慢学インドネシア {旅物語・海物語}
 
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6 バリへの東航 4

海賊考

アフトデッキで奇妙な姿で脚を折り、ドグハウスすれすれに視線を固定して、ラットを鷲掴みにした船頭アブドウル・ムインは、もう小半刻もその姿勢を変えない。
なにが気に入ったのか此処では不吉な色の黄色のサウウエスター(荒天帽)を真深く被り脱ごうとはしない。左腿から腰骨にえぐられたような傷痕、風に乗って潮の香と奴の体臭が混ざり合う。単調なジャワ海の東航。
「ムイン、楽しいか?」 「トガスニャ(仕事)でさあ、トアン」
「俺と会う前、何で食ってた?」
「プラブハンラトウ(姫湊)で漁師でさあ、トアン」
彼はヘミングウエイも逃げ出したくなるような巨大魚との格闘の話をしてくれた。
「その傷は、そのイカンパラの毒か?」
「んにゃ、その前でサ」 「前とは?」
「その、スモッケル(密輸)で、、。リアウの海でマーキュリイの二連掛けでした。運てやつはあるもんでして、、AL(海軍)に掃射されて仲間が死んだ時、わしゃ海ん中に二日いましたんで、傷が治らず、そんで魚仕事をやったんで。だけんど、ペロール(弾)があとインチ上なら、玉持ってゆかれるところでした」
我々はそれで乾いて笑ったが、彼の遠くを見詰める眼は、流木探しではなく、いなくなった仲間を探しているように見えた。
「スモッケルは儲かるか?」
「親方のチナ人は儲かるでしょうが、こちとらの実入りは決まってるんで、それ程にゃあ」
「だけど、命がけなんだろ?」
「トアンが思っているほどにゃあ。あれよりましでさあ」
「アレとは?」
彼はゆっくりと振り向き、無い前歯をだしてニッと笑って答えなかった。
「あれとは、チュリバラン(抜け荷)だろう?」
「滅相もない。ま、それも仕事にゃ違いないスけども、あの稼業は誰かに見られてるようで、後ろが気になって陸にゃ住めなくなりますデ。 時代も変わったし、、」
海賊稼業(バジャック・ラウト)、私が抱いていたイメージとはかけ離れた彼の生業のひとつが朧気にもわかる事になる。

キャプテン・エイブリイやキッドがお姫様を抱いて、ピープデッキでチャンチャンバラバラの勇ましさには程遠い、言うなれば私設税関のような醒めた仕事感覚で、彼は話した。

俺の世界の考え方からすれば、彼は何回か転職している。
叔父のピニシスクーナのデッキマン−恐怖のトップスル揚げ。真珠貝採取船−夢のような物語と潜水病。密輸ボートのスキッパーといわゆる海賊。沖漁師そしてラロの船頭。
しかし俺と係わりあったニュージョブ以外、それらは殆ど区別出来ない程に重なりあい関連性を持っているのだつた。 それは只ひとつ、海の生業とゆう同じ労働なのだった。

船は貿易風に乗って交易する。積み荷にはお上がゆう禁制品も混ざっている。
しかし彼等にはそれが禁制とか密輸だとする意識に乏しい。
商行為には国境を越えれば許可とか関税とかが頭に浮かぶが、彼等には国境なる観念は存在しない。存在しないからそういった面倒な規則には縛られない。
欲しい人がいて運ぶ人がいるから物が動く。
マレイシア、シンガポール、それにインドネシアと呼ばれるようになったのはほんの昨日の事だし、その画張りは不幸にも何も知らない西洋の簒奪者が引いたからややこしくなる。リアウ、スルー海からボルネオ北東、ミンダナオ、スラウエシ北西の住民は誰もそんな国名で自分達を意識していない。あくまで海ダヤクでありバジャウ、スルーでありブギス・マカッサル人であるのだ。そこに引けない線を引こうとするから厄介なことになる。
彼等が関知しない国境とゆう架空の線を越えれば`制服`に違法と言われ、罰金なり税金なりを徴収される。彼等にとっては不当の出費だから賊に出会ったとゆうことになる。
それに、、イスラム教はこの島々の海の男達から内陸に広まっていった。
その教義にはアルラーの外に神はなく、神は万象をしろしめす。
人は神の前で平等が絶対なる根元である。アルラーの御心のままに、財産も運命も神の所有に帰す。
この国の人々には個人所有の観念が希薄のように見える。
財産は村のもの共同所有であり、それすら神からの預かり物で、最も必要とする者に一時使用権があるといった考え方。教義に従えば、持てる者は持たざる者にセデカ(喜捨)で余徳を返済する義務がある。

