慢学インドネシア {フィクション}
 
ホーム
コンテンツメニュー
会社概要
事業内容
トカダの意味
サイトマップ
リンク
お問い合わせ
慢学インドネシア
   
 
BACK 慢学インドネシア目次 NEXT

5 ブアの叛乱 第二章 2

  夜明け前の四時、その日最初のスブの祈りが、まだ明けやらぬ椰子の梢を渉って流れる。
   'アルラーフ アクバル、アルラーフアクバル、
  アシュハドーアルラー、イッラッラー、イッロッロー
      アシュハドアンナ、ムハンマド ラルスラー'
神を讃えませ、アルラーの外に神はなし。
ムハンマドは預言者なり

これから三百キロ、パロポサイトまでジープで三十時間、或いはそれ以上。
増水と土砂崩れは、神の領分で祈るよりほかに手はない。
佐藤は手慣れたもので、千巻きに似た此処の携帯食ゴゴスとジョニクロの空き壜三本に飲料水、作業衣と首の手拭いで準備完了。客人には最後の心尽しでホテルからサンドウイッチとママレード。
パロポに住めばパンもバターも夢物語、ミネラル水ともお別れで、遅いか早いかの違いでしかない。

欲を言えば限りがない。北極にも人は住んでいる。
何が入っているのか三個のでかいスーツケースを積んだ横に、佐藤は技術者に来た手紙を入れた文箱を大事そうに膝に乗せ、客人はジープのシートがパパの外車より高いのか乗りにくそう。
少しの動作でもたもたする男を見るのは嫌いだ。

マセのジープは私が此処に住んでから同じ時刻を指して止まって動こうとしない時計塔を右折して北に向かう。
発電所の点滅する赤灯も、灯火の少ないこの街では幻想的に見える。ガソリンスタンドで二個のジェリゲンも満タンにする。車は水では走らない。街道筋の油屋は文字通り水増しして売るから、泣かない為にも。
レオフォンランケが塀の暗がりから精悍な顔とその高い鼻で方向ずけるように表れた。
「トアン、私物ですがこれを便乗させて呉れれば助かるのです」
「いいとも、後ろに積んで呉れ」

レオはパロポの主任技術者で、彼の父親はアムステルダムからこの街道を通す為に来た。九分通り完成した時に日本軍が進攻してきてスパイ容疑で逮捕され(実際そうだった噂はあったが)、
銃殺はおろか、殴り殺された事、子沢山で生活が苦しい事、肺を病んでいる噂がある事などを小宮山に話している間に、重そうな木箱ふたつをやっと積み終えた。三つ目は木箱ではない若い男ひとり、狭いジープは満員になり、小宮山は明らかに不快な顔を隠そうとしない。

「いつもこんな便乗を許すのですか」  
「相い身、互い身だからね」
「この車はプロジェクトのものじゃあなく、南部の所有でしょ。断ればいいのに」説明してもはじまらない。此処は鳥も通よわぬスラウエシなのだ。此処の流儀に従って貰う。そのうち自分でもわかる時が来よう。

「レオ、重そうだけれど、中身は何だい。途中でパトローレに咎められたらバズーカ大砲ですって言ってみようか」 
「いや、中身は、サリミンの家の、その、井戸を掘ってやろうと。その井戸掘り用のパイプとか、、」
「そりゃあいい。サリミンの女房の布団ならもっといい。トアンコミヤマが寝て行けるのに」
井戸掘り道具を木箱に詰める、少しの疑問もあったが詮索してもはじまらない。それより私の背中に眼があったら、その若者の槍になった視線を見ただろう。
私の眼は前しか見えないのがむしろ幸せだったかもしれない。

海岸線に沿って北上する。両側のカユアサム大木並木が後ろに飛ぶ。
市場に行く女達の頭に乗せた大篭、牛や山羊に道を譲りながら、パンカジェネの浮き橋まではちょっとした早朝のドライブ気取りだった。

