慢学インドネシア {フィクション}
 
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21 雲に隠された小島 3
                            
 冴えない朝でもそれはぼんやりした太陽が昇って明けたが白っぽい感じがあった。
海面はそれまでの青い海とは違い、白く濁ったミオが幅広い帯になって、軽石も浮いていた。
「人です。三人。ボートがでます」 ツアイスを覗いていたカマダは自分が人間以外の生物のように、ヒトを強調して大声をあげて続けた。
辺境で危険なのは毒蛇でもなければ猛獣でもない。寄生虫とある種のウイルス、それに突然会う人間だ。
「えぇっ、女らしい」
ひとりの男がふたりの女に漕がせて近ずいてくる。
ボートはこの国の腕木付きカヌーではなくクラッチの付いたオールを持っていた。
眉をひそめ眼を細めて眺める間にもボートは何の迷いもないように、我々の心の準備を無視するようにリズミックに油凪の水面を漕いでくる。
昨日から経験則を破られ通しの対応を強いられていたし、睡眠不足もあって、どうすればいいのか判断が出来ない。予期しない出来事が起こる予感が支配して硬直し、物理的な距離だけが縮まってゆくのをただ眺めるだけだった。

驚いたことには舳先に花が飾られ、もっと驚いたことに女は腰布を纏っているだけだった。
争いや脅しに花や女はそぐわない。今朝の光景は最も望ましいが、何か違和感がある。 忽然と沸いてきた感じで、造られたもの、非現実感がぬぐえない。
若いカマダが事実を素直に受け入れて舫いをとるのを眺めた。幻影ではなかった。
男は存外正確なインドネシア語で、
「満月の汐は滅法速いから乗せられたようですな。Sukurlah berselamat datang, 無事でなによりです。運のいいお方だ」
そのようだな、と応じてチェンケ煙草を差し出すと男はとって吹かした。
縮れ毛に小さい頭蓋骨、焦茶色の肌に皺が多いので歳はしかとは解らないが中年以上にはなってはいまい。腕も手も華奢で労働のタイプではない。白いシャツを着ているところを見れば一応我々を客としているようでもある。
やけに落ち着いていて初めて会う礼儀も心得ているが、挨拶だけではないだろう。ここの背景と、男の態度がまったくそぐわない予想外の出会いで混乱するのは昨日の黒い雲と同じだ。水深を計るようにまだ見えない出方を推し量って顔も強ばった。
「このところグヌンアピが怒っていて、風向きではこんな靄の日が多くて」
男は首をまわして自分の来た渚から右手遥かな火山の頂を眺めていた。
横顔はどうみてもコーカソイド系だ。ポルトギスか。
漕ぎ手はスターンパルピットに横座りしている。ひとりは黒い直毛で露わな胸が隠れ、カマダが手渡すチョコレートをはにかんで受け取っている。
戦意はない。かけらもない。

「十日もして月が欠けたら汐も納まるでしょう。ウントン岬では難破する船が多いとゆうのに、神のご加護あれ」 
男は十字を切った。間違いなくポルトギスだ。
「船乗りは相身互い身といいます、欲しい物があれば申してください。もっともここにはそう何でもあるわけはありませんが」
「Untung juga, masih punya makanan, air dan obat pelorpun ada 幸い食糧も水も、火薬もある。Tetapi,,namanya apaya pulau ini だが、、、島の名は何とゆうのかね」
私は慎重に、手のうちを見せないよう、武器を持っていることも仄めかせて言った。
磁気障害はまだ言うべきでないし、電気もない村では質問しても意味はない。
「村はカスティール、土地ではプラウ・ニカと呼ばれていますが、噴火で島が繋がってから何と呼ばれているやら。なにせルチプラ諸島からは大層北に逸れていますし、人も来ませんからね」
また出直します。あなた方は当分出帆出来ないだろうから、もっと岸に寄せればよろしい、などと言う極く自然な後ろ姿を見送りながら、緊張と不安があの四つの乳房で解消したわけではないと言聞かせたが、確たる証しのないまま平和が訪れたのかもしれなかった。
 ジャカルタを出航するひと月程前、街の北にあるトゥグのポルトガル村に伝統的といわれる演奏を聴きに行った。
トゥグはその昔オランダが、帰りたくない、帰れないポルトガル人達を幽閉してから三百年も独自のコミュニテイを作って生き延びてきた村で、鄙びた教会を囲むようにしてひっそりと暮らしていた。
その日は教会の高窓から由緒ありげな幟旗を垂らし、楽団がマンドリン風のカチャピをかき鳴らし、古老とひどく肥えた老婦人が、彼らだけに解る言葉で稚拙な歌を唄った。
下手さ加減が、茫漠とした歴史を感じさせて余りあったのを思い出していた。
「カマダ君よ、奴の喋り方顔つきも正しくポルトガル人の血だな。今日からの事は記録しておく方がいい。男が言ったようにこの島がルチプラ諸島の一部なら、マジェラン時代の1512年にマラッカ海峡経由でモルッカを目指したアントニオ・デラウ船団、三隻で百二十人といわれているが、その中の一隻フランシスコ・セサーロが難破した。
遭難地はアンボンの西のヌサテール島と記録されるが、一説にはこのルチプラの何処かとも云われているのだ。この村がそのセサーロの末裔とすれば、、、」
「四百年も前の話しでしょう、ロビンソンクルーソウ以上ですね。それより参ったな、あのトップレス嬢には。ボスは感じなかったですか」
「俺もまだ男だ、とびきりだったな。シロット、お前はどうだ」
ペイドクルーのシロットはドグハウス横で、これ以上小さくなれないように膝を抱えてしゃがみ込みレモンを齧っていた。
「トアン、まだ俺の忠告を聞かないのですか。あの女共はクンティラナック、魔物です。JANGAN ゼッタイ TUNTU TIDAK 近寄ってはなりません。誘きだしです。
俺がラッサ岬を交わすとき頼んだのに。プウトリ・オップに生け贄を捧げないからこうゆう事に。出来れば船を降りたい位です」
「お前の化物は背中に穴のあいた別嬪だろ。この際クンティラナックでもいいから喰われたいよ」
カマダはボートの去った砂浜を眺めながら屈託がない。

