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38 ニラの人魚 第三章 6 (邂逅)

さようならスラマットジャラン

マナドビーチホテル

  交渉は順調に終わった。その証拠にニクラス様はこうしてマナドビーチホテルで白人並の接待を受けている。一段落したら頂戴した分だけ仕事をして、マキアンのバカ者どもを要注意人物と書いて追い払ってやればいい。なにせ野郎共は大親分が大嫌いな新聞屋だ。簡単な事だ。言う事を聞かなければ奥の手もある。あそこは波も荒いし事故も多い。俺がそう決めたら海もそうなるし奴らもそうなる。潜水なぞ危険な遊びなのだ。
ニクラスは白人の真似をしてスプーンとグラスでチンチンと音を立てた。
黒のリボンタイをつけたウエイターが色黒の俺様に「May I help you?」てのも悪い気分じゃない。ニクラスは淫猥な笑みで、
「とさかの赤いにわとりを味わいたいね」
「Anything for you,Sirなんなりと」
「俺はビーチで涼んでいるから、あとで寄越してくれ。とびきりの若い娘だぞ」
ニクラスは威厳をつけてゆっくり席を立ち、顎をしゃくってドアを開けさせプライベートビーチにでた。沖からなま暖かい風が寄せてきて人工のパーム椰子の葉が揺れた。
真っ暗なのはこの不景気でこんなこけおどしの宿屋に泊まる客は白人にもいない。
漁り灯がまたたいてマナドトウアは闇に沈んでいた。
砂浜の波打ち際でさざ波が立ち、ばしゃりと水音がしたのを彼は気がつかなかったか気がついても気にもかけなかった。ビジネスの成功が彼をそうさせた。
どこからか音が通過した。
耳のうしろがキーンと鳴って彼は思わず耳を塞いで膝をついた。誰だ? 止めてくれ!
声をだそうにも出なかった。誰にも聞こえない音波が脳髄を突き破って通過し、すぐ硬直が起こった。

女がお客らしい男がビーチに海老のような姿で丸まっているのを発見した。
外傷もなくアンビユランスに乗せる必要はなかった。ニクラスの死因は脳出血と記入される。突然死ともいわれる。


大学研究室の出発は突発事故で遅れたが変更するわけにはゆかない。焦っていたから。
ニクラスの不幸も夜の海で出会った不幸のように一時の出会いで忘れられ情報だけが残った。
とにかく行って状況を確かめた上での対策だ。場合によっては情報を買い取ってもいい。
彼等は学会人ではなく、しがない新聞記者だから交渉には応じるだろう。