独立して十年後の一九五四年のムザッカル反乱(東インドネシアイスラム国樹立運動)で、この地方の橋は殆ど爆破された。ムザッカルは望みのない抵抗のあと国軍に射殺されて反乱は鎮圧されたが、その時の司令官が今を時めくスハルト大統領だった。
一味の反乱を鎮圧したのは国家であり体制派だが、イスラムの正統を唱えながら粛清された事実は、立場が違えば殉死に値いする行為だとする人々もいた。
そしてそれらの人達はまだ生きている。

ちょうど満潮で、ドラム缶を繋ぎあわせたりして作られた浮き橋は不安定で、さすがのマセもずぶりとタイアを滑らせる。我々は車内で身動き出来ず、ワイヤーとウインチでやっと脱出した。
荷物は全部水浸しになった。サムソナイトのスーツケースも例外ではない。
「エンジンに水が入らなくてよかった。それに三個目の荷物を積まなかったら、小宮山君も腰まで浸かって車を押さなきゃならなかったぜ」 
荷物の赤胴色が身体を拭いているのを横目にして言った。まあ順調な旅の始まりだ。パレパレの港町で昼。

小宮山は一切れしか食べないので私もパンのお相伴にあずかった。喰わなきゃあ参るよと何回となく言ったが、濡れてしまったスーツケースが気になるのか返事はなく、二匹しかいない蝿に全神経を集中していた。
エンレカンではいつものキャラバンを組む。モウリ平原で野盗マチャンヒタムがお待ちになる時があるからだ。官給品の錆びた銃がシートの下に転がっているが、日本人に射撃の名手はいないし、弾がでるのかも当てにはならない。お客が表れたら、マセを人質にして有り金残らずばら撒いて一目散がいちばんだ。

何で走らないのかと聞かれたが、それを言うと彼をパロポに連れてゆかれそうもないので言わない。
今日の相棒のバスの運チャンにお小遣いをやって、バスの先十分前に出発した。後ろについて日長一日埃をあびせられてはかなわない。
レオの親父が造ったアスファルト道も、保守の観念のないこの国では既に剥がれて敷石が露出し、タイヤどころかスプリングの心配までしなければならないが、それも杞憂だった。すぐ先でアスファルトは終っていた。

マセの出目は不明だ。いつ頃かプラントサイト現場にあらわれ、車を見たり洗車を手伝ったりしていた。小男だががっしりした骨太で、奇妙なスキンヘッドだった。暑いが理由だったが此処の男に坊主頭はいない。いかつい造作でも困って笑うと海坊主のようで愛敬があった。
私の経験で顔と喋りと名前を聞けば、およその出身地を当てられたがマセだけは皆目見当もつかなかった。いまでも不明だ。本人自身知らないと思う。野良犬も生まれた場所は答えられない。物凄い混血が案外白い肌を与え、この近所のものではない。

髭がないのは中国系ダヤクの血か。マセの名前にも何の根拠もない。イスラムならフセン、モハンマド、トラジャキリストならザカリアとかユヌスやマルチンダスなどだろうに。腰骨にかけて指一本はいる程の大きな傷は後天的な本人のものだが聞いても笑って答えない。けっこう遠い町の事も知っていて、変な常識と人生があった。

お祈りもしないから、此処の連中からはやはり野良犬程度の扱いしか得られない。
ある日ジープのエンジンから異音がでて運転手仲間の評定がはじまった。ウオータポンプとかタイミングチエンとかカムメタルとか騒々しい。私もそう思ったが、マセが後ろから小声でヘッドバルブと言ったのが聞こえたので、引きずりだしてヘッドを開けさせると、指摘した三番のイクゾーストが溶けていた。道具の使い方も手慣れていたので、この風来坊主を南部の運転手にした。字は書けないが、顔に似合わず、外人向けのおかしなインドネシア語をわざと操れるのも買えた。

雇い入れに反対する声も普通ではなかったが、その日の出来事が動かない力になった。車を持ち逃げされたらはいい方で、あ奴は人を喰ったって噂がしばらく消えなかった。
「おいマセ、お前は人喰いだって噂なの知ってるか。マカレーの山ん中で俺を喰うなよな」 

