慢学インドネシア {フィクション}
 
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2 ブアの叛乱 プロローグ

南セレベス・マカッサル 
街は心なしか沈んでいるようにみえる。たぶん、わたしがそれを知っているからそう感じるのかもしれない。

ベチャ輪タク屋はゆっくりペダルを漕いで、セデルマン通りを右折してカレボシ広場に向かう。朝の低い陽が、カユアサムの並木をすかして斜めに差し込み、わたしとベチャとその運チャンにチカチカと光をなげかける。
緑色の兵隊を満載したダッジのトラックが二台、幌をばたつかせ、寝呆けたように点滅する赤信号を無視して北へむかって走り去った。

「なにかあったのか」 私はとぼけて振り向いた。              
ベチャ屋は黙ったまま脚を動かしていたが広場が見える頃になって、「司令部マルクスブッサールにゃあ、なんの用で?」 と聞き返した。
私が黙っていると、いい加減たってから、独り言のように、
「北じゃあ騒動って噂、チナ人は逃げ支度。当分は出歩かないほうがいいよ」
[北ってゆうと、マジェネのほうか」
「知らねえけど、死人もたんと。バスも止まっている」            
「マチャンヒタム(黒虎)の仕業か?」
ベチャ屋はもうそれには答えず、ゆっくりと自分の仕事にかえっていった。

広場を囲んで州、県庁、警察、ラジオ局、グランドホテルと国軍司令部が並ぶ。革命をおこすのには楽な配置だと、ふと思った。
憲兵本部の手前でベチャを降りるとき右足が悲鳴をあげ、右腕は包帯なので体をよじる。不便さがあれを思い出させた。ずいぶん昔のような気がするが、まだ一週間もたっていない。

遠くでズンと鈍く響いたようだが気のせいか。この町で大砲を撃つようなら、こんな処で時間を潰す意味はもうない。また数台のダッジが暴走して行くのを見送り、足を引きずりながら門衛の立つ白い門に近ずく。                              
白いたすきスパッツ襷に白い脚絆、白い手甲に白のヘルメットを目深くかぶった左右の人形がふたり、私のサンダルが一歩踏み込むと、斜めに構えた銃を機械の正確さで突き出して、「何用か」 人形らしくない大声をだした。

「サストロサスミナワタ大尉に呼ばれている」 
長ったらしい名前のスミナワのところでつかえた。
「カ−テ−ぺ−KTP(身分証明)!」  
「ない。ガイジンだから」
「パスポート!」 
もっと小さい声で言ってくれ、傷に響く。

「昨日も呼ばれて此処に来た。 入れて呉れないほうが俺には有り難いが」
肩ごしに覗くと、中庭にけっこうな兵隊が迷彩服で集まっている。
時が時で、場所が場所だから悪い冗談はやめて、目を伏せ白いスパッツと軍靴の紐を見ていた。
衛舎のなかから三つ児があらわれて後にまわり、靴をガチッと鳴らしたので顔をあげると、ヘルメットが5ミリ程上下したので、しょうがない、わたしは三つ児を従えて正面から左の階段を昇った。

ドアの横にタイピスト、かどうかわからない、まだ新聞を読んでいるから。                             窓を斜めに背負って大尉。反対側に赤白の国旗と鷲かなにかの鳥―あひる家鴨ではない−が描かれた部隊旗が疲れたように垂れ下り、その奥の部屋は誰がいるのか、何に使うのか知らない。
「グッモルニン、メステルアッキーヤ、ホーワーユー」 
これは英語だ、と思う。
「スラマットパギ おはようキャプテンサストロサ、サスミナワタ」
わたしは机の名札を読みながら今朝にふさわしい美しい挨拶を送った。

「昨夜はよく眠れましたか、メステルアッキーヤ」
「アキヤマです」
「失礼、外国のお方のお名前はどうも難しい」  
「ほんとに、キャプテン」   
私たちは何も可笑しくないのに心から笑った。

