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9 ブアの叛乱 第五章

吉田をステラマリス特別病棟に入院させ、その足でソレア中佐を訪ねた。
中佐の名前は名刺の左右が埋まる Haji Doktrundas Letnan Kolonel Herniarso Herman Ibunu Sorea が正式で、ジャワの家柄だそうだがヘルニアになりそうだ。

ひたすら何もしないように考えるのが仕事のような男だが、不思議に地位を追われないのは、その優秀な頭脳がいつか国家のお役にたつ軍の深謀なのか。
いまの権力者グループの多くは日本軍が作った義勇軍組織PETA出身で占められ、彼はオランダ士官学校だから遠慮しているのか声も小さく、装飾語を多用するのが知識人と錯覚しているから話の要点を掴みにくい。

詩人にでもなればよかったろうに、絶対に言質をとられるようなへまはしない。時期をみてとか熟考して、最大関心がある、善処する、だからどうなんだと言うのは山出しで、直接表現でなければ解らないようでは勤まらない。会話の奥にある深遠な意志を汲み取るのが大人のする事だ。

以前、「娘が卒業旅行でねえ」 「そうですか、それはお目出度う」 で終わったら彼の熟慮が長引き、関心はあるが善処が遅れた。大いなる決断で私のキャノンをフラッシュ付きで献上して特別の配慮を引き出した事がある。

三時のティーを欠かさず、趣味の古陶器を一日中撫でたりさすったりして飽きない。彼が人に誇れるものは右指が六本あることぐらいか。最大級の調整をしたコーデイネーター、ソレア中佐の要請書を懐に、勇躍難攻不落のマカッサル税関に進撃した。
なんとか岩佐氏の期待に応えて、二年間で一度でいいから彼の笑う顔を見てみたい。

埃っぽい広いセメント道の先がサバンダル港湾局とベアチュカイ税関、古色蒼然とした煉瓦造りはオランダ時代から、日本軍政館にも使われ市庁舎より貫禄がある。稼ぎが直接だからだろう。

観音開きのドアの把手は中世の牢屋と同じ頑丈さで、しかも私の胸より高い所にあった。その大きな部屋の天井の高さは広さの倍はあって、ずっと上に植民地時代から一度も開け閉めしたことのない鉄格子のはまった明かり取り窓が見下ろしていた。斉藤中佐とか田中大尉といったカーキ色のおっかない小父さんが、椅子の向こう側でふんぞり返っていた時代もあったのだろう。私も出来たら一度でいいから向こう側の椅子に座ってみたいが、いまもって椅子はいつもこちら側だ。

給仕をしなくても、もっと男にふさわしい仕事を探してやりたくなるような立派な髭を蓄えたブギス人が、武骨な大きい手で茶器を置いて無言で消えた。
担当官は不在だと言っておきながら私が一押し呉れると、尻が痛くなる程待たしてから、忙しくてといいながら出てきた。この四日出入航した船などないくせに。

役人はなんでこうも清潔好きで礼儀正しく、いつも多忙なのだろう。
世の中は無常で、さっきの熊蝉給仕のほうが余程立派な人相なのに、油蝉に似た彼の方が偉い。
茶色の皮膚にそれより濃い唇、真っ黒な直毛をきれいに撫で付けているから余計に似ている。大木に止まらせてやりたい。小便をかけられないようにしなくっちゃ。

「しばらくお会いしませんでしたな。まだ此処におられたのですか?」
と蚊の泣くような小声で言った。ジャワ人の典型だ。
ジャワの蝉にも騒音防止法があるのだ。大きな声を出すより囁くほうが難しく訓練が要る。私も生まれはいいから上品に、「まあ、」と受けた。

「ソレア中佐からも特別に配慮するよう訓令があって、先週貨物はクリアしましたね。いや、人手不足で往生しましたよ。今日もたぶんそのお話ではないかと」
ほかになんの話があるとゆうのだ。モーツアルトでも話すのか。

「ローカルの書記では一向に説明がつかないので、御足労頂いて処理が早く済み大助かりです」 
よく言うよ、あら探しのくせに。
「マシャラニャ アパ問題点は?」
「内容物の確認だけなのですが、それが」 皺くちゃになったインボイスにあちこち赤線が引かれているところをみれば一応業務らしい事はしており、だから多忙になる。

「送り状との照合を願いたいのです。輸入税査定と禁制品検査の為に。免税申告をお望みなら照合が終わってからにしましょう」
免税許可など出るわけがない。意地でやるならジャカルタ本庁とを百回往復して旅費の方が高くつく。
「日本食だ」 「それが問題で、我々には使途用途とも全く不明、翻訳表を作成して日本領事館の認証を付して頂けたら審査出来るでしょう」

