慢学インドネシア {旅物語・海物語}
 
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9 バリへの東航 7

マデ・ワヒュウ・スタストリ
二年前ひとりの観光バスの客としてこのフェリイに乗り、船長と知り合った。
いつか自分で舵を取ってバリに来たいと言ったら、操船もそっちのけで、数百人の乗客が乗っているとゆうのに舵輪まで持たせてくれた。再会を約した。
約束のラロを見せてやりたい。手帳の住所を、「ジャラン・ポゴット28番地」と痩せ馬の御者に告げた。

小さい前庭に赤い花が咲いていた。
「もし、キャプテン・スタストリのお宅ですか」
しんと静かな家だった。少し待って裏に回ってみるが誰もいないようだ。
再び表に出ると、ちょうど道を渡ってくる婦人がいた。
「キャプテンの友人なのですが」
外人が珍しい子供たちが遠巻きに集まってくる。
「あのう、夫は亡くなりましたが、、」
「えっ、まさか!」
「ジャントン心臓発作で、二年前になります。ここでは何ですから、お入りになって」
ロタンの小さな応接セットの上の壁に、口髭も凛々しい好漢が写真の中で笑っていた。

「信じられません」
「ナシブラー、トアン、定めです」
「次に会う時は自分の船で来ると約束して、今朝ジャカルタから着いたんです」
多分遺児だろう、幼女の頭に土産のアポロキャップを乗せてやった。
船乗りの家だからか、俺が船乗りになったからか、不躾けにも裏の水場で水浴させて貰い生き返った。部屋に戻ると女中らしい老婆が サテ 焼き鳥とロントン米餅を供し、子供を連れて退出した。
未亡人はサロン姿からピンクのワンピースに着替えていた。この色は間違いでなければ、ショッキング・ピンクとゆう。

俺はどうも落着かない。海峡を渡る二時間程の付き合いで亡夫の話題とてないのだから。
「年金と保険で生活はできますし、もう過ぎ去った事ですから。子供がいると再婚も決めかねるし、家があるので呑気にしてますが、この村では退屈なので、時々街に行き洋服の裁断やお針子みたいな仕事をやっています」
昔俺の好きな英国女優に、ジーン・シモンズとゆう小柄な女性がいた。肌は濃いし胸もないが、小さい顔に大きな瞳、上向きの細い鼻筋、船から上がると誰でも美人に見えるものか。
それにしてもひどく撫で肩で指の細さはどうだ。
バリの地酒トアック、口に含めば、こりゃあ過ごせば脳味噌が転回するだろう。
「マデっていいます。マデ・ワヒユウ・スタストリ」
「バリはどちらです?」 マデとはバリ人の長女につける名前。次女はクトウットだ。
「わたし、バリ人じゃないの、結婚してここに住んでから皆ながそう呼ぶだけで、本当はマドウラなの」
「マドウラ!」 ムインがひっくり返る前話していたシャコ貝とか真珠貝とか、俺はひっくり返りそうになった。
「あら、マドウラにお知り合いでも?」
「いや、マドウラ人とお会いするのが初めてだもんで」
男と女の視線がテーブルの真ん中でパチンと音がしたような、胸のうちが見透かされたようにうろたえてマルボロを探した。
「良く見てくださいな、女は女、いまはマドウラの貧乏後家、、」
とテーブルの豆を摘まむ指は驚くほど細く長く、そのままあのバリダンスの繊細なセクシイに震える指の動きだった。
まつわりつく幼女を女中に預け、そうしてバリの、南国の夜が更けていった。
「ゆっくりお休みください。揺れる小さい船のキャビンより少しはましかしら。ご用があればお呼びください、隣の部屋におりますから、、」
南国の部屋のドアはカーテンだ。それが揺らぎワヒユウは消えた。
俺は日焼けか椰子酒か、火照った身体を裏庭に運んだ。
生暖かい風が過ぎ、潮騒の音が聞こえた。引き降ろすように無数の星が瞬き、遠く東の方で稲妻かぴかりと光った。
子供机、落書きのある壁、小さい裸電球がさがり、天井に八匹のチッチャ(家とかげ)が恋を語っていた。
俺は枕の下で腕を組み、イニラ、ナシブ、、これも運命。

真珠貝の夢をみた。
サイケデリックな海の色、海草がゆらぎ、ゆらいで、真珠の珠がひとつ。

寝過ごして07.00 満ちていた潮は引きはじめている。
それまでのことはこの文の主題ではない。
避けられない労働で俺としたことが遅れた。引き潮出港を迫られている。
それだけでなく最後のベノア入港も日没後になろう。女は魔物だ。
水面の泡や浮き草が湾口に向かって流れていて、岸の森の下にもう二米程土が見えている。
流れのせいで舵効きも最悪、尻を振るようにして外海への狭い水路を進むがそう上手くゆく時ばかりはなく、底付きのいやな音。ほんとうにいやな音だが両岸の様子から底に珊瑚岩はない砂地を信じる。
シャーをこするようにしてやっとこさ出ると、視界は一気に展開して、真正面に半ば雲を帯びて聳えるムラピ山、標高2800米が水道の向こうに天を圧していた。