俺のもの、おまえのものと目くじらをたてるせちがらい先進国とはやや異質な思考がある。
欲しい物が向こうにあれば、一時預からせてもらう。向こうが欲するなら、しやない融通しよう。すべからく神の采配で、総ての所有は神に帰するから。
きっとリアウのバジャックラウト(海賊)も、襲う奪うといった恐ろし気な存在よりも、バギアン分け前とかコルバン生け贄といった柔らかい感じがあるようだ。そりゃあ時には行き違いもあって、人のコルバンもでただろうが。
面白い事には、ムインも時には追われる立場になったり、また追う側にまわったりして立場が確立していない。襲ったり襲われたりしながらこの海を生きてきたのだ。
嵐とか凪とがあるように、ひとつの出来事の一部なのだ。
ムインは欲しいものを借りる為(返す充てはない)うねりのなかで荷を貸せと怒鳴ったり、パラン(大刀)を抜き放っただろう。パランやチュルリッ(鎌)は使ったことはないと言ったが、どうかな。
短いワッチオフ、何をしているのかとフォクスルハッチから下を覗いたら、プリオク出港の買い物で、いの一番に買い込んだホンコン製のパランを汗出して砥いでいたではないか。そうさ、ナイフではロープは切断出来ないからな。
分るぜ、ムイン。

海は繋ぎ、陸は隔てる。太古以来そのようにしながら生きてきた彼等の前に、突然と陸の方式が闖入した。国境。誰にも見えない境界線が海の上に出現して、往き来もままならなくなった。
「スラガム制服は始末に負えませんや。奴等はすぐ撃つから。見境いなく根こそぎですけん。わし等のこたあ芋程にも思っちゃあいませんで。トアン知ってますか、ナツナのベトナム難民のことを。救けを求めて海から来た者を、、、」
ムインはおかしなところで嘆いた。彼とて昔は渡世人だったのに。
有無をいわせぬ大海賊の出現で、それまで奇妙なバランスを保っていた海道の定めが崩壊した。

奪われるだけでは他に糧を求めなければならない。大刀では飛道具に刃がたたないから同じような得物を用意する。
得物を持てば使いたくもなる。核実験と同じだ。
そうして制服のやり方で狩りをし、孤立し、専業となった。
獲物が仲間以外の船なら神も許し給う。異教徒なら、神の祝福あれ!
俺も視線を遠くに移し、リアウの蒼い海原、槍のようなプラフ(小舟)に膝立ちして、曲がれない程に乾舷低く突っ走るムインを想像した。

思いなしかムインの眼が厳しい。もうロープの端で奴の尻をどやすのは止めよう。
いつラロの船頭から首領に変身しないとは限らない。

暗い町角で、色の黒い鋭い奥眼の男が近寄ってきて「マッチあるかね?」と聞かれれば、単一民族出身の俺は、物盗りかとどきりとしてしまう。
いつかの船旅でもそんな接舷をされたことがあった。先方はマッチが濡れただけで寄ってきて、白い帆の見慣れぬ船を見つめる彼等の刺すような視線で、ラロの客人はパニックになった。東京に帰った友が「南海の海賊遭遇談」を吹いているのに失笑したものだった。
海賊を避ける方法は船に乗らない事。陸でも盗賊はいる。答えにならない。
そんならいっそ、自分が海賊になれば決して海賊に会う事はなくなる。馬鹿馬鹿しい。
しかし、ちかずく事は出来る。ムインのようなお仲間となら。但し同じ言葉を喋るのが条件だ。奇しくもそれがスマラン沖で現実となる。