送り状には JAPANESE FOOD NO VALUE とあり、様々の心尽くしの慰問品が列記してあった。本社の清水君がスーパーで買い揃えたのだろう。

Takuan 5pcs. Yakinori 5cans. Kai Tsukudani 5btls. Instant Misosiru 10paks.Sumasijiru 10paks. Kuri Kinton 5cans. Yookan, Hatougarasi, MyojoRarmen,
Gohanndesuyo,Nagai Ochazukenori,

私は眼が眩んだ。こんなもの訳しようがないじゃあないか。世界で何が難しいかといえば、その国の料理献立表だ。
狐蕎麦と狸うどんはその動物を喰うのかと質問された事だってある。学問知識では歯がたたない、文化を背負っている。

「試運転には国軍将軍や知事、市長などがご出席になられる。その日取りも決まったのです。我々日本人は日本食を喰わないと力がでないのです。特別のご配慮をお願いしに今日ここに来たのです」
「お気持ちはようく解りますし、滞貨貨物の早期処理も職務上必要ですが、書類不備では前例にもなり、We're unable to approve it definitely 」 絶対にをやけに大きく発音して、威厳をとって背凭れに身体を沈めたが、小男なので足が床から離れてしまった。

「とにかく立合いの上、開梱しながら説明します」
「困りますなあ、未通関貨物の開梱は職員しか出来ないし、貨物はまだ外国貨物ですから。それを大目に見たら官民癒着で腐敗の元にもなります」
「それじゃあ水掛け論だ。内容物不明だからそれを見て説明する、それは出来ないじゃあ百年たっても結論はでない」

「だから貴方の書記にも話したように、送り先に内容明細と原産地証明を要求しなさい。何も貴方が熱くなる事はないのですよ」
「送り人も手当たり次第に詰めたからもう忘れているだろうし、遡ってのオリジン発行などとても出来やしない」
「送り人が送った物が解らない、それでよく大プロジェクトが勤まりますなあ」

「評定が出た。日本人はプロジェクトに不向きだといまあんたが言った。日本食の問題ではなくなった。
レコメンドしないなら帰国するしかない。ソレア中佐に報告してそれなりの処置を願う。貨物は没収するなり競買するなり勝手に。だが日本食は日本人しか喰えないがね」
押したり引いたり、お茶漬け海苔ひとつの為に大学出の論争が果てしなく続いた。しかし逆らっても相手に権限があり、もめる程こっちが不利になる。

袖の下も含めて。ながながと日本食文化の講義がはじまる。
たくあんはサユールハムをブラスの粉とガラムでもんで樽にシンパンしたスマチャムアシナン、焼き海苔とはハシールラウト(海産物)ダウンを乾して紙状にしたもの。味噌汁とはジャパニーズスウプ中国のテラシに似ている。スマシはそれを入れないもの。もう途中で馬鹿らしくなって何度投げ出そうとしたかしれないが、これを死ぬほど待っている男達の顔が浮かび丸一日を費やした。

驚くべき事に多忙と称していた当人が最後まで付き合ってくれたことだ。フリーズドドライ食品のご説明など私にとっては一生忘れ得ぬ思い出として記憶されるだろう。
ノーバリューは困るとゆうので五千円とした。

鉄は熱いうちに打て。翌朝タクデイールにルピア貨を持たせ直行させた。
税率は270パーセント、認証書はスラバヤ領事館を往復したとしての等価現金、今後税関の皆様が健康で幸福な生活が出来ますよう祈りを込めてのお世話代にはクレテック煙草など、給仕にまで配る配慮は苦労人でなければ出来ない事だろう。 

油蝉はチチッと小便をして次の大木に飛んでいった。蝉が笑うのを初めて知った。果たしてこの勝負、勝ったのか負けたのか、わたしは四個の段ボール箱に座りスラバヤまで泳いで行ったほど疲れた。
パロポに着いたら岩佐さんには270%分笑って貰わなくては。

年代ものの黒いホールデンが止まり、「帰っていると聞いてやってきた。見せたいものもあるのでな」
とラジャデイン。
「やはりまだ帰られないのか?」 「ええ、アキヒトがあの調子では」

「人はいつかは慣れるものだ。子供は野に置けと言うだろう。あんたはやれる事はやったと思う。もうパロポは忘れる事だ。個人の感傷は捨てる事だ。会社の方針でコミヤマが来たのなら尚更だ。これ以上儂に言わすな、パロポの秘密じみた事を」「秘密?」

「君も薄々は気付いているかもしれんサンバス将軍のお芝居のことを。オープンセレモニイの晴れ舞台を飾るP3のベニア板はもうすぐシンガポールより届く。
パロポはその板にPPPとステインシルでスタンプを押すだけだ。将軍がそれを掲げてフラッシュが焚かれ、お土産を持って国会議員から大臣。それでもアキヤマまだパロポにこだわるのかね。それの第二幕は、君が丹精して造った工場はチナ人に売られるのだ。日本から金をせびり、出来たものをチナ人に売る。ひと口で二度おいしいのがパロポのお菓子だ」

