慢学インドネシア {フィクション}
 
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18 ブアの叛乱 エピローグ

二時間も'手長猿'のモール煙草を嗅がされ、あげくの果て通行証は没収され、禁足命令を貰って
放免された。
私は海岸通りへ行くベチャを捜した。
ズーンとゆう腹に響く音を聞いた。今度は気のせいではない、続けてしたから。
ベチャは雀が飛び立つように、この広場の何処にも、もういなかった。
足を引き摺って帰ると、客間の壁に老田がストローハットを被って笑っていた。
その前にカンボジャの白い花、ウイスキイの壜がそえてあった。
私はツウフィンガー注いであおった。劇薬みたいに咽せた。老田が怒ったのだ。
少し足して今度はゆっくり写真と対面した。
ほかの不幸な運命の男達はそれぞれの胸のなか、飾る時間も飾れと命じる心境でもなかった。
港で大事故があって、スラバヤからのLST輸送船が爆発して、乗員と部隊が全滅したらしいと、下男の早耳で知った。広場で聞いた腹に響く音だったのだ。
もう電話は止まっていた。マルワは在所に行っていた。
ゆっくり不安定な二日が過ぎて行った。

サストロサスミナワタ大尉殿はだぶだぶの迷彩服に着替えたのか音沙汰はなかった。佐藤には面会出来ないものの、若さの力で命は失わずにすみそうだった。
足ひとつくらい無くても嫁のきてはある。
押谷は、「想像を越える幕切れだったですね。こうして話していても信じられない小説みたいです。ボスはその時の音、聞いたんですね?」  
「聞いた」
誰もが事件はどうあろうと自分の機械に人格のあるような話し方だった。
これが同胞の潜在力だろう。

昼頃、またサイドカーが来た。心の準備をしたら調整局の使いで、事務的に本日四時出発を告げられた。
排気音が遠ざかるのを見送ると、並木の陰でさぼっていたお粥屋のおっさんが花梨糖のような茶色の腕をすうっと伸ばして手渡したものがあった。
[Komando Kodok terjadi kapalnya tengelam. Boleh m'nujuke Jeneponto]
「蛙部隊作戦成功敵艦沈没、ジェネポントに行け」 
下手な字でも読めた。
スキューバを背負って忍び寄る男の姿が、ラジャデインの笑い顔とオーバーラップした。

日本人技術者は身の回りのバックしかなかったが、それで文句はでなかった。
もう空気そのものが変わっていて、黙った慌ただしい身仕度で迎えのダッジに乗った。ハサヌッデイン空港は既にただの原っぱに戻っていた。
軍用車は意識的に、焼け落ちたターミナルを迂回して整備棟の裏に停まったが、何処のエアポートだって見晴らしはいい。あの暑い日、小宮山を出迎えたイジョウ葺きの屋根は無残に焼け落ちた残骸を曝していた。
コーデイネーターのソレア中佐と部下が待っていた。
中佐は地面のような皮膚、それ以上噛んだら黒い血がでてしまう唇を結んで無言。きたるべきジャカルタでの苦汁をもう味わっている表情だった。
「将軍無事のニュースは?」 
意地悪く聞こえるかもしれない。
「今日中には、、」 が答えだった。
旧式のダグラスがエルロンを上下させ離陸出来るか考えている風だった。

メインの矢部に、「保険でリオット暴動じゃあないウオークラウセス戦争条項が適用されるはずだ、。帰国したらすぐコンタクトして欲しい」
水の山下には、「必要なら矢部さんや佐藤君に状況説明してもらいなさい。君の努力は解ってもらえる」 
彼は躁鬱の躁にかわってにっこり笑った。
ペラの巻き起こす風を横切り、一人ひとりと機内に消えて行く。
「ペンデ、世話になったのは忘れない。心から礼を言う、ありがとう」
佐藤ペンデは声にならなかった。腕を伸ばしながら、
「ボス、さあ早く!」
わたしは頭を小さく振った。笑っての積もりでも顔が強ばった。
「わたしは残る」
爆音が激しくなった。差し伸べた腕を手繰り寄せ、此処のやり方で抱きついてきた。派手な別れだったが不自然さはまったくなく私たちは肩を強く抱き合った。
「カパン ビサクトウム? いつまた会えますか」 
ほとんど泣いていた。
「テイダラマ ラギ! そう遠くないうちに」
もう返事も聞こえない。涙も風圧で飛ばされる。係員が強引にドアを閉めた。
ダグラスは重い躯をエプロンで向きを変え、風で飛ばされそうになりながら私は窓に手を振った。

さようなら、、、スラマットジャラン、、、

夕日に向かってダグラスは西の空に消えた。
これでハサヌッデイン空港は閉鎖になる。

ステイムランと唄った♪シオ、いつ帰れるかアンボンへ♪がふと浮かんだ。

わたしはもう、こちら側の人間になってしまったのだろうか。


★ 著者あとがき

パロポプロジェクトは長い閉鎖のあと、今は台湾資本で操業していると、風の便りで知りました。
二十年ぶりで再会したトンポ氏は退役して、新空港ケーブル埋設工事会社の社長さんで、その時ステイムラン中尉はマイヨールジェネラル(少将)になったと聞かされました。
親友バパラジャディンは私の虎の子を持ってムナの島から帰ってはきません。もし再会する日があれば、銭を返せと言いましょうか。いや、先方さえ宜しければ懐かしさで肩を抱き合うことでしょう。
「ビアールインサジャ、どうってこなあないス」とハンドルをとったマセの消息はありません。
是非会いたいものです。
思い付かないまま、皆様のお名前を拝借した無礼をお許しください。
これが日本語記述で、すべてがフィクション、サンバス将軍、スダルソ社長、ワルダルモノ知事も実在しませんし、戦後賠償工事は外資導入法施行前に全て終わっていますし、発令は1972年でした。
インドネシア共和国はひとつの旗印のもと、年6%の経済成長を続けております。三十時間もかかったトラジャの国への登り道も、いまでは舗装され多くの観光客の訪れる町に変りました。

1969年、南セレベス・パロポの工場建設現場で、満天の夜空の星を眺めながら空想した事を、得難い現地体験の上に飾って書いてみたものです。消閑の具にして頂ければ幸いです。

                                1990年12月

 
 
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