細く長い手足、華奢な肩の上に乗っている顔は重量に見合って極端に小さい。
チョコレート色の皮膚、小さいふたつの眼を分ける低い鼻のインテークは上をむいて、シアマン手長猿の緑のユニホームは痛いほどアイロンがかかり、胸といわず腕にも、スマトラのジャングルで迷子にならないようにワッペンがいっぱい縫い付けてある。
状況によっては長いデスクワークに別れを告げて、その細い体にだぶだぶの迷彩服と40キロの装備を背負うはめにもなりかねない。

シアマンは「シッドーン、ペリーズ」 坐れと言ってから、彼のその日で最も重要な仕事をはじめた。
昨日とまったく同じだから今日の質問も同じのはずだ。
マール煙草の青い袋を慎重に引き寄せ、間違いのない分量を三本の指で摘み、右手の紙に火薬を扱う注意深さで均等においてクルクルと巻いたそれは、本人と同じ細さだった。机を使って完全な円筒形になるまで均してから、おもむろに舌を使って舐める時、チラリと一瞥をくれ、満足気にふたつの排気口から煙を排出した。

あまりに幸せそうな表情だったので、私への仕事はもう終わったのではないかと思った程だった。
なにか沈思が続くので、私は仕方なく鼻の穴からでる煙の量を計っていた。
ふいに名案が浮かんだのか顔をあげた。言葉は昨日とあまり変わりばえはしなかった。
「なにしろ貴方は問題地から最初にこの街に入ったお人だ。誰がどうして、どうなったか正確なお話を期待します。

貴方はそれはサッドンリイ突然に起こったと申しておられるが、我々には信じられないのです。
情報では、貴方が親しくしていたお友達の多くは、残念ながら向こう側の男達だという。然るべき報告を怠る事、嘘は言わないだろうが事実を隠す事は重要な過ちになり、外国人といえども、事が事だけに厳正な法の裁き受けなればなりません。それを自覚して頂きたい」
大尉は私の顔を通り越して後ろの壁に焦点を固定した。

私も焦点があわず何気なく振り向くと、タイピストは新聞を畳んで、白い紙を重そうにドラムに巻きつけ、尋問の用意が整った。
「昨日の続きなら、マセと別れたところからでは?」
「貴方は質問に答えるだけでよろしい。それにしても貴方はよくも無傷で、誰の援助も受けず、私の部下の目にも止まらず街に帰ってこられたものだ。不思議とは思わんかね」
「同感だ。運が良かったのか神様が救けてくれたのか。日頃神様とは仲良くしているからだろうか、此処にいること自体現実ではない気分だが正確を期すなら、援助は受けた」

「アルラーの神への表現は適切ではないが、英語なら致し方ないとして、その援助とは?」
「昨日も話したでしょう、あの親切なパトロールの将校さんとか。マセだって考えようでは業務外の大変な仕事をやってくれた。たかが外人ひとりの為に、飲まず喰わずだったからね」
大尉はなにかを探すような素振りで机の上に視線を動かす。そして、「ところで、貴方の奥さんは此処の人だそうですね」と一気に話題を代えた。
「こういった状況では、たとえば質問を尋問に切り替えた場合などだが、外国人滞在許可も本官の一存でどうにでもなるのですよ。拘束とか、強制退去とか」
「夫婦生き別れはありがたくないな。大尉にその権限があるなら、よしなに願うよ」

「トヨタに乗り換えた時に会った人は?」
「誰にも。佐藤の容体が悪く、水を飲ませたり、濡れたシャツを代えていたら彼がポンコツで現れたのだ。誰のものでもいい、使わせてもらおうとは、私でなくてもそうしただろう、せっぱつまっていたから」
「そのトヨタが乗り捨ててあったのはお話ししたかな?」 いやな予感がした。
「ウエイポン軍用車が盗まれた。 ソピール運転手は射殺されていた。トヨタは現場から2キロのところにあった。もちろんソピールはいなかった」   
「いつ?」  大尉なそれには答えず、沈痛な面持ちで電文のような紙に視線を落とし、わたしは、マセが私の二発目を使ったと知った。