ニラ
  真っ白で大きな船体の牽く航跡は派手で遠くからでも見てとれる。
鰹船の乗員は水平線に現れたモーターヨットをその轟音とともに視認した。
双眼鏡をかざしていたウインは共和国のボートではないと言った。
「スターズアンドストライプス、お客は星条旗だぞ、とすればこの付近ではミスターシーラカンスしかいない。僕らがいるのを何で知ったのかなあ、それにしても豪華だな」
各種アンテナとマリンタックルが髭のように林立している。ラウドスピーカーまで持っていて「止まれ!」とうそぶいた。
「走っているのはそっちだろが。こっちは朝から止まってるじゃあないか」とヨシ。
「此処で何をしているんだ?」でぶの白人が居丈高に叫んだ。
鰹船の三人はこういった人が嫌いだから黙って睨み付けた。
「こっちに来て説明しなさい、ここに居る理由を」
「化石魚を一尾釣って献上しようと思ってね、アメリカ人はこの辺じゃ神父かニッケル鉱山にしかいないから、あんたはマナドの化け物魚の先生でしょ?」
ウインはとぼけて答えた。ぜんぜん驚いてはいない。目配せをしたには意味がある。モヨヨだけは知られてはいけない。面倒臭いが話に行こう、遠いとこから来たらしいから。
好奇心からモヨヨが水中から顔を出さないことを祈りながら二人はモーターヨットに乗り移った。
アフトデッキには大物用の水中銃を持った青年が三人、白人の後ろで構えていた。
「私がカジキに見えるかね」アキはゆっくり視線を向けた。
「危ないものはしまえ」
すたすたと連中に近より長い飛び道具をひったくって隅に転がした。勢いに呑まれて若僧は為すがままだった。
痩せた教授がうやうやしく宣告した。
「ここはサムラトランギ大学海洋学部の専用海域ですから早急に立ち退いて下さい」
「いつから? 今そうなったのでしょ。ここは四日前からアンボンチェンデラワシ大学の研修場なのよ。ここがマルク州だって知っています?」
「捕獲したものは何だ?」白人が言った。
「シーラカンスと言いたいが、赤鯛三尾」
「冗談は止しなさい、話し合おう。獲ったものを教えてくれたら仲良くやってゆこう」
「あんたも勝手だな、長いスペアガン向けられて仲良くだって?」
「我々は真剣だし、君たちが何者かも知らないから用心の為だ」
「それはお互いさま。俺は鮫じゃあないから喋れる。事の次第をそっちから説明してから願うのが筋でしょ」
「我々はマナドの大学の委嘱を受けて世界的に貴重な魚類の研究をしているユナイテッドステーツの公式機関だ。君達は我々の質問に答えて指示に従う義務がある」
「だから赤鯛三尾だといったでしょ。魚にUSAのタグは貼ってなかったよ」
「そうゆう答えはいけない。なんなら君達の舟を調べさせて戴く」
言葉が終わるやいなや若い衆が躍り出て鰹船に移ろうと船縁に足をかけた。キヤが後ろから押したので教授の忠実な部下は逆さまに船の間に落水して飛沫が上がる。
「家主の許可なく他人の家に入れば泥棒だ」キアがなかば笑って宣告した。
「赤鯛だけではないよ。パールの母貝もこいつが欲しがってるのでね。まあ何年振りかの古い友達との観光も入っている。首都ジャカルタの空気は日毎に汚れている。マナドの空気はさぞ美味しいでしょうね、羨ましい。こんなに美しい南国の楽園で指示とか義務などむずかしい言葉は相応しくない。美しいヨットの夕食にでも招待して呉れたら次ぎはうちの汚い舟でよければ午後のお茶にお招びしましょう。これがジェントルマンのエチケット、こんなところでどうです?」
「我々は諸君を監視させて戴く」教授が肩苦しく言ってのけた。
「ご随意に。貴方達の行動を止めるわけには行きませんし私達には関係ありません。但しそのスペアガンを使って魚を刺したらダイナマイトを投げつけますからご承知おき下さい。魚にとっても人間にとってもそれらは禁止漁法ですし厳禁なのをお忘れなく」

グランドバンクスの船底に白い個体が十数体貼り付いて行動していた。あまりに接近しているのでデプスインジケーターやフィッシュファインダーには捉えられないが、個体達はユーモアたっぷりに時々細く短い腕を伸ばしてアイを塞いだりする。
「藻が絡まったようで魚群探知機の映像が途切れる事があります。アッ今直った!」
ワッチャーが頓狂な声を上げる。大きい船は急旋回して離れていった。
「明日から彼等の監視と海中スキャンを行う。大型魚に出会ったら撃て。あの男達も凶暴だ。鮫に会った時の心得は知ってるな。スペアガンなどは今夜中にしっかり準備しておけ。」
命令が終わらないうちにその声はほかの音に吸収された。
キーンと鳴る高音は徐々に一層高まって不可聴域に達し、乗組員全員が辺りをきょろきょろ見回す間もなく激しい頭痛が襲い、嘔吐がヨットの床を汚した。しゃがみ込む者、うめく者、倒れる者。ヨットはゆるい潮流に乗って漂流しはじめている。

