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7.苦労話を笑い飛ばせすに、今尚苦しんでいるかのように延々と愚痴をこぼし、その場の雰囲気を暗くする上司
[解 題]
根暗の人物である。根が暗いのは人間本来の正常な精神状態から逸脱しているか、さもなければ度重なる苦労に押し潰されたからである。人それぞれの人生には、一生かけても消化出来ない程の不条理が降りかかる可能性があるし、人それぞれの許容量と限界があるから、苦労に押し潰されてしまったことの是非は問えない。許容してはならないのは、自分一入では飽き足らず根暗を伝染すべく、部下の健康な精神状態を破壊する上司の行為である。
誰しもが他人から何らかの形で認められたい。この衝動があるからこそ人ば努力し成長する。しかし誤った方向へ進むと、愚劣な道へ突き進み自滅する。
本物を志向する者は、そもそも「苦労」という負のイメージを余り持たない。また苦労話があるとすれば、それは苦笑を伴い語るべきものであり、語ることで自分に益する部分が少ないのも承知している。しかし意地汚い日々を重ね、人生を無為に送り最低に堕した者には、「苦労」が、語る唯一の話題であるだけに、語り口に自ずと差が表れる。
いい加滅で誤魔化しだらけの人生を送った最低の者が、責任逃れだけで精一杯の日々を、より人間らしく生きるための努力と取り違え、下賤な愚痴を垂れる。低劣な話は誰も聞きたがらないから、最低の男はわざわざ異動先から嘗ての部下の前に突然現れては、昔の知り合いを探し、そこで相手にされなくなると、次には余り見知っていない若い者に焦点を定め、さも訳知り顔に近づき、愚痴を垂れ続けて、結局孤立してしまう。この場合の最大の被害者は、右・左が判る前の、無垢で若く、見習うべき良き先輩が付いていない段階の新入社員である。
[対 策]
曲がりなりにも正々堂々とした努力を重ねながら、幸運に恵まれずに不遇な日々を送った者が苦労を語る場合、たとえ境遇への愚痴が混ざっていたにしても、恐らくさほど押し付けがましくは無く、寧ろ将来への希望を語り口に込め、自己のの生き方を再碓認をする気迫を、時には聞き手も感じとれるであろう。このような人の苦労話ならば、多少耳障りでも、人生の糧として傾聴すると良い。愚痴にも味がある筈だから。
しかし他人の同情を引くための免罪符として、苦労話を利用しようとしたり、悪質になると、架空の苦労話を延々と重ねる輩が居るので、相手の術策に陥らないよう注意すべきだ.同情は禁物である。一度でも話に耳を傾けようなら、ここぞとばかりにくどくどと繰り言が続くのだ。相手にしないのが一番良い。近付かなければ詰まらない話を間かずに済むし、根暗な気質も伝染しないのだから。こういった頃合いは、丁度、怪しげな新興宗教の勧誘の手から逃れるのと同じ呼吸である。
一人一人の人間を見抜いて付き合いの度合いを変えて行けるのが、根本的な強さに繋がり、将来の人生を楽しく実り多くする秘訣である。ただ、人を見抜く能力が備わるまでには、何人もの輩に騙され、利用されて砂を咬む思いを昧合わなければならない。誇り高く生きるならば避けて通れぬ道である。従って一度や二度は騙されるのも仕方がないとしても、その事態に賂った折りに最小限の被害に留める様に心掛け、且つ失敗を決して忘れない事である。何度も嫌な目に合うと、生きている事自体がうとましくなることがある。しかしそれはあくまで一時的な感情だと認識していなければならない。仕事でも人付き合いでも、心から楽しく、安心出来ない違和感がある場合は、嘘の可能性が最も高い。自分に関係した事は、自分が判断し、自分で行動しなければならないのだ。単純な原理だが忘れる事がよくあるので注意していたい。
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