したが、幼稚園児のように躓いてしまった。

マセが兵士の処にいた。
一人はうつ伏せに長くなり下が黒く染まっていた。
もう一人は銃を投げ出し笑っているような表情でしゃがんでいた。恐怖の極では子供の顔に戻ると云うが、彼はまだそんな歳だった。
「 マウ マテイ 死にたいか」 マセは答えの決まっている質問をした。
銃を拾い、一度狙いをつけてから弾倉を抜く。
「服を脱げ、靴と鉄砲をそれに包んで頭に乗せろ、川下の麓まで駈けろ。最初に会った男にジャファと聞け。逃げたらどの道、命はないぞ」
兵士は丸くなって走って行った。後には相棒が出血の池のなかにいた。
何のためらいもないように、足を引き摺って土手から蹴落とした。鉄兜が最初に転がって川に落ち、その人も四回転して縮れた頭から水に沈んでいった。
私はただぼんやりとそれを見ていた。二三分の惨劇、いや日常の農作業の感じもする殺人は悪を感じさせなかった。            

人殺しは裁判にかけられる。新聞に殺人鬼と書かれる。
ひとたび軍服を着てお国の為に殺しをすれば、旗をたてて迎えられ英雄になる。一人殺しても絞首刑、エノラゲイで広島で十万人殺してもお咎めはない。人間はかくも勝手なものなのだ。
この殺しはどっちになるのか、私がいま川に沈んでいるのか、頭のなかで実に奇妙な一刻が過ぎた。
マセは私の頭脳のような高級詩的思考など微塵もなく、どっちが死ぬか一瞬の運に賭けたからそう言った。
「ウントウンニャ カヤ クルタス運は紙の薄さっていいます。奴のボルトがタッ マチェット絡まなければ。エンフィールド銃は慣れないと、五度に一度はバレルが戻らないのに賭けたス。
トアンのが当たるたあ、はなから思わなかったス、撃てないかもしれんし。
だけんどあの一瞬が勝負を分けたって、音がすりゃあよけい慌てるから。なぜ奴らが俺等を的にしたかが分からんです。はなから殺る気だったス。
P3をもう知っていたか、黒虎と思ったか、制服の黒虎だったのか、ただ脅かして煙草銭漁りか、まあ今日からはポンでおしまい。こっちもいずれポンでお仕舞いですかね」
土手の黒い油みたいな跡を見ないようにして、いつかまた此処を通ったら出来事を思い出すだろうか、不意に縮れ毛の頭が不自然に曲がったのが蘇り唾がたまった。
辺りは心のように暗くなっていた。

つづら折りの急坂にかかり気がせくほど車は走らない。
あれからパロポの情報が流されていたのならエンフィールド銃があふれ、バレルがスムースに動けば運は向こうに転がり込む。笑い事ではないが、マセは'今'に生きていた。
人の銃を無造作にシートの下に入れ、クラッチを踏む足は、あの人の黒靴で飾られていた。
短いトンネルがチャンバの峠、下界はウジュンラムルウからマロス、マカッサルに続く百キロ。
マセは風に吹かれて停車した。
「ジャンブラパ、トアン 何時です?」 下の方を眺めたりしている。
佐藤の薬もあらかた使いきっていたし、なにか後ろから追われている気がしていた。ずっと下の方でチカリとライトが点滅したか、音が聞こえてきて、車だ。
白のランドクルーザー、ドアにPM憲兵の文字、これで終わりか。
ドア越しに白いヘルメットとマセ、尉官クラスが降りてきた。
私は慌てて武器をドアの下に投げた。隠す暇はなかった。
「御供します。名はパトローレのハサンとでもして下さい」
「カラエンの?」 彼は僅かに眉を上下させ頷いた。
「トアン世話になりました。もう着いたも同じ。あっしも拾って呉れた人の為、アサルアダハラパン運次第。お達者で」
凶器ペレッタを拾って、使用人から相棒になった小男の手に渡した。
「ビスミラーヒム、サトウは助かる。これはバパに返して呉れ、役に立ったと」
シートに置き忘れた弾帯は彼が拾った。

マロス発電所の点滅する灯りを見た。
マロスのお巡わりはPMハサンだから鯱矛張った。
何台ものダッジウエイポンとすれ違った。
ステラマリスは起きていた。出てきた医者と看護婦は患者よりも後ろのPMハサンに注意がいっていた。
引渡しが終わると憲兵はよそ行きの顔で敬礼し、何も言わずに行ってしまった。
「頼む、それに事情もある」 右手の札が束だったせいか、「医者は患者にしか興味がありません」 と言って呉れた。

私は待った。
待合室の堅い椅子に尻半分のせ、体をこごめ膝に肘をのせて、私は待った。寒い。
髪に天使が被るのと同じ白い飾りのある帽子の天使が、神の代理で宣言した。
「意識不明、先生は遅すぎたとおっしゃっています」
「時間通りに行けば、病院には来なくて済んだんだ」
「あらまあ」とか言って、頼みもしないのに腕と脚を消毒して呉れた。
こっちこそもう手遅れだ。毒はもう頭の中まで回っている。
「あしたが峠」 不意の銭を物にしたお医者様が、神の声を少し訂正した。
身寄りがないと言うと、念の為と切断同意書の紙をぬうっと差し出した。私は震えながらサインした。
立つ気力はとうに失せていた。鉛の玉は入っていなかったが、鉛のように重い身体になっていた。
床の沁みを数えていると、黒い大きな靴がふたつ、その後ろにもふたつ、医者はこうゆう靴は履かない。看護婦は殊に。
「ダリマナ 何処から?」 
「パロポ」  
以外な返事に顔を見合わせているのが俯いていても解った。
「ケマナ 何処へ?」
「此処が俺の街だ」
「住所!」  「スンガイサダング 51」 「名前!」
わたしは顔をあげた。もう何もかもが面倒臭くなっていた。


わたしはぼろぼろになって戸口に立った。まだまともな人が起きる時間ではない。テラスの椅子に身を投げた。犬が寄ってきたようだがそのまま眠ってしまった。
目蓋を開くとサトウペンデ、押谷、吉田みんなが輪を作っていた。
「吉田、腕はもういいのか」
「何を言って!自分はどうなっちゃっているんですか!」
「ペンデ、そっちは痛い方の腕だ。とにかく水を呉れ、それからコーヒーだ。濃いやつ」
タスの連中はまだ何も知らず車の修理を待っていた。
「小宮山マネはいつ?」
「五日前か」 いまの私には昼も夜もなく、二十四時間に何の意味もなかった。
「ほかの連中は?」  
「パロポと一緒に殉職した」
道のお粥屋から二皿持ってこさせた。
屋台の前に緑色のサイドカーが停まっていて、二人の兵隊がこちらを見ていた。
私はコーデイネーターのソレア中佐を電話に呼び出し、
P3が全焼した事、タスの引き上げ帰国手配を依頼した。
中佐は知ってか知らないでか、「アンビリーバブル信じられん!」 と言った。

サイドカーのひとりが来て、貴方はアキヤマかと丁寧に聞いてから、「参謀本部に出頭せよ」 と命令した。

 
 
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