ブワッとジェノアが展開してソニが巻くウインチのキリキリゆう快音、シロットがメガネを差し出して首を振った。フェリイ波止場の外れに小さい日傘がひとつ揺れて。
'バ〜〜〜〜〜〜ッ'サンパイ・ジュンパ・ラギ −また会う日まで− ホーンが告げた。

今から俺達はジャワの泥海ではないバンダの海に続くほんものの海を走るのだ。
そう思うと風もテイモール・ラウトからぐうんと加速してうねりの幅も雄大になる。風速計も狂ったように回転してセーリングの醍醐味がもうしょっぱなから始まっている。
「行くデ、友輩よ!」

十四世紀か、腐敗した東ジャワ王朝は天災、疫病それとイスラムに追われて、この海峡を渡ってバリに逃れた。以後バリは土俗信仰と合体したヒンドウ文化が華ひらく。
有名なボロブドール遺跡の石版に、数十人の水夫と乗員を乗せた巨大なアウトリガーカヌーが鮮明に彫られている。ゆうに五十米を越す二本マストの構造船は、当時彼等が世界に先駆けて渡洋航海を消化していた証拠だ。

うねりに身をまかせて上下しながら、霞むジャワの山並みを眺めやれば、俺は対岸のバニュワンギ(香り川)から海面を覆う大小の御座船が、銅鑼や太鼓を打ち鳴らし、お姫様を守りながら渡御してゆく様が容易に想い浮かんだ。
人の世は変わったが、この海も眺めも変わってはいないし人の心もさして変わってはいないだろう。
生まれて食って子を落とし、死んでゆく僅かな時空の中でしかないのだ。

幻想を抱いているうちにもラロは'の'の字を描くように南下して、お姫様の船は、色とりどりのラテンセイルを掲げて波間に浮かぶあまたのカヌーの群れに変わっていて、鴎の大軍を従えて移動する鰹のなぐらのなかに突入していた。海面が盛り上がり銀鱗が跳ね、漁師達はまるで波の間に座っているようにしか見えない。
海峡をかわすと風はシフトして一本でバリ南端のムルブウ岬を躱すのは無理になった。観光ビーチクタに針を置いて二、三回のタッキングとなる。
ラロはグヌンアグン(偉大山)に敬意を表して会釈するように、マストを傾け七ノット、ムインは責任を感じての腹這いはいいが、ろくに水も浴びないので、このバリの薫風も饐えた臭いが混ざり、舵輪の真ん前が彼の尻ではモジョパヒトのお姫様の続きは見られない。

バリ、最後の楽園、神々の島。
1952年まではそうだった。バリ娘は胸もあらわなトップレスだった。
髪にフランボヤンの花かんざし、コペル(供物)をプヤ(祖霊)に捧げる小麦色の行列は、まぎれもない神の下僕だった。
いま娘たちはサロンを胸までたくし上げて人間になってしまった。
代わってオランブレイ(白人)が、垂れ下がった乳房丸だしでプライベートビーチにたむろする。
圧倒的な所得格差だけで「ワンモアビール」とほざく同じ顔かたちの若者サーファーや、半裸で貸しバイクで疾走するオージー、ぞろぞろと行進して「アラ不潔」とか、高いの安いのと協議を重ねる親類の観光客の無礼を嘆いたりはしない。それで銭が落ちてホテルボーイの母さんの葬式代が出せればそれでいい。コペルを踏みつけて歩いても、祈りがショウになっても驚かない。カンコーとはそうゆうものなのだ。ドル稼ぎには知ったような寂びた旅行者に用はない。
大量到来大量消費、まがいの豪華贅沢を売るのがファイブスターホテルだ。
誰も止められない。何処に行こうがコーラとフジフィルム、ハンバーグとビールがなければコレラになるのだ。
大きい声で言う積もりは毛頭ないが、いずれこの傲慢無礼はブサキの大神の逆鱗に触れることになる。予言してもいい。
うねりは、このうねりは南極から通しでやってくる。神々のおわす山グヌンアグンが高く、低く俺は沖からすっぽり眺めている。ひどく贅沢なカンコーだぜ。
プヤとは知らずに立小便したり、他人の家に土足であがるおそれもない。この素晴らしい景観を遠くから眺めさせて貰えればそれで満足、遠いほうが神の座に近いようだ。
「イカンパラ!」
シロットが叫んで船はスタンションを洗う程ヒールし、俺は落水寸前で足を波に洗われる先をマンモス・エイは悠然と去っていった。
やはりこの国は豊穣の地なのだ。
生きるのに目くじらたてなくてもいいから、人々は屈託が無く楽天的にみえる。
先ず受け入れる。それから少しずつ選択してゆくから時には失敗もするが、ミイラ取りがミイラになるケースもある。この地も日本と前後して元寇、元の大軍に襲われたが、国難ここにありと切り結ぶ事はせず、内陸深く誘導してじんわりと同化させてしまった。
イスラムが入来した時も一神教の凄さより、よろずの神のひとつ位の包容力で、結局自分流に変化させてしまう。キリシタン踏み絵とか、恐怖余っての鎖国とかのどっかの国とは発想が違う。オランダにも隣国王様との喧嘩の助太刀程に考えたから、数百年ひどい仕打ちにあったが、フィリピンみたいに文明まで明け渡す事はないしたたかさがある。
貧乏国とか低開発国とか言っているが、衣食住コミュニテイの貧富は果たしてどちらかと考えると安易に答えはでない。

