『暴動の都』から

『暴動の都』からの帰還 1998.06.01.

筆者であるClaude F.は日本に戻っております。
ジャカルタ滞在中は、皆様にご心配をお掛け致し、お詫びを申し上げます。また暖かいご配慮やお気遣いを頂きました事に、心からお礼を申し上げます。日本に戻りまして、長く不在にしていた為でしょうか、沢山の不条理な課題が一気に押し寄せ、ここ暫くは一人耐えて居りました。こちらは暴動は無いという意味では安全ですが、その反面、不遠慮で不躾で醜い人間関係が簡単に剥き出しになります。私には心通じる仲間が居ますし、生来の楽天性があるのでこの程度では決してくじけたりはしませんが、少なくとも醜い人間性に接すると兎に角がっかりしてしまい、何時もの元気は一時的にでも亡くしてしまいます。こんな事に煩わされるならば、『暴動の都』で、さてこの非常事態を如何にかい潜ろうか、と思案していた方がずっと気が楽で元気でした。私を気遣ってくれる方々から現地に迄ご連絡を頂き、とても感動したからでもあります。それだからこそ、日本に戻る度に仕事以外の人間の醜さが剥き出しになるのにほとほとうんざりします。
外国から戻る度に日本でこんな想いをし、閉塞感を感じるのは決して私だけでは無い筈です。一体これは何故なのでしょうか。日本の異常さの一つだと私は考えています。さてインドネシアのジャカルタは、平常に戻りつつあります。欧米系のビジネスマンは勿論、日本人駐在員も続々とジャカルタ入りしています。それに加えて華僑系インドネシア人の住民も戻りつつあります。シンガポールを始め近隣諸国に一時身を置いた彼らが、これ迄の生活を継続する為にも仕方が無くて戻るのです。家族をインドネシア外に残したまま、主人だけで戻る場合も多く、シンガポールのサービスアパートメントは今でも満杯状態です。彼らの生活の経済的基盤である筈のジャカルタの中華街とも言えるコタ地区は、再建を口にするのもおこがましい程見る影もなく焼け落ちています。それでも彼らは最初から始めようと戻ります。そこで生まれそこで生きて来たからです。彼らもこの土地を愛している人々なのです。

5月19日現地時間午後5時頃には、私はジャカルタ空港で、空港のセキュリティチェックを通過する迄に汗だくになりながら、木材製品のサンプルを抱え、一時間近く人混みにまみれていました。朝礼で立ちくらみを起こして倒れる体力程度だと帰国出来なかったかも知れません。人並みの体力が備わって居るのに感謝しています。その後は搭乗手続並びに出国手続などは、普段より時間は掛かりましたが、ジャカルタ空港で発着する全ての航空便の予定が大幅に遅れ、電光掲示板が壊れて無表示になった以外は特に大きな混乱はありませんでした。私自身はこの歴史の節目と変化とを最後迄現地で見届けたかったのですが、やはり現地の仲間には足手纏いになるのと、長く不在したが故に日本での仕事が多々あるので、5月20日の予定を一日早めて19日夕刻の特別便で帰国しました。
到着の翌日の21日には朝5時に起きて8時過ぎには群馬に出向いて居るなど、相変わらずの活動状況でした。帰国以来、エンジン全開で壊れそうになりながら走り続けていました。我ながら何処か狂っているのかな、と思いつつ、一方で醜い人間性を持つ輩にも断固対処しました。もしかしたら生き地獄とはこんなものなのかも知れません。ただ私には地獄にも沢山の仏様が居て下さるのが全然違いますけれど。私は現地在住の相棒の次のしんがりですから、暴動騒ぎが最も激しくなった15日は、木材関係事業で現地入りした私共の仲間を先ず予定通り日本に帰す事に気が向いておりまして、自分の心配を忘れておりました。5月15日に彼らが無事に日本に戻り、翌日現地の相棒から帰り便は大丈夫かとの電話をもらったので、16日は朝から航空会社の現地事務所と東京事務所の両方に連絡を入れて帰国便を確保しました。
当初の予定である5月20日は、4月24日の出発時に帰国便の予約をしたに拘わらず名前がないので、東京事務所に電話をかけて座席を確保しました。私が航空会社の会員なので、会員専用電話で処理が出来ました。こんな時に特に会員になっておくと便利ですからいざという時の為に加入をお勧めします。臨時便の座席確保はジャカルタ事務所でのみ受け付けていた為に、混乱の余り17日と18日は予約がとれませんでした。そこで東京事務所経由で19日の予約を確保した訳です。
現地では近隣の店舗も閉店して居たので、ホテルから極力出ないようにしていました。NHK衛星放送のニュースの時間は極力報道を見るようにしていました。報道は概ね正確でした。地元の放送局の放送も見ていましたが、インドネシア語の理解度の問題もありますが、内容によってはNHKの報道が早く正確な場合も多々ありました。現在は兎も角、スハルト退陣前は現地マスコミに対して報道管制が行われていたのです。これ迄トカダHPでご報告して参りました通り、ジャカルタはとても平穏だったのです。暴動前に現地入りした方々がいらっしゃるのですが、皆、意向同音にご自身が体験したジャカルタと日本に戻ってから報道を通して知るジャカルタの格差に驚いています。また現地を知る私共は、二十年以上前から南洋に生きる人々の突然の爆発性を伴う気質を十分承知して居たのですが、焼き討ちや略奪を含む民衆の突然の発狂状態と、現在の何事もなかったかの様な状態に戻るその格差を実際体験して少なからず驚いています。私が現地入りして暫くしてからの5月始めに、ガソリンや灯油の70%にも上る値上げがありました。私の相棒がこれにはとても心配し同情をしていました。
都市で会社務めをしている立場ならば、もともと安い給料を仮に倍にしても、企業側はさほど打撃を受けないでしょうし、生活防衛の為にも対応出来るでしょう。けれど人口の90%が農民であり、しかも現金収入が乏しい層なのに生活必需品である食用油などが一挙に倍近く値上がれば、死活問題になるのです。口にする食料を始めとする産品は豊かであっても、もはや何らかの形で貨幣を媒介にした経済構造に取り込まれた状態にあるのですから、にっちもさっちも行かなくなるのです。それに学生がデモ中に6名死ぬ事件が起き、一挙に今回の動きに繋がりました。低所得者層をこれだけ追い詰めたのは、間違いなく政権担当者の失政です。豊かで、いうなれば幸せになればなる程、人は他人の痛みや苦しみに鈍感になって行く様です。不幸や苦しみが余り多過ぎると人間がいじけたり潰れてしまいます。料理に於けるスパイス程度に不幸や苦しみがあり、他人に対する心遣いを忘れない様に適度に刺激される必要はあるのでしょう。
尚、一方で民衆の暴動を意図的に煽った輩が居るという噂もあり、現政権のインドネシア治安当局が捜索中だそうです。これに関しては正確な情報が入手された場合には別途ご報告します。筆者の帰国前に所用もあり、街を車で見て回りました。その際の映像を添付します。

NEXT/動乱のジャカルタ01
NEXT/動乱のジャカルタ02