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28 ニラの人魚 第一章 5 (Aquatec Ape 水棲原人)

Aquatec Ape
ウィンの熱弁で洗脳されたのはアクアテイックエープ水棲原人のくだりだった。
人科の起源は肝心の類人猿から二本足歩行、直立猿人に進化した糸が繋がらない。
いわゆるミッシングリングと云われる。失われた輪は何故失われているのか、資料部に依頼していたコピイが届いたが、インドネシアは人権、民主主義云々でIMFからの支援が得られない得られるとか始まって閑がなかった。名前が何であれ借金に変わりはないのに。
インドネシアの対外債務は1400億ドル(16兆8千億円!)日本が3.5兆円で突出している。同じ舟に乗っているのですよ、破綻したら共倒れですよと脅かされている。
人科の生涯で考えればどうとゆう事もないのだろうが、そうと言ってもいられない。
この国は政府と庶民と庶民にもなれない貧と全く別々に生きているようだ。国が破産するとゆうのに華人経営のモールに人が群れ、アーケードには手をのばして物乞いする親子、満員バスが黒煙をあげて通り過ぎる。遠くのゲデ山にエサウが住んでいても驚かない。

マンデをしてさっぱりする。裸の身体に水を浴びるとウオータープルーフのように水滴が玉になって落ちる。体毛は水流に一致するし毛が生えていたら水中では重量が増えるし体温を奪われる。
人間の上体も哺乳類の中では流線型でラッコやオットセイに近いのはゴリラとは脂肪の厚さが違うからだとその本に書いてあった。
人間の祖先が、近縁の類人猿たちの極くゆっくりとした進化を尻目に、この華奢で小器用なチンパンジイが人科に進む目を見張る進化を遂げ、知力をつけてホモサピエンスの称号をえたが、それはミッシングリング或いは'広漠たる空白'と呼ばれる化石が発見されないこの900~300万年の間隙に何かが起こってそうさせたとしか考えられない劇的なエポックなのは確かなことなのだ。考古学的時間ではこの変化は突発的で、この猿だけが次に表れた時には猿人となっていて、異なる大躍進を開始する。
人科が親戚たる類人猿とは全く違う道を歩むことになったのかを推論してさまざまな仮説が登場し、常識的にはサヴァンナ説が有力である。
この仮説はそれまで樹上生活をしていた大型類人猿が、気候的、行動的要因でそれまでの熱帯雨林が減少しアフリカ大陸大峡谷地帯東側は乾燥し潅木で覆われた草原となる。
華奢で小利口な類人猿(人類の祖先)は森を追われて新しい環境に適応する為に、移動に直立歩行を体得し、食性も果実から肉食に変化して狩人になっていったとする。
アクア説
人間に特有な形態学的生理学的特徴の大部分は実は特異ではなく、陸生の哺乳類ではユニークな形質だが、かつて陸を捨て水棲に戻った哺乳類に共通する特徴が顕著だとする新しい推論で、1950年海洋生物学者サー・アリスター・ハーデイが、人の他の類人猿にはない皮下脂肪層(ブラッパー)に着目した。
進化のプロセスの中で、陸棲から水棲への回帰は肺呼吸する爬虫類鳥類、哺乳類が地上から水中に入ってさまざまに姿を変えて適応したのは枚挙にいとまなく哺乳類が地球上に現われる以前から続いている。七千万年前の鯨、イルカなどが哺乳類で最初に水中に戻った種で五千万年前には草食有蹄類の象の仲間の海牛類ジュゴン、マナテイがある。2500万年前になると熊に似た哺乳類のオットセイ、アシカ、セイウチでアザラシは陸では恐らく犬に似た種だったろうと思われる。そしてこれらが興味深いのは、最初に水に入った時にはいずれも新生活に特別に適応してはいなかったことで、適応しながら進化していったのは明らかな事実である。
ミッシングリングの数百万年の期間の中で起こった生息環境の激変に、大型類人猿の一種が否応無しに投げ込まれてそれに適応し、ふたたび陸棲を余儀なくされた時点で、彼等が他とは決定的に異なる進化を遂げていたとする大胆な仮説は、直立歩行、無毛、皮下脂肪、涙、性交、言葉のすべてに説明がつくとしている。
人科の特異かつ短期間での独自の進化は、自己の選択ではなく外的要因たる激変した環境の成せる事だったとする仮説は説得力がある。なぜなら哺乳類のなかでこれほどの変革は種自身の適応では到底達せられない人間だけが得たむしろ偶然の産物だからだ。
いつ、どこでそれは起こったか
ワシントンDC海軍調査研究所レオン・PリュミエールJRがサーアリスター・ハーデイが提起したアクア仮説から、それは中新世末期のアフリカ森林地帯のどこかで起こったと想定して、一群の類人猿がかなりの長期間にわたり他と隔絶されたとし、隔離状態は鮮新世の終わりか更新世の始めに解消したと考えた。初期ホモ類の化石がこの時期から各所で発掘されるからである。
そして彼は地質的地理的に詳細に調査して、現在エチオピア東北部のアファール三角地帯と呼ばれる一帯の北部から中部にかけてのダナキル地塁を特定した。
そこは長い間海水により大陸から孤立した島で、水が引き再び大陸と繋がった時、我々の始祖はアフリカ地溝帯に沿って南下を開始したのだろう。