異変に気づいたのはヨシだった。
「ヨットが糸切れ凧のようです。漂ってますよ。おかしいですね、最新型がエンストでもないだろうに」
「少し様子を見て、追尾してやろう」
微速でアプローチングしはじめると、船首で様子を見ていたヨシがうずくまって手を横に大きく振った。
「駄目です!遠ざかってください!」
グランドバンクスが白い靄に包まれているように見えたのは錯覚か。
磁場とゆうのか新しい単語が必要なのか、船の周囲は異常な界が支配している。
波長の合う人がいたら、友人達が総出で船の周りで仕事をしたのが見えたかもしれない。
近づけなかった。原因不明として処理されたタスマニア漁船の事故と同じケースだった。
一時間ほど訳もわからず二隻の船は漂っていた。
「悪さしたと聞こえました。離れて行きました」

リンダの声に促されてハラパンは怖々と白いヨットに接舷して倒れている人を抱き起こした。
泡を吹いたり嘔吐したりしていたが、失禁も脱糞もなく、脈も息もあり命に別状はなさそうだった。
マーク氏の薄い髪の毛が塩水に濡れて光っている頭骨にこびりついていた。ウインは親切にも回復したクルーひとりを手伝い抱いてキャビンに寝かせた。教授はややダメージが大きくまだ回復しておらず水も受け付けない。パニックになっているさっき落水した青年は舵が取れると言うので、
「食中たりか、シーラカンの祟りだぞ。天候が変わる前にマナドに帰れ」


茜色の空は海面も金色に染めはじめていた。白い半月が中空にかかっていた。
ハラパンの底で白い個体達が円を描いているのを船上の人たちは見つめていた。
流麗に浮上して順に人間界でもはっきり聞き取れる美しい口笛のような高音の息を空に吹き上げて、殆ど見えない航跡を残しながら遠去かってゆくのを四人は無言で見送った。
人間界の別れの言葉も挨拶もなかったし必要もなかった。
「友人たちは我々に、いや人間に何か言いたかったのじゃないか。リンダの通訳を聞いていてそう思う。いずれ多くの陸地が水没するとかね。
最終氷河期の終わりに海面は百米上昇してこの国のスンダランドは水没した。人間は命からがら脱出して四方に散っていったのはロンタラ物語に書かれているし遺跡でも確認されている。その後少なくても二回地球環境は激変して最後のカスタロフは一万三千年ほど前だとゆう。ノアの箱船伝説も殆ど事実なんだ。プラトンのアトランテイスだけでなくかすかに語りつがれている水没伝説はいつか事実として究明される。人間の歴史は右肩上がりの斜線ではなく数回の文明破滅が起こっている。
マーマンは水棲だから無関係だが、彼等の中にも何人かはお節介やきがいて、海水の変化などからその事を察知して人間どもに教えようとする変人がいても不思議ではない」
「キヤ、これからいろんな可能性がある。あの日から我々だけではなく人間界といっていい世界に変動が起こったとは考えられないか?
人間以外に知性のある哺乳類はいない。いない事が前提で安定してきた。数万年前にネアンデルタール人もそう信じて暮らしてきた。そこに突如華奢で狡猾なクロマニオン人が表れて絶滅されてしまった。お互いに陸棲動物としてね。それからは一種寡占だった。
あの日から私達はその他の知性ある海棲動物がいることを知った。重要なのは人間が発見したのではなく先方からアプローチしてきたことなんだ。その意志が何かを考えなければならない。百万年前にダナキル地塁で決別してから初めてのコンタクトになるのだから。
陸棲と海棲の差がそうさせたのだ。クロマニオン人の末裔は核を含むエレルギーを保持して、奴らは全裸の海猿じゃあないかと軽蔑してはならないのはグランドバンクスのクルーを見れば解る。裸が知能の優劣を決められない。必要がなければ衣服など余分なものなのだ。スーツを着て水泳するかね。スタートは同じで同じ時間を、全く異なる環境で異なる道を歩んできたいわばエイリアンとも考えられる。
何らかの厳しい理由で、彼等が海中に止まるのを止めたいのか、陸に興味が出たのか、はたまた人間の傲慢に警鐘を鳴らす為か、共存したいのか。征服したいのか?
ザイールの森でチンプを観察するのとは少し違う。イニシャテーブを持っているのは人間ではないから。世界の秩序が変わるかもしれないなあ」
「幻視として胸の中にしまっておいた方がお互いの為じゃないかね」
そうしてしばらくそれぞれの想いの中に浸っていた。

