「最低の上司」その一 「最低の上司」その二 「最低の上司」その三
「最低の上司」その四 「最低の上司」その五 「最低の上司」その六
「最低の上司」その七 「最低の上司」その八

6.自分がたいして有能でもないのに部下の能力を信用せず、矢鱈に仕事を抱え込んでは一つとしてまともに遂行出来ぬ上、そもそも顧客から信頼されていないのが分からぬ上司

[解 題]

自己の能力を推し量るのは、人間関係力学で成り立つ組織に居る者にとって、最も基礎的で且つ最も大切な能力でありながら、最低限の能力からして欠如している欠陥人間がこの上司である。
何故人が一人で生きられないかは、一個の人間の能力が、時間的な制約もあり、無限に発揮出来る訳ではないからだ,会社組織形態を採った事業は、最も具体的な例と言える。人が協力し合う事により、各々が持つ不定形の能力が相乗勅果を発揮して、一足す一が三や、時には五以上になることがある。自分に欠ける能力を良く認識し、不足分を補ってくれる能力を部下の中から見い出し任せる事が、組織の燃焼効卒を高め、一足す一を五以上にする秘訣である。従って自分の無能さに直面出来ぬ人物は、上司となってはならない。しかし大量生産時代の後遺症たる年功序列制度の、「頭数を揃える」悪しき結果として、本来上司となるべきてはない人物が、組織の上層部に押上げられている場合がある。
卑劣な上司ばかりが会社を支配するようになると、それまで一人の仕事で済んでいたものが、「組織の充実」の美名の下、矢鱈に部署を設けて機能を分散させる結果、五人分もの仕事に薄められてしまう。すると五つに分散された一つの仕事は、それぞれの部署で過剰な専門化が行われ、内容が充実されるどころか、官僚的で無昧乾燥な代物に堕してしまう。組織の基本収支上辻妻が合っている間は、将来に付けとして還ってくる本質的な問題は見過ごされているが、効率性を失った組織の末路は今更述べる迄もなかろう。

[対 策]

部下の能力を評価出来ないのは、正常な評価能力が欠如しているのだから、上司の愚劣な態度を非難するだけ無駄である。それはそれとして、先ず少なくとも相手の悪意だけば取り除くよう努力した方が良い。他人は自分の鏡である。悪意を持って接すれば相手も悪意を返すので、自分の精神状態を常に健康に保つように努めるべきである。
但しこちらから幾ら好意を持って接しても、悪意で心が歪んだまま、鏡にはなりえない精神異常者のような人物がいる。このような者を上司に宛われ、最も不幸な境遇に陥った場合の対策は容易ではないが、決して方法が無いわけではない。既に非効率的になった組織では、命令された仕事の質は極めて低くなっている。だから「永遠にこいつの下に居るわけではない」と自分に言い聴かせながら、非効率的に働いても、適当にやり過ごせるのだ。またこの類の上司が部下を評価する時は、愚劣な感情を尺度にする程腐り切っているのだから、正面切って張り合うだけ疲れてしまう。さりとて胡麻をするなどという負け犬の行為に、現(うつつ)を抜かすと何時の間にか自分も染まり最低になる。精神異常者の下に配属された期間は、組織人としての試練だと心に止めて、じっくり忍耐力を養うよう自己研鑽に努めるべきであろう。この最低の上司の異常性は、組織に属する者のみならす、顧客にも筒抜けなのが常だから、上司の質に拘らず、倦ます弛まず仕事を積み重ねる者に対してば、顧客からは信頼を、同僚からは同情と同胞意識を、心ある上司からは賞賛を与えられるであろう。
自分が所属している組織と仕事に将来性があり、自分も将来ビッグ・ビジネスを担う夢を見るのであるならば、去勢された犬に堕するのでは無く、毅然とした誇り高い態度で、「それがどうしたって言うの」を合言葉に、苦難の一時期を乗り越えるべきなのだ。
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