ラロはクタビーチ沖を三回目のタッキングでパスしている。もっと岸に寄せてオプションツアーとしゃれよう。
サファーの遊びどころぎりぎりのブレイクポイントまで持ってゆく。
なんで人は渚に立つと一様に沖に向かってたたずむのだろう。
砂浜に並んで肌を焼く乙女も申し合わせたようにふたつの膨らみを沖に向けている。ピーピングトムなら沖から近ずけ。メガネにでかすぎるふたつがぶら下がると、何か物体のようで距離をとりたくなる。
彼女たちを吐き出したンガラ・ライ空港にアプローチする文明の利器の下を掻い潜るように、もうひと息岬を回れば目的地ベノアだと思うと。

やや疲れてもいたし、こんな狭い岬の反対側が港で陽も傾きはじめていたが、初めての港は朝を待てとは言っても港の灯火には幸せ、安心、歓喜、男の欲するすべてのものが暗示されるだけでなく用意されているから、この誘惑に勝てない多くの船乗りが取り返しのつかない失敗をしでかす。
新しいスペシアルリゾート・ヌサドウア(双子島)の灯かりも指呼の間で俺を呼んでいる。だが此処もマングロープとリーフ(両立しないが)が海を埋め、スタボーのセランガン島とを急速に狭めているのは知っていたが誘惑はそれを忘れさせた。
遥か沖の案内浮標とおぼしきブイを迂回して、かすかに点滅するベノア埠頭の灯標を見通して位置を出した積もりでも、びくついた低速のラロはよれるように潮に流され、はっきり識別出来る暗礁の白波に吸い付けられて一度目は失敗。デプスインジケーターのゼロメーター警告音が鳴り続けるのでカット、五感に頼ろうといってもたいした感もありはしない。
クルー全員が恥ずかしげもなく舳先にしがみ付き、腕の指示で前進微速だが、またよじれるように流され侵入不能。アプローチングウエイが違うのかといった疑問が湧いたり、そんな事はないとか、冷えたビールとか、やばいから諦めようかと混乱しはじめる頃、偶然にも旧知の真珠貝採取船ハスコ・ドウアが俺達を見つけてくれ、暗闇からテンダーがやってきた。
「スラマットダタン ようこそバリに!」
「アッサラームアライコム 神に平安を!」
パイロットしてくれ、我々は黒くシルエットで浮かぶオフショアクルーザーにアロングサイド出来た。
天下に聞こえた最後の楽園バリの海の玄関ベノアの灯台は、神をはばかるかのように頼りなげに、ピカリと光って消えた。
とにかくビールを飲んでからだ。

柔らかなSE風が南洋仕様になったお肌を撫ぜて通り過ぎてゆく。故国はいま雪か。
オイルスキンに身を固め、かじかんだ手でテイラーを握り、油の浮いた東京湾のスモッグで黒く汚れた船と人が、今日の冒険を肴にシャトウナントカを細いグラスに満たすのか。
イカンタンギリ(しいら)の丸焼きでよろしい、ほとんどの自然のなかなら。
しかし自然はそこに在るだけで文化人には何も与えてはくれない。銭をだしたからといって冷たいオシボリもだしてはくれないが。

こんな処、千年たっても気温27−31度、昼夜12時間で変わらず、四季もない国にいると今日も昨日も明日もない、月日のたつのも忘れてしまう。
'救けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば、絵にも描けない美しさ、'
乙姫様と鯛や平目の舞い踊り、月日のたつのも忘れ果て、遊び疲れた禁断の玉手箱をあけた浦島は、タイムスリップから呼び戻されて老いさらばえる。 あの物語は真実だ。

今夜の海の色と同じな藍色の夜気の風が渉ってくる。遠い東、テイモール・ジャウの彼方から、、。
スパイス・アイランドとして歴史にピカリと光り、そしてはかなく消えていった香料諸島。レッサースンダの島々、マルクの故郷、、。芳醇な香りのもと、珊瑚礁を母にしたポルトギスの末裔が幾世代、忘れられた入り江に黒髪をたくし上げ、碧眼で見つめながら、、
思わずまだ見ぬ遠い東に瞳を凝らして、風よ運んでお呉れ、
イーストオブバリへ、、。

本稿海賊考は「舵」キャビン夜話に転載されました

 

 
 
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