「滅相もないトアン、俺いちどだって、そんな!」
「だがよ、なんで人が人を喰うのかなあ。祈祷とか呪いを消す為とも聞いたが」
「うまいからじゃあないですか。腿とか頬、親指なんか柔らかいって」
ハンドルから目を離し、ニヤリと笑われると噂を信じたくなる。

佐藤は二日酔いで文箱を抱えて寝たまま、小宮山は午前中は首から下げたペンタックスをいじっていたが、観光撮影にも飽きたのか、床に転がった高級品にも興味をしめさず眼を閉じていた。三番目の荷物は本当に木箱になったように、微動だにせず、車はサダング川の激流を左にしてカロシへの峠道を登る。

遥かラテイモジョン三千四百米の峰が雲に隠れることもなく望まれ、断崖の下遠くに蛇行して流れる一条の川があった。マカレーの山並みに冷たい風が流れ、私はオレンジ色のブレーカーを着た。サトウは首に手拭いを巻き、マセは昔あげた毛糸のセーターを重ね、新マネージャーのジャンバーはパンカジェネの水を吸っていた。

マチャンヒタムも休業らしく夕日の沈む頃にはコトウのワロン茶店でアラビカが飲めた。
サイフォンとかドリップなどと洒落たものでなく、コップにドバッと大量の粉を入れ上澄みだけ飲む。都会の薬品調合の仰々しさとどちらがリッチかと考える。
マセは直行すると言ったが新人のことも考えねばならず、ランテパオのお気に入りのロスメン旅篭マリアを告げた。

トラジャの国の門、舟形屋根のある橋を音をたてて渡る。シルエットになった段々畑、道を譲る農民のシリを噛む真っ赤な唇がヘッドライトに浮き上がる。
トラジャ人はその昔、海浜のブギスに追われてこの峻険な山の民となったといわれるが、彼らは始めからの高地民だったのではないか。顔も風習も異なるし、黒装束に菅笠はベトナムのメオ族と変わらない。

人間は昔に遡る程長い距離を移動できたのだ。封建制が確立され、人は生まれた処で
死ぬようになった。
新人にトラジャのミステイックの話しもと思っていたが、シートに倒れこむようにして質問ひとつしないので手間が省けた。

思いようでは雰囲気がある。ガラスのない跳ねあげ式の窓、石油ランプに影が白い壁に揺らぐ。ロスメンマリアは一世代前に宣教師が建てた泊まるだけの宿だが、私が来ると、ここの女主人はとっておきの食器を出して歓待してくれる。お世辞抜きで清潔と心暖かさだから讃めるのだが、彼女もそれを聞くのが大好きなのだ。

自分の血の半分の由来にはまったく興味がなく、トラジャになりきっているが、箒に跨がらせたら町までひと飛びするような、痩せた高い鼻は私に西洋の物語りを思い出させる。
低地のイスラム圏から表向きでもクリスチャンの此処まで登ってくると、自分がそれらとはなんの関係もないのに何故かほっとする。うわべだけにしろ、キリスト教の影響があるのか。
楡の木陰、チャペルの賛美歌、セントポールサンシャインが日本に素晴らしい新文化を齎らしたからか。

一般世界では通用しない不思議の民が私の故国でもある。神を選べる驚くべき国だ。生まれて七日目に神社に参り、婆さんが死んで浄土宗の坊さんがお経をあげると、翌日妹が目出度くミッションスクールに入学し洗礼とかいうのを受けたと聞き、結婚式は神宮か教会かを真剣に検討し、商売が左前になると祈祷師に占って貰う。

誰も疑問にも思わない。なにせ路傍のお地蔵様の世界だから、絶対神への帰依は難しい。
選択の余地のない、生まれた時神が定まっている世界に住むと、宗教の凄さ恐ろしさを感じる。
神は見えない圧力でこの地に君臨する。私は疲れると何故かそんな考える必要のない煩悩が頭に
浮かぶ。トラジャもいまはクリスチャンだが、尊厳な死への儀式は祖先の伝えを頑として変えようとはしない。人間の心は計りしれない。

