あっても無くてもどうでも良いのだけれど、あれば時折触ってみたりして多少は面白い(尾も白い)という意味で、また情報提供者である我々の都合で、突然止めてしまうかも知れないので、トカゲの尻尾ならぬ『TOKADAのしっぽ』なのであります。どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
最低シリーズ その1「最低の上司」に関して
この文章の原型は著者が二十歳代半ば頃から書き始め、二十歳代後半に一応の完成を見た文章です。当時、著者はいわゆるサラリーマン組織に属しており、はらわたが煮えくり返りそうになる日常生活を送りながら、自分を励ますつもりで書き綴っておりました。書きかけの原稿を仲間内に見せたら爆笑されたり、元気が出た、とか言われたので図に乗って、十数年経過した今まで捨てずに保存し続けていたのです。TOKADA社のHP作成を機会に文章には多少手を入れましたが、もう15年から12年近く前に意識的に堅い文章で作った味わいは敢えて残しました。内容に関しては、現在の変化に富んだ社会環境下では、この文章にあるような隠忍自重的な経験の積み方は、もはや古くさくて今の若い人には合わないのではないかとも思ったりします。また著者が十年以上積んだ年齢と経験を持って、改めてこの類の一種の処世術の様な課題を書き換えたら、「こんな馬鹿な輩の下で何で我慢しなければならないんだ!」となってしまい、いきなり最終章になってしまうでしょう。その挙げ句書くことが無くなって、『TOKADAのしっぽ』よりもっと下らない言葉遊びを羅列させてしまうのが落ちなの
です。
『最低シリーズ その1』となっておりますのは、最低な輩を次々と文章にして笑い飛ばそうとの意図からです。曰く、「世の中最低な奴ばかりである。最低の上司、最低の部下、最低の同僚、最低の親、最低の子供...」と無限に書く材料が尽きないという姑息な下心がありました。この文章を読んでくれた嘗ての同僚などと、「最低シリーズ」の意図にお互い無責任にも笑い転げたものですが、実は『最低の上司』だけで肝心の著者が力尽きてしまいました。著者が自分にそれ程の力がないのを認識していなかったのです。ですから言うならば、『最低の著者』な訳です。
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