大尉はなにか悪い事でも言ったかしらといった感じで、下を向いたまま腕がマール煙草の青い袋にのびたので、私の僅かな表情の変化も彼には捉えられなかっただろう。
「泥棒でも人殺しでも、やる前はただの人だ。鬼でも悪魔でもない。私の友人にセタンはいない。
誰だろうと気があえばお茶も飲むだろう。そうして貴官の質問にはノーと答えるしかない。もし知っていたのなら、国軍の精鋭には勝てないから止めたらと言ったろうし、そんな忠告より、私がやらなければならない事は、技術供与の日本人の安全を計るのが、私の給料に対する務めだ。
必要なら貴官に連絡しただろう。いや貴官とは昨日会ったばかりだから軍とゆう意味だし、あの状況ではそれも不可能で、義務も果たせなかった。サッドウンリイだったから」
大尉は相変わらず机のなにかを探していて喫煙の儀式は開始しなかった。

「マセだが、それまで献身的に働いた男がお達者でというなり消えてしまった時、私は何故か、彼が急いでいるようで、間違っているかもしれないが、強いて申せば大尉の言う向こう側の人間じゃあないかと感じた。こうゆう事は簡単には言えないが」
少しは点数もあげねばならない。大尉がせっかく招待してくれたのにタイプに打つ話がなければ格好が付かないだろうし、マセはもう自分の仕事についたらしいことがわかったし、それに彼なら絶対に捕まらない自信があった。

喋りすぎてはいけないが、喋らなくてはならない。相手は憲兵大尉、専門家は素人とは違う。
嘘を嗅ぎつける特殊訓練を受け、優秀だから大尉にもなったのだ。
必要なら彼らの使う奥の手も知っているし、使われた男も見たこともある。
それに先進国からきたと威張ってみても、途上国のほうが個人の権限がある。気に喰わなければ、調書なんかどうにでも書いて、セメント抱かせて鮫の餌にすることもたやすい。権力はすべてを正当化する。

素人の嘘は必ずばれるから事実をしゃべること。片手で数えられる程の事実は隠せるだろうが、両手ではもう多過ぎて必ず辻褄が合わなくなる。
私の前にいるのは手長猿ではなく大尉なのだ。
「タクデイールも居所不明ときている」
「困っている。帰り着いた時はもういなかった。日本人十数人、なにも出来ないで途方にくれていた。捜してくれたら有り難い」

「必ず捜しだす。ふたりとも。それに貴方の何人かの親友も。その時貴方に不利な事が起きようとそれは本官の関知した事ではない。本国送還ならまだしも、殺人関与となるとインドネシアの臭い飯も喰わねばならない」
「わたしはただの外人だ。どっちの敵でも味方でもない。いや、なれないと言ったほうがいい。
どっちが勝とうが負けようが損も得もない立場だ」

部隊旗が揺れたように、大尉はやれば出来る視線を私の眼に移し、喉の三角をドクンと鳴らして湿りを呉れてから、
「どっちが負けようがだと? 言うなればこれは反乱、国家への反逆なのだ。国の予算で高い給料をとっているお前らは国の雇い人。奴等に耳を削がれ喉を切られるのはお前達なんだ。関係ないならとっとと自分の国へ帰えりゃあいい。現地の女房を残してな」

インドネシア語に代えた手長猿は、眼を据えて白すぎる歯と、裂目のような薄い唇を使って、リパブリックインドネシアとかパンチャシラ(建国五原則)のお題目を並べ立てている間、わたしは彼の流儀に従って視線を後の窓にあてて、あのあとマセは、中尉たちは、将軍は? 
奇妙にも日本人の顔は、生きた人も死んだ人も、誰の顔も浮かんではこなかった。


 
 
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