ウインは胸ポケットから数枚のポラロイド印画をつまみ出しながら海を見ていたが、決心したように細かく破いてぱらぱらと散らした。風で舞い上がりそれぞれの方向に落ちていった。
秋山は首に掛けたキャノンを取って裏返し、つまみをERASEにしてプチッとボタンを押した。「これですべては望み通り幻になったわけだ」。
「人魚話をしたら、可哀想に彼奴も暑さで呆けたと笑われる」
二人は少し寂しい笑顔で顔を見合わせた。

長い沈黙の中に坐っていた。吉田がボトルとコップを手渡した。
「ブルーテアドロップとはよく言ったものだな。いま蒼い涙がでそうだよ」
アキがコップをかざして「スラマットジャラン モモヨ」と言って空けた。
ヨシも「青真珠に!」 
ウインは一息に飲んでから言った。
「彼等が会いたければいつでも逢えるんだ」そして静かに続けた。
「リンダが好ければ、一緒に帰りたい」
「もっと大きな声で言わなきゃわからない」
ウインは聞こえないのかリンダを見つめていた。
「人魚姫を見つけたのは、結局このでかい男ひとりだったなんてバカにしてるよ」
これでみんなに笑い声が戻った。


ブルーはウインの計らいでアントワープの入札に掛けられ高値で落札された。
吉田は市況が回復するまで食いつなげるだけの資金を手にした。
ウインは退職してリンダとマナドに居を移すとか熱っぽく話していたが、一時帰国して帰ると、また私をホテルインドネシアに呼び出した。こんどは何の妖怪噺だろう。

「モンテカルロにあるモナコ王室海洋博物館は知ってるだろ?超一流だから。今度フロリダに負けない熱帯海洋生物研究所を発足させるんだ。僕がコーデネーターで採用されたよ。もちろんモヨヨ君をダシには使わなかったが」
「そりゃあ凄い。で場所は? グレートバリアリーフとかタヒチとか」
「当初はセーシエルやモルジブが検討されたんだが種の多さといえば何といってもインドネシア海域だからね、幸運だったよ、どんぴしゃりサ。いつまでも太平洋を移民国USAの勝手にさせない、フランスとかまだ覇権の残骸もあるからね。そこで当たり障りのない小国モナコが選ばれてヨーロッパの海洋科学貢献ひいては存在感を高めようとした。
インドネシアはここぞとばかり誘致した。マルクは水産も駄目だしいつまでもチモールのどたばただけで目玉商品がないからね。それに愉快な話もあるんだ。独立の時国旗が同じで揉めた国がモナコなんだよ。それも引き合いに出して兄弟だと交渉したそうだ。モナコもいつまでもカジノ賭博じゃあ聞こえも悪いからね」
「君の兄弟がいるマキアンか」
ウインは妖怪噺をする時に見せる最高の笑顔でウインクした。
「よければ君のナウテイキャット35を手放さないかね、言っちゃあ悪いが宝の持ち腐れ、
彼女に相応しい海に浮かべようよ。もちろん君はいつでもキャプテンだけれど」
何にでもそれに相応しい落ち着き場所があるものだ。
ダブルフォーセイル二本マストのケッチは茶色の海より藍色の海にこそ相応しい。
「回航は誰がするんだい、10日はかかるぞ。出航はバラタンダヤ(大西風)が吹く11月がいいからそれに乗ってゆけ。ナコダがいなけりゃ隣りにいる。手間賃は高いけど」

{完}


 
 
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