振り切るように歯の根も合わない冷たい水で水浴し、埃の服を着替えると、普段の不信心男に還った。
椅子に坐った小宮山の身体が揺れているみたいだったし、そんな機会はこれからいくらでもあると、此処の風葬を話題にするのはやめた。
喰いたくなければ喰わなけりゃいいと親切心も中止した。生まれてから髭がはえてもまだ人の援助があると期待しているこんなのが嫌いだ。もしかして男じゃあないのかもしれない。
いずれ嫌でも人は一人ぼっちとわかる時が来る。それが嫌なら神のしもべ下僕になるか、母さんの子宮に帰ればいい。

サトウは現実しか信用しない。それも夜しか。車の中で充分英気を養っていて、トラジャの木偶より、生きている木彫りを選んだのか呼んでも部屋にはいなかった。この卓越した時間配分ならイリアンの山でも生きていけるだろう。
「マリアのコーヒーは本物だ」 マリアが女主人の名前なのか旅篭の名前なのかいまだに知らないがそれで通っている。マリアの眼を盗んで、尻のスケットルからバーボンを補給する。
酸味の利いたアラビカとアルコールのこのアロマ、神様はやはりおわした。
「よかった。ほんとうに。夜は近ごろ物騒なの。変な噂があって洞窟に人がいるってゆうの。
黒虎じゃあないかって」 

「遺品盗りじゃあないの、最近街じゃあ骨董品の値が上がったっていってたから」この地方には石灰岩の洞窟が多い。トラジャ風葬の奇習もそれを利用するし、穴堀りの好きだった日本陸軍もここに陣地を築いた事もあるが、なかは骸骨だらけだ。
「住み家のない流人かしらねえ」 「警察には届けたの?」
「あなた本気? 警察なんてお金にならない事するわけないでしょ」  
「村長はなんて言ってるの?」
「村長よりもダトック祈祷師が悪霊の霊還りだから近ずかなければ大丈夫って卦がでたから村じゃあそうしているわ」

ここには村人の数より妖怪変化の人口のほうが多い。鼻をつままれても分からない真の闇を知らない現代人は笑うが、月のない夜に家から放り出されたら、誰でもお化けを信じるようになる。見えるとゆう事は光が反射した事とゆう単純な科学式を初めて理解出来るような、そんなにも闇は深く濃く、厚い。

朝、跳ね戸を押し上げると、清麗な大気が心地よく、名も知らない花に、蜜を求めて蜂鳥がブンと羽音をたてながら空中の一点に静止していた。
ドアの前に少女がしゃがんで私の起きるのを待っていた。
ニ〜ッと微笑んでコーヒー盆をささげる。
こういった朝がなによりも好きだ。もうずっと前に私の故国からは消えてしまった朝が此処にはあった。

絶壁に穿ったいくつもの風葬穴に飾られた木偶が下界を往く人のなりわい生業を黙って見ていた。
いままで幾人の男と女がそれぞれの業を背負ってこの狭間を往来したのだろう。
私たちも、その蟻のような人生なのだろう。
ただプンチャック峠とゆう名の休み所で車が止まる。何も命令しないのにマセは知っている。
こんなちょっとした機転が此処の人にはない。少し汗臭くてもマセを使う。
いざり躄たちになにがしかの小銭を投げ、「小宮山さん、ちょっと、朝の観光です」  
無理に座席から剥がして崖の縁に連れていく。   

「あそこのジャングルのずっとむこう、下のほうに見えるでしょう、光って。あの米粒がこれから貴方の住むP3です。よおく拝んでおいて下さい。見納めになる事もないでしょうが」
パロポプロジェクトは、遥か彼方に続く緑の海の中に、まったく調和しない硬質の輝きでピカリとその存在を教えた。


 
 
BACK 慢学インドネシア目次 NEXT
   
    Copyright (C) 2001 TOKADA. All rights reserved.