ハルを叩く波の異常さで眼を覚ます。ラロはいっぱいからいっぱいに蛇行している。
一度ヘッドの扉にたたきつけられながら飛び出ると、思うことか、すぐ脇をスロットル一杯で回り込もうとしているパワーボート、ブームがバシンと返る。ムインはと振り向くとレーキの後ろにもう一隻、スプレーを浴びながら突っ込んでくる。

「なんだ!?」
「出るな、トアン! 中に入って!」 「そお」
ひどく素直に従った事があとになっては可笑しかったが、その時は異変だと瞬間に分ったし、俺が見えない方がいいとも思ったのだが、本当は怖かったのだ。
女はいないみたい。みんなフツーの人みたい、だけど速いな、などと変な事ばかりが頭に浮かんでキャビンの壁や天井を見回していた。消火器のピン抜いとこうかとか。
そのうちラロは止まってしまい、うねりに任せて大きく揺れはじめた。ポートホールからは何も見えない。膝を抱えて天井を見詰める。
音、ドキッ、音、怒鳴り声と、俺の知らない言葉の叫び声、「テナジ!」ブギス語で否の意味だ。また声、ムインか? また音、足音、ラロは俺を入れて四人、多いな、乗り移ったのかも。そっと立ってドアの鍵を閉める。

どうしても落ち着かずキョロキョロと天井を見上げてしまうが、状況がわからないまま姿勢が低くなるようだ。上のパイロットハウスは静かだが、またがたんとゆう音、「テーナジ!」あれはムインの声だ。何分?いや、時計を見ていなかった。情けない。
しばらくして再びエンジンの音、ラロはいちど震えてからひどくヒールして動きだしたようだ。連行されるのかなあとか、意を決して出てゆこうかと吊るしてあったベストの中のスイスアーミーナイフを探したりしたが、リンゴは剥けても戦う武器ではない。
ドアがノックされて思わず身構えるが(終生の秘密)盗賊はノックなどしない。
「マアフカンラアすみませんトアン、騒がせちゃって。すみませんトアン、予備の二十万とカセットラジオ、ビールカートン、缶詰め、シロットの腕時計にカメラ、盗られました」
「カメラはバカチョンの方か?」
「チョン?」
「もういい」(俺はだいぶ動揺しているが、まだ生きている)
「アルハンブリラア、神の御加護を、昔のダチでしたトアン、手首がないんですぐわかりました。あの野郎もういい歳なのに、まだシゴトしくさってからに。コルバンと思って許してやってくだせえ」

「セデカだな。鼠色(海軍警備艇)でなくってよかった」
「シュックルラア、トアン、ありがたいことで」
チャートテーブルに置かれたツアイスの七倍はそのまま揺れていた。
泥棒にも五分の魂があるようだ。
ムインの大刀ががたんとステップに当たり、俺もデッキにでた。
ソニがワイルドジャイブで飛んだブームシャックルに取り付いていた。
シロットがべそをかいていたので俺はセイコーダイバーを外して投げてやった。
彼は死んでもいいからセイコーをはめたいのを知っていたから。
左の手首だけが文化人になっていった。

輝くような蒼い海が広がり、なんとなく想像していた海賊の襲撃とは裏腹な、あくまで明るい騒動が俺を和ませた。風の涼しさが感じられるようになってから俺はぐっと前方に眼を据えると、塩飽水軍の頭目になった気分だった。
東京に帰ったら、どう尾鰭をつけて話そうか。

 

 
 
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