ダナキル地塁
南北540`、東西75`の森林山岳でラマピテクスの生存に問題は何もなかった。
アファール三角地帯の火山造山活動は活発で、海底推積湖底推積、蒸発残留岩形成が並行して、赤色層と呼ばれる砕屑性推積層の堆積がそこで起こった。この推積層は今から540万年から2400万年前のものでダナキル低地の両側に細い帯状で残っている。
赤色層の大部分はその後の推積物や溶岩により覆われている。
比較的平穏な時期が長い事続いたあと再び地殻変動が活発化してダナキル低地に海水が流入する。約670万年前である。
鮮新世の初期にはダナキル地塁はインド洋アデン湾と繋がった紅海の中に取り残された。現在のバーブ・アルマンデル海峡と水の引いたダナキル海峡である。
人属進化の筋書き
人類の誕生は今から500万年から一千万年前だとされているが、少なくても150万年から300万年前程度の間、一群の類人猿が大陸での本来の生活に戻れずダナキルの島々に取り残され、水棲を余儀なくされたのではないかとゆうのだ。
鮮新世は乾燥が加速した時代でもある。
森林は後退し尋常ならざる状況で、エチオピア断層崖などに住んでいた彼等の従兄弟達は内陸高地に森を求めて撤退していっただろう。海水が浸入して島々に孤立したダナキルの彼等は食糧確保と捕食者から逃れてさ迷うことになる。多くの同僚や陸上動物が死に絶える中で、かろうじて少数の猿人は浅瀬や水中に逃れ食餌しながら活を求めた。
頻繁に起こる噴火は彼等に火と礫(小石)の知恵を与え、少ない食料の加工を思いつかせたのかもしれない。水中に出入りする暮らしは適応によって現在人科と呼ばれる進化を急速に成し遂げてゆく。彼等はいまのアザラシやペンギンのようなコロニイを造って少なくても一日6時間以上を水中で暮らしていたのだろう。

彼等の一部は早くに脱出したが、約175万年前に陸橋で繋がった道を新天地を求めて地溝帯にそって南下しクービ・フォラやオルドバイ峡谷に化石を残した。もう四つ足では歩かず、後の人にホモ・ハビルスと呼ばれる。
そのまま島に残って適応進化していったひ弱で小利口なホモハビルスの子孫たちは、百万年前にふたたびスエズ地峡が出現し東半球全域に出発できる機会がきて、体力を知力で補い先住の頑丈な南の猿人などを滅ぼして拡汎してゆく。
集団でサヴァンナを駆け回り待ち伏せし、合図を送り槍を使い、定移住地で待つ家族に獲物を持ち帰り、他のグループを殺戮し楽しみの為に虐殺し、戦果を洞穴に描くのはまだずっと先のことであるが、その素地は此処で会得した資質である。

どうして人科は旅を好むのだろう。
ホモサピエンス(賢い人)と呼んだ我々だが、そんなに賢くはなく、ホモボビリタス(移動する人)の方が適切といわれる程だ。
ダナキル地塁から脱出した我々の先祖だが、そのまま居着いた親戚がいたとしても何ら不思議ではない。未知なる新天地を求めるより豊かで安全な水辺の暮らしを選ぶ方がむしろ自然だ。旅を始めたのは追放された劣性族なのかもしれない。
狼になっていった族と、あざらしやオットセイに憧れた族がいたのではないか。


 
 
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