浜を眺めて笑ってばかりもいられない雰囲気がある。
太陽は黄色く精気なく中天にぶるさがっているように、視界は何となくぼやけてスッキリしない。普通どこの島に寄っても物見高い村人が我先に舟を漕ぎだして、あれ呉れこれが欲しいと賑やかなのだが、それがここにはない。
浜は静まりかえり生活の息吹が感じられない。そう考えればあの訪問にも作為が感じられないか。この天気のようにすっきりしない。何かが違う。陰気なのだ。
そんな気分で何回も入江の周囲を見渡した。スターンに置いていった黄色の花は萎れはじめ、コンパススタンドは相変わらずあらぬ方角で固定したままだった。
キャビンに降りて男が教えたプロウ・ニカを海図の中に探した。
我々は東南スラウエシ・バウバウ沖でビノンコ島をかわしてから殆ど南緯五度を忠実に東航した。シロットの言うラッサ岬もその線上にあった。
バンダ海の五十万分の一のチャートにニカの名前は見当らなかった。ルチプラの回りに散在するリーフ群のほかには。
「わからん、ニカはあるのかもしれんし、他の名前かもしれん。ジャワのプロウスリブ(千の島)でも、海図にあるウビやニルワナなど海中に没していまはない。エダムの横には海図にない島がふたつもあった。クラパ(椰子)島はハラパン(希望)に、ハントウ(幽霊)島はJALが観光投資する時プウトリ(姫)と相応しい名前にしてしまった。
第一海図そのものが植民時代オランダが作図したものだ。本船航路ならいざ知らず、鳥も通わぬこんな辺境では島のひとつふたつ書き忘れたところで誰も文句はいわんだろう。
しかし村まである島が忘れられるものかどうか。イスタナドウユン(竜宮城)かもな」
冗談めかしてカマダに声をかけながら、汗が引くような薄気味悪さがまとわりついて離れず、キャビンの温度が上がり、引いたはずの汗が粘度を増して吹き出してきた。
シロットは生け贄とかお祈りとかぶつぶつ言いながらフォクスルから出てこない。
冷蔵庫も電気の事を考えれば開けられない。そこらにある袋とまた缶詰で腹はくちくなるが、頭の角にわだかまる疑問でどうしてもビンに手がゆくが、毒薬を飲むような味しかしない。
◇ ツアイス:双眼鏡 スターンパルピット:船尾安全柱 ペイドクルー:雇い船員 サバンダル:水上署 スラットジャラン:通行許可証


「ボス、また来ますよ。今度は何の御用ですかね。ミスプロウニカもご一緒だといい、眼の保養になる」
デッキから声がかかった。
「申し遅れました。わたしは村長のゴンザレス、今晩フェスタを開くことにしました。
船乗りには新しい果物、野菜も必要でしょう。どうか招待を受けてください」
Terima kasih banyak 有難うと言いながらも、ゴンザレスの皮膚のうちに隠されているかもしれない何かを知ろうとした。
「あんたが村長で、郵便局はないだろうが、警官や駐屯兵はいるのかね。いるなら敬意を表さねばならんし。我々はただの観光航海で、珍しい貝殻でもあれば嬉しいだけ。
密輸品も奴隷買いでもない証拠にジャカルタ・サバンダル発行のスラットジャランもある。アンボンの市長も待ってるしね」と嘘も交えて存在を強調した。
私は相手の戦力を知りたかった。知ったとしても逃げることもかなわぬローニンだが、
平和も時として事件になる。退屈した、ワッペンをつけたユニフォーム姿の男性集団は、自分達の慰みだけで事件を作る。そんな手合いの玩具にされてはかなわない。兵士の無謀を訴えても絶海の孤島では援助も救助も、正当性すら暴力には勝てない。
「陸からも海からも用事があってこの島に来る人はおらんです。三つ月に一回たまにチナの船が、それも潮のいい日だけでね。駐屯兵でも来てくれれば歓迎ですが、残念ながら村は全部ゴンザレス、先祖がちょうどトアンのように流れついてからずっとゴンザレス。島から出ていった男も私をいれても数えるだけ、帰ってきたのは私ひとり」
ミスタゴンザレスは詩人のように呟いた。
私は持ってきたボトルから試しに少し注いで顎をしゃくった。彼は飲んで咽せた。毒を警戒していない。
「満月です。ゆっくり楽しんでください」
漕ぎ手は朝と同じく乳房で方向を定めるようにして帰っていった。


 
 
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