「ーーーー」
「もしフェスタにまだ拘るようなら、しょうがない、この人との約束も延び延びになって不憫に思うよ」
妻を見ながら親爺は続けた。
「いずれにしても数ヵ月、待ってもらった分でトーキョーにでも奮発しますよ」
「フェスタまで放っとくわけにも行くまいから、ジェネポントの在所に連れて行くかもしれん。もう随分長いことマルワと帰っていない、伯父さんといっしょに息抜きしよう」

パオテレ埠頭には内国航路のピーニシスクーナー帆船が踵を接してその優美な姿を休めていた。
ジュコンやランボの小型一本マストも飛び魚漁から帰ってきたのか、そこここに舫っていた。黒いホールデンはその一角の油か漁網小屋の前で止まった。懐かしいような海と魚と生活の匂いが満ちていた。

「これを見せたくってな」 10セットほどのスキューバタンクとレギュレーターコンプレッサーもある。
「ムテイアラ真珠ですか?」
「まあな、母貝探しもいずれは枯渇し素潜りじゃあ限度もあろう。いずれ頭のいい奴が稚貝養殖を開発するだろうが、そうなると真珠そのものの希少価値が薄れ、日本がダイアモンドルールとか称して必死で守る独占が崩れる。

儂はマカッサルが昔の港の栄光を取り戻せると踏んでいる。タンカーはじめ東西の航路は、いずれ狭いマラッカから広く深いロンボックに移る。船のマンモス化とその速力で。千年振りに昔あった南方航路、此処からスルー海を経てトンキン湾に至る航路、日本と往復する海道が復活するのだ。海と潜りはきものだ。船底作業や修理、観光ダイビング、コマンド コドック蛙部隊をつくるのだ」

マカッサルの空はおりしも暮れなずむ夕日のもとで茜色に染まりはじめていた。
巨大な燃える太陽が釣瓶落としに水平線に落下してゆく。その光芒は沖の豊旗雲に反射して海を金色に輝かせた。視界は黄色から萌黄色に、茜、緋、赤、紅そして紫と変わりながら夜への儀式を執行しいた。
音も声も時間すら止まって静寂が支配する。

その移り行く色彩に染まりながら私はパロポの事を、親爺はなにを考えるのか沖の一点を見ていた。
遠く近く、マグリブの祈りが弱い風に乗って聞こえてきた。
「最初に旗を立てた処が領地なら、マカッサルはミンダナオからオーストラリアの北、貿易風に乗ってカーペンタリア湾まで船出したのだ。白人が皆殺しにしたアポロジニイと一緒になまこ漁をしたのだが、バンダの富欲しさにいろんな国が干渉して、マカッサルは六百年その西の門番として戦ってきたのだ。
世間では航海民族と言うが、陸に住めない日々もあったのだよ」

ラジャデインは紫紺に変わる海に古い血の色を思い出したのか、ぽつりと言った。 此処に住んでジャカルタにはないインドネシアを感じたのは明らかだ。どこが違うといわれても困るが、強いて申せばジャワは茶色でマカッサルは藍色だろう。

P3に来てトンポ中尉と知り合ってしばらくして結婚式への招待があった。
花嫁花婿が誰か知らないが、彼らは私より私のカメラに期待しているので気軽に出掛けていった。          初めての婦人達の羽織る色とりどりの民族衣裳バジュボドの、蟋蟀の羽のように薄い上衣、腰のサロンは巻かないで、左手でたくしあげるように持つ姿は、正直眼のやり場に困ったほど鮮烈な印象だった。

ジャワのカインバテイックの、歩けない程に腰の線を強調した着付けもセクシイだが、こちらも身体の動きでは腰骨付近がちらりと視線に曝されるような、インドサリーと似通うルーズさの、男を悩ませるコスチュームを愉しみながらシャッターを切っていて紹介されたのがアンデマルワ・ヌールだった。
身元親のラジャデインが一緒だった。

きれいな英語も伯父についてヨーロッパで暮らしたからだと言った。
私はトンポに、「もう一度基礎からインドネシア語を習いたい」と理由をつけて、彼女の家に通う許しを得た。
日本人離れがしているとはよく言うが、マルワは郷土色とバタ臭さが適度にミックスして魅力があり、私の語学学習にも精がでた。ちらりと振り向く何気ない仕草、つんと顎を突き出す振りなど男心を否応なく刺激した。

