「最低の上司」その一 「最低の上司」その二 「最低の上司」その三
「最低の上司」その四 「最低の上司」その五 「最低の上司」その六
「最低の上司」その七 「最低の上司」その八

2.経営上層部からの命令に過剰なまで直情的に反応し、挙げ句の果てに命令の本質を歪曲してしまう程思慮を欠き、ひたすら形式を整えるのに狂奔する上司。

[解 題]

今は昔となった高度経済成長期の、典型的サラリーマン像はこの様なものであったのだろうと想像する。即ち「手の平は何度返しても滅らない」の精神に裏打ちされた人物像である。恐らく大量生産時代の組織は、似た様な平均像が幾重にも重なり合っていても、会社が全体的に辻妻さえ合えば良しとされたのであろうと想像を逞しくする。多分その時代には少数の良識ある人材が、百点満点中七十点以下の人材をうまく用いるように組成された組繊こそが、意識的に設けられた非関税障壁で閉ざされた市場に於いては、最高の効率を生み出す形態であったのだ。
その当時には、つまり以下のような組織運営を前捉としていたのであろう。経営側は大雑把な命令のみを下す。その下に居る者は、要所要所に配置されている優秀な人材以外は、命令通りの行動を最低限遵守していれば会社が動き、五体満足な人物であれば生活をある程度保証出来る。誠に夢のような社会である。即ちその様な社会環境下では、百点満点中七十点の無難な人材が重宝なのだ。何故なら突出する才能がある人物は正論を言うので、政府の言いなりになっている企業経営者に当然危険視され、更に複数の能力を併せ持つマルチタレント型の人材は、仕事を独り占めする悪しき人物なので一人の仕事を五人に分けて無為徒食を図ろうとする輩には労働強化を実践する脅威として排斥される。百点満点中七十点の無難な人物に求められていたのは、経営側が、会社が正しく動いているか否かを簡単に確認出来るように、明瞭な形式を整えることだけである。これは恰も墓を白く塗る空しい行為に似ている。もしこの見解が正鵠を得ているのであるならば、ここで言う最低の上司とは、移り行く時代に落伍した故に現在では最低になった同情すべき哀れな時代遅れの生き物である。

[対策]

この滅ぴ行く人材を活性化させるのは並大抵ではない。自ら仕事を創り出す苦しみと、その後に得られる無上の喜びとを知らぬどころか、創造を試みた事さえない暗澹たる精神世界の持ち主なのだから。丁度「お手」を条件反射で習得した犬に、いきなり足し算とか引き算の類の思考作業を強要する様なものだ。飼い犬に思考作業を期待する人は余り居ないだろう。つまり無いものねだりであり、この類の人物は、潜在能力の活性化だの有効活用だとかを求めても、この類の輩が生来併せ持つ筈の潜在能力など、エジプトのミイラがこの世に目覚めるよりも更に深い眠りについて居るのだ。従って、美しいかけ声の基に人並みの努力を要求すればする程本人の苦痛は増し、より追及の度合いを強めれば、最低の上司は逃げるか、あるいは狂暴になり金属バットを振り回すかバタフライナイフを忍ばせる様になるのが落ちである。
この形態の上司に対する策は唯一である。即ち徹底的に近づき、親しくなり、常に相手の心理状態を配慮しつつ、あらゆる機会に、あらゆる抑揚の声で、仕事に対する考え方を語り続けることである。この作業は一度始めたら、努力を決して中断してはならない。地を這い回るが如き期間が一体どれ位なのか、個人差があって解らないので一概には言えない。若しかしたら気の遠くなるような長い年月を過ごさなければならないのかも知れない。しかし例え途方に暮れても絶望してはならない。少なくとも上司が人間である限りは、言われたことが潜在意識に深く沈み、此れ又気の速くなるような歳月を経て、再ぴ浮かび上かって来る頃には、恰も上司が自分で考えたかの様にこの人物の頭の中では混然一体となっている。ここ迄来たらしめたもので、洗脳がほぼ完了したと見て良い。後は上司を立てられるだけ立て、徹底的に利用するのである。手柄は全て上司に与え、自分が出しゃばらないことが肝要である。直接には自分の名前が上がらないので、呆らしく思う時もあろう。しかし天に富を積む作業は、遠からず自らに富を齎してくれるのだ。即ち、愚人に蔑まれるのは最上の誉れであり、寧ろ最も避けな ければならないのは、いざという時に味方してくれる賢人に見放される事態である。従って「少なくとも賢人だけは見抜いている」事実を心の支えに、強い意志を持ち行動すべきなのだ。
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