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6 ブアの叛乱 第三章 1

呆れる程長い峠からの下り坂をくねくねと辿れば分水嶺の反対側に出る。そこがルウの国パロポだ。          
わたしが最初に入った頃、谷にかかる橋は、車の轍の幅に二本ずつの椰子の丸太を縛って渡し、その上に板切れを横にわたしただけのもので、ひとたびタイアが外れれば板はもんどりうって谷底に落下し、車は宙吊りになる始末だった。自分が失敗しなくても前のバスなどがそうなれば、数十人の乗客や村人が、押したり引いたりして移動させるのを待たなければならない。橋の近くの村が労賃稼ぎにわざとそんな橋にしているとゆう話も聞いた。

いくつものそんな橋を渡る時は谷底から冷たい風が吹き上げてきたり、なかなかの避暑気分になれるが、昨日の夜明けからの連続した山越えのがたがた道で、歴戦の私でも願い下げと考えはじめているのだから、小宮山がくたばるのは致し方ないだろう。むしろその方が谷底などを見られるより衛生上いいかもしれない。

一度何かエンジンがおかしくなって止まったが、やっとこさパロポの町に着いた頃は陽は沈み、理由はわからないがブア川の手前の小屋が焔をあげて燃えていた。
いまだに何だったのだろうと考えている。マセも無言、私も黙ってそこを通過したが、戦国時代の焼き討ちのようなひどく不吉じみたものが感じられた。いつも野次馬根性まるだしのサトーも何も聞かず黙っていた。

メス宿舎は寝静まってしんと静まりかえっていて、アシスタントエンジニアの佐藤と数人のボーイと小声で挨拶し、小宮山を担ぐようにしてプラントサイトに帰着した。
ブア小学校運動場に隣接してコの字形にタスと呼ばれる日本人技術者チームの宿舎がある。広い前庭の道に面した門に赤白の共和国国旗と白地に赤丸の、遠い北の国の旗が掲げられ、その道を村の十字路を越えて直線でプロジェクト正門に至る。建設現場を通り過ぎればボニ湾のスワンプ海岸に出る。

小宮山マネージャーの体力が回復したか、まだでも、してもらわねば困る。
口に合うものが無くても食わねばならない。立場上こんなものが喰えるかとは言えない。
現場にいるタスと初対面しながら紹介した方が印象があると考えたが、小宮山は部屋でリストを見ながらにしたいと言った。皇太子への御進講のようだ。

「それではナンバーワンからはじめてください」
「一番は貴方と私だ。事務引継ぎが終るとわたしは失業することになっている」
「そうゆうおっしゃりかたは止めて下さい。わが社は人材を生かす会社だし、契約書を拝見しなければ何とも申せませんが、本当に失業なさるなら、僕のパパに頼んであげてもいい。南部の大株主だから」

「ありがとう、その時はね。次にゆこう。チーフエンジニアの岩佐銀三郎、彼も私と同じ契約社員で子飼いじゃあない。歳のせいでもないが頑ななところがある。 彼との論争は益がない。二年になるが言葉もからっきし、君の会社の生え抜きの佐藤君のほうがよほど使える」
「ひいき無しにですか。岩佐さんは地方国立でも土木あがりだし、佐藤君は高卒でしょ。それに序列もあるし」

「五日もしないうちにわかるよ、使えない事が。免状も文明国の経験も此処での価値はない。意欲と工夫に価値がある。泣き言を並べても柱一本おっ立てられない」
「あのう、初めっからちょっと言いにくいのですが、海外部の噂とゆうか、評判と言ったらいいのか、帰国した者の報告なども総合して、秋山さんはワンマン、独断専行型で何人からか苦情も本部長の耳に入っているのですよ。此処も一応組織ですから」

「決断が、こんな環境では大切なんだよ。たとえ間違いとあとで分かったとしてもだ。衆議を尊重していたら生命にかかわる事も起こり得る。君もマネージャーではなくリーダーになって欲しい」
「ナンバー3がその佐藤だ。ノッポだからここの言葉でテインギと呼んでいる。ナンバー4が君と旅をしたチビのペンデサトウだ」 

「あだ名でよぶのは良くありません」                                        
「じゃあ、佐藤信雄係長あなたの靴の中にさそり蠍がいるみたいです。小宮山英彦課長にご報告しますか、と言うようにしよう。 ペンデいや佐藤、名前は忘れた小さいほうだ。彼の鉄筋の仕事は終っている。技術も抜群でローカルへの移転も出来た。勝れた語学力と順応性は学歴ではないな」

「業務が終っているなら帰国させれば。少しでも経費削減が部長のお気持ちですから」
「表向きは確かにそうなる。しかしローカルの管理に彼は欠かせないし通訳も兼ねている。現在通訳は空席で、それが岩佐氏の標榜する契約違反の種のひとつだし、正式の日・イ通訳となると高いし此処にまで来る奇特な人はいまい。佐藤を改めて通訳で再契約するには一度帰国させねばならない。書類の体裁を作るだけで莫大な経費がかかり、部長の意に反するので君の言う独断専行人事に落ち着いた。佐藤は此処が好きだし、マラリア以外ただの一度も欠勤しない」

「きっと貴方のファンなのでしょうが、書類上の不備を突かれたら誰が責任をとるのです?」
「もちろん、チーフのわたしだ。いや今日からは君がとるのだが」
「僕なら帰国させます」  
「お好きなように。彼がいなくていちばん困るのはナンバーワンの男だ。悪いけれど新任チーフはまだ唖で聾。サッカーでいくらフォワードやバックスが強力でも連携するスイーパーがいなければ点はとれない。もっとも君にボールゲームの喩えではわからんか」

パロポで二人のサトウとの三年以上に及ぶ生活、仕事とはいうものの、現場との考え方の違いで起こる実務外の問題の如何に多かった事か。それに日本人技術者にしてからが頭数と同じ考え方の違いがある。二十社にも及ぶ異なった企業から派遣された専門家が、それぞれの会社と本人の思惑が重なりながら水のなかに浮く油のような生活を強いられれば正常な神経も損なわれ易い。

僅かなショックでも激しい反応をしめす。自分に責任がないなら、人間の生身の反応を心理学的に分析する興味も湧くが、目的があって集まった仕事だからそんな悠長なことはいっていられない。
「ナンバー5からはメーカー派遣の人達、ボイラーの押谷君、クリタ水処理の山下君、彼は可哀相にフラストレーションで口数も少ない要注意だ」

「医者に診せたのですか」
「ソンダ先生の診断は熱いと寒いかのふたつだけ、あとは祈祷師の世話になる。 赤痢テイフスは病気のなかには入らない。コレラになって初めてやや緊張して、食器を煮沸しようと考える。
いつも考えるだけで実行しない怠け者だが。精神科? 聞いた事はある、シンガポ−ルにあると。
そこまで残念ながら二千五百粁、知床半島から琉球の距離があるから、行き着くまでにこっちが精神病になる」

「貴方のおっしゃりかたはいつも冗談混じり。特に派遣員の健康管理にはもっと真剣に対処しなければ。他企業の人もおるし、万一の事が起こったら南部の名前もあるし。
応急医薬品などどうなっているのです?」
「ある。あるにはあるがとても君のストックには及ばない。抗生物質とアカチンが少々、下痢止めにクレオソ−ト、ストマイもあるが此処の蝋燭病には効き目がないそうだ。が必要になったら言ってくれ。腹痛がうどん粉で治った男もいた。病いは気からかもな」

「こればかりは貴方でも絶対に反対です。すぐ報告させて頂きます」
「小宮山君、データ好きなら確率でゆけよ。三年間病気でくたばったタスがいたかね。俺達は物見湯山じゃあなく仕事で来たのだ。健康でなければ仕事は出来ないし判断も狂う。しかしいいかい、それを見極めるのは本人じゃあなくて君なんだ。 朝から夜まであっちが痛いこっちがおかしいと言っている野口みたいな男もいるが、それは薬じゃあ治らないんだ。君の親身の指導力なのだ。

事業保険の事も考えて日本送還かジャカルタかシンガポールに移送するか、占いか放っておくか、それは患者じゃあなくて君が決めるのだ。
説明には飽きた、まだ患者が残っている、先にゆこう」

 ブア川は設計段階では敷地の東側を流れていた。取水口もそれに合わせて設計、船積みされた。
クリタ工業の山下君が頬を紅潮させてやってきた。
マカッサルの港でバルブ類が盗難にあい、その補充に四ヵ月かかった。やっと配管工事が完了する頃豪雨がきて、洪水が引いたら川の流れは反対の西側に変わっていた。

村の損害は山羊と牛が逃げ遅れて二、三匹溺死しただけだったが、クリタの損害はプラント配管そっくり逆になり彼の努力は文字通り水泡に帰した。本社がそれを信じないわけではないのだろうが、写真とか詳細報告を送る頃からああなってしまった。毎日貯水層のある炎天に立って時間の来るのを待っている。

「NO.7と NO.8がグリュウ。据え付けは終わったが接着剤調合に必要なボイラーに火が入らない。
これは現場で押谷君の説明のほうがいい。接着剤保管には冷蔵設備の追加がある。なにせこの暑さだ。が予算にないとかでウイリー中尉と交渉しても埒があかない。稼働したら毎日セスナで日本から
運ぶ積もりらしい。

9から14までが主機のスライサー、ホットプレス、カッテイングなど最新鋭機。だが福島製作所がリストアップした不足部品が来ない限り音は出ない。三ヵ月前から今週届くと言っている。此処での一週間はどうも単位が違うようだ。15がソウミールの千葉、此処では一番長くひとりで仕事をしている。目立ての腕がいいのでインドネシア側が離さない。開所式に関係なく当分お金を稼げるのはこの賃挽きだけ、一年以上試運転といっているが稼ぎは連中が山分けしている。いや先方サイドの事で我々は関知しない。

さて、次に控えるのがシートパイルの老田と久保。作業も人物も多分あんたの嫌いな事が大好きな連中だ。工場基礎はとっくに終わったが、当時労務者二人がパイルの下敷きで事故死している。
帰国させたいが軍が追加工事で桟橋を造るとかで足止めされている。来た以上あれこれ言わんが本社人事を疑うよ。ふたり共モンモン彫ってる」

「モンモンて何の略です?」
「モンモンとはくりから紋々のことさ。それでわからなきゃ英語ではタトウというのじゃないかな。
なかなか見事な彫り物だが、この国じゃあ御法度の事くらい部長も確かめなかったのかな」
見られてはならないもののようにリストをめくり、彼は続けた。
「18番は池貝の内山ですね」

「ゼネレーターの内山なら半年も前に引渡しを終えて帰国している。あんたの持っているリストはそれ以前のものなのかね。あんたも経理課じゃなく、れっきとした海外部のエリート、本社はそんないい加減な管理しかしていないのか。もっとも機械を売ってしまえばその後の技術サービスはむしろ付足しで儲けにならない。熱も醒めるわな。金さえ入ればあとはいくらでも言い訳はつく。
此処の政府と似たり寄ったりだ」

エリート小宮山は顔も赤らめず、恐れ入りもせず、名誉も誇りも傷つけられず、「そうゆう事のないよう本社は僕を派遣したのです。期日通りに完工するよう今後は徹底的に管理します。これ程ひどいとは正直思わなかった」
「自惚れるな、お若いの。君はただ日本人の最低限の健康と安全だけを考えればいいのだ。それ以外、小宮山君、我々には出来ない」

彼はただ真面目なだけなのだ。彼の頭脳はいままでの学校の勉強と試験方法に慣れ、それに成功して親兄弟、親戚縁者からいつも褒められるいい環境に育っただけなのだ。
裏切りも絶望も、失恋さえもしていないだろう。判断の基準がその狭い幸せの範囲にあるだけなのだ。いち足すいちは二でそれ以外にあるわけはないのだ。
しかしこの世の中、それは1.8だったり2.2になったりする。

「小宮山君、此処のスケジュールはあちらが決める。我々はただ御質問にお答えする立場なのだ。
百歩譲って我々が主導しても、此処ではネジ一本調達出来ない。
そこへ最新鋭オートメ機械が国軍のオッファだった。専門家なら最初の時点で適合を考えたはずだが、オートメのほうが値段が10倍だ。儲けも10倍なら黙る価値がある。ソフト面では限られた伝達方法、電話電報はなく、唯一のSSB無線は監視つき日本語禁止。荷物を発送してもジャカルタからマカッサルに定期航路はない。

やっと港に着いても税関とコーデイネーター調整局が待っている。泥棒も待っている。コーデイネーターは仕事を円滑にするのが役目だと思っているのだが。君は英語が堪能らしいからトーストとミルクのある街の税関折衝から仕事に入るべきだったかもしれん。
そうすればチーフの岩佐が、税関に押さえられている日本食を食えないのは契約違反と、帰国したら私と南部を訴える決意を翻すことが出来るかもしれん。

君が頼りの本社もこれ以上ネジ一本出したくない。既にオーバーエステイメイトだから。まあ、根性据えてかからんと水の山下になるのがオチだろうが」
予備知識が強烈だったからか、本来の性格なのか、ただ腹が下っていたからか、小宮山は若者らしいきびきびしたところがない。戦争なら一番先にお陀仏だろう。

なにをするにも時間がかかるからテンポがあわず、廊下を行ったり来たりするはめになる。どうしても実行すると息まいた朝礼も体操も、彼が音頭をとらない限り率先する者はいない。早くそうなってくれるのが待ちどうしい。
がらんとしただだっ広い工場事務所で 岩佐氏は几帳面に書き物をしている。
小宮山の赴任、今朝はふたりの打ち合せで十時四十八分出社と記録する。裁判資料はもうノート三冊にはなろう。

「岩佐さん、小宮山さんが来ても日本食も製図機も税関からは出ないよ。貴方がワイロを払うとゆうなら別だが。
契約違反と言っている風呂は小宮山課長歓迎の意味で特別でかいのを造る。南部の金ではなく私のカネで。期待していて呉れたまえ」岩佐氏は恨めし気に私を睨んだ。
どうしても反りの合わない人はいるもので、岩佐氏は苦手だ。最初から工期よりも自身の契約を優先する白人みたいな男だった。

だからといって見切りを付けて帰国するわけでもない、帰国してもこんなにおいしい実入りはない。
それは私が保障するし本人が一番知っている。
それより事務所ではその薄汚れた登山帽は脱いで欲しいな、今度のチーフマネはきちんとした人だから。

真新しいNAMBUマークのヘルメットを小宮山の七三の頭に載せてやりながら、「人の管理より、先ず君が環境に慣れるのが肝心だ。暑さも含めて。体調が悪ければ絶対無理は禁物、熱帯を甘くみない事です。気負い過ぎるのが最も毒です」

「解っていますが、それが出来るような状態でないのも解ってきました。ビジネスに甘えは禁物とパパが申します。今週中に服務規定を作りますから協力して下さい。それと、口はばったいかもしれませんが、秋山さんも南部のユニフォームでお願いします。統制の意味からも」
「私はユニフォームを着ると昔から蕁麻疹がでるんだ。気持ちは南部だから許して欲しい」

私はこの数年、此処でいろんな人を迎え、そして送りだしてきた。瞬く間に順応する男、どうにも馴染めず障害を起こす者。年令も学歴もまったく参考にはならなかった。
本社の対応にも問題がある。技術枠にはめこむだけに汲々としていては会社も本人も無駄な苦労をしがちだ。講習会とか適性選考をするとか、現地事情を事前にすこしでも把握していればおおいに変わるだろう。外国とゆうからビルが林立していると思っていたり、熱帯と聞いて虎やライオンがいると信じて来た技術者もいた。

南部が一部上場を目指し、海外事業に飛躍を求めるなら、私にユニフォームを着せるより前にやって貰いたい事がある。それが証拠にその後帰国した彼らと会っても、その時の事を話題にしたがらないのをみても解る。パロポクラブを作る話も実現していない。

海外には巨大な市場があり、まだ各社とも手探りなのだ。
談合を重ねる狭い日本から雄飛するにも一騎当千の人材だ。
もし小宮山がやれたら、十年にして南部は海外事業のナンブになれるだろう。

 
 
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