ラジャデインともマルワ以上に親しくなった。
「日本軍政時代サルタンの子弟だけの特別学級があってな。皇居に向かい最敬礼!ってこう頭を下げるのよ。これ困るのよ、儂等が頭下げるのはアルラーの神と両親だけでしょ。愛国行進曲、意味も解らず歌わされたものよ。'やさしい兵隊さん、僕らの兵隊さん'て歌っている隣の教室じゃあ、バッキャロウってそのやさしい兵隊さんに殴られたものさ。君の国が敗けた日に二機のゼロファイターが舞い上がってな、
あらゆる空中サーカスを演じて、最後にハラキリ自爆で海に突っ込んだ。理由はどうでもサムライの美学だな。

独立すればどうなるかはよく解らなんだ。まだ子供だっだ。しかし村の男が引括られて帰らなければ、やらにゃならんだろう。ウエスターレンは六万人虐殺したといわれたら、四ヵ月でそんなには殺せない、四万人の間違いだと答えたという。私の父や弟、マルワの父さんはその頃の犠牲だ。ゲリラでオランダ兵を探し回ったが、相手はアンボンやミナハサの雇われ兵で儂と同じ色の敵だった」
十七才かそこらでの私は、田舎でたらふく喰って遊びほうけていただけだ。

「マルワが不憫でそうしてやったが、それが不幸だったかもしれない。人の生きる道は難しい、知識が多すぎても、女は殊にな。婿がいないのだよ。結納金も家柄、顔、歳で下げられんから婿も限定されてな。ボネの裁判官に縁ずいたが三月もしないで出戻った。気位も高くないいい娘だが、ジョド似合いとなると色々むずかしいものだ」

イスラムの四人妻とか異教徒は興味本位で言うが、イスラム程貞操観念の厳しい集団はいない。男女席を同じうせずだ。パーテイでも寄り合いでも、夫婦といえども家に入ったら右左に別れる。余程親しい間柄でも、夫人は男性客の前には現れないし挨拶すらしない。いつも第三者、弟や叔母達がマルワを護衛していて一人の時はなかったから、どこぞの国で期待出来る、そんな機会は訪れなかった。

「イスラムではない異教徒だし、貴方はいずれは故国に帰るでしょう」
いまでは焼きが戻って、よく謂われる身分証に書かれるだけのイスラムになり下がって、日本人には一神教は所詮無理な、地蔵様多神教の世界だからなどと不埒な言を弄しているが、その時は音楽的興味からも、あのオリエンタル調の原点であるアザン(斉唱)はガイジンとしてはちょっとした出来栄えだった。

ついに認められてその日になったのだが、たぶんマルワを嫁がせる経済的年令的身分的選択に悩んでいたのも私にとっては好都合だったのだろう。
たとえ短くても寡婦では、カウインマス(結納金)の見積もりも、彼女の場合値のつけようがない。
名目的にもイスラムなら、外国人のコミュニテイにおける位置ずけはあいまいでもあるし、此処でなら圧倒的な経済力がある。

あれだけするりと男性の欲望を躱していたのに式も済んで家に帰ると、もどかしげに衣裳をさらりと脱いで素晴らしい肉体を惜し気もなく亭主の前に曝すとは。
その時ほど文化の違いを思い知らされた事はなかった。

羞恥心の質が違うのだ。
歴戦の私もたじたじとなった程だった。男女の関係にじめついたところがないのだ。よく立っていられるなあと思う程にくびれた胴の上の突き出た乳房、張りつめた腰から流れる形のいい脚、あとで知ったが身長差10センチで、足の長さは彼女が1インチも長い。ショックだが厳粛なる事実だ。

南国の情熱とか燃える小麦色の肌とか表現はあろうが、マルワはその類い稀なトルソーから想像するようなコケテイッシュに乏しい女だ。亭主の望みはいつでも叶えて差し上げるが、以上でもなければ以下でもない。セックスに爛れるなどは小説の世界で僅かに喘ぎを見せる程なのは、熱帯の気温とか家屋構造に関係があるのかもしれないと思ったりする。夫婦で組んず解れずの戦いをしたら、開放的な部屋では筒抜けになろうから。
                        
かんざし簪で止めた長い髪をはらりと落としただけで私は興奮する。ちょうど手の平に納まり切れない乳房をまさぐって、彼女が脚を絡ませてきても平静を装ってか、「伯父さまは近頃お忙しいみたい。あっちこっちから昔のお客様がいらっしゃるの」薄い少女のような恥毛に愛が湧いてきて、はじめて少し呻きながら私を導いた。 
          
庭の木のどこかでトッケ蜥蝪が、「トッケ、トッケ、トッケ、グル、グ、グ」と鳴いた。トッケが七回続けて鳴くと幸運が訪れると人は謂う。庭のトッケは六回まで